言語空間+備忘録

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南京大虐殺記念館にみる中国の態度と、日本のとるべき態度

2011-01-14 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.50 )

 南京事件から満70年目の07年12月13日に、新たな「南京大虐殺記念館」が再オープンした。2年前の05年から大規模改修工事を行っていたのが、南京陥落の日に合わせて開館したのだ。敷地面積は3倍に、史料館の床面積は以前の12倍の9800平方メートルに拡張されたそうだ。
 入場料無料の同記念館の正面には「災難の壁」が作られており、そこには「侵略日本軍南京30万同胞大虐殺から70周年を悼む」と、大文字で刻み込まれている。広大な館内の随所に「30万人」の数が刻み込まれ、歴史問題で日本への国内外の信用と信頼を徹底的に殺ぎ落としていく長期戦略を、中国が全く変えていないことが明らかになる内容だ。06年9月、安倍晋三政権誕生を機に、対日強硬策から融和策へと転じ、07年12月の福田康夫首相の訪中で「日中関係に春がきた」と、日中双方で称え合ったが、中国の対日戦略の基本は、全く変化していないのである。
 日本人が歴史を学ばなければ、中国がどのように歴史を悪用するとしても、その歪曲と捏造、そこに込められた彼らの深い深い企みを喝破することは出来ない。日本人の歴史教育がこのうえなく、重要なのである。


 07年12月13日に、新たな「南京大虐殺記念館」が再オープンした。随所に「30万人(大虐殺)」の数が刻み込まれ、歴史問題で日本への国内外の信用と信頼を徹底的に殺ぎ落としていく長期戦略を、中国が全く変えていないことが明らかである、と書かれています。



 中国の態度が根本的に変わっていないにもかかわらず、「日中関係に春がきた」と称えた日本側は、なんとも「間抜け」な感じがしますね。もちろん
「日中関係に春がきた」と日中双方で称え合った
ということなので、中国側も称えたはずですが、それは「戦略」として称えたということでしょう。日本側も、対中「戦略」として称えたのであれば問題ありませんが、おそらく日本側にそのような戦略的意図はなく、日本が「間抜け」だというのが本当のところではないかと思います。



 「中国の子供に対する返事の例 (南京大虐殺をめぐって)」に引用したとおり、「南京大虐殺30万人説の信憑性」に問題があるにもかかわらず、中国は「30万人」だという前提に立った行動を続けています。

 そこには、「30万人」を「既成事実化」しようとする中国の意図があると考えられます。

 このような意図がなければ、中国政府は「本当に30万人なのか」を調査するはずです。そしてその調査期間中は、「30万人」を前提とする行動をとらないはずです。



 それでは、事実関係に争いがあるにもかかわらず、自分の主張を一方的に続ける中国政府に対して、日本はどのような態度をとるべきでしょうか。

 昨年の尖閣諸島沖漁船事件の際、「日本は『大人の対応』をすべきである」といった意見がありました。

 たしかに、「大人の対応」をすべきである、そうでなければ、日本も「中国と同レベル」になってしまう、という主張には、説得力があります。

 しかし、私はこの意見には、いささか疑問があります。

 その根拠を述べる前に、状況が類似していると思われる、私と一弁(第一東京弁護士会)の湯山孝弘弁護士との「会話」を引用します。



 最初に、状況を説明します。


  1. 湯山弁護士から一方的にお金を振り込まれ、「迷惑なのですが」と伝えようとすると「議論する気はないんだ!」と怒鳴られたので、遠まわしに「迷惑なのですが…」と伝えたところ、無視された。
  2. その頃、私はアドバイスを求めてもいないにもかかわらず、湯山弁護士からトンチンカンなアドバイスをされたので「迷惑なのですが」と伝えようとすると、「アドバイスしてやってるんだ!!」と怒鳴られた。
  3. また、その頃私が「法律上の権利」を行使しようとしたところ、湯山弁護士は威張りながら「で~きな~いから~あ」と言ったり、意味ありげに笑いながら小馬鹿にしたように「でえっ、きないから~あ」と言ったりしていたが、あとで複数の弁護士に(それぞれ別の機会に)確認したところ、「権利」であり、湯山弁護士は私の権利行使に「従う義務がある」と言われた。
  4. 湯山弁護士からは、カネをやったのだから「ある事柄」を公的機関に伝えないようにと「暗に」要求されたが、私は承諾せず、公的機関に事実関係を伝える期限直前に電話したところ、「なんだ~あ? あれは? 迷惑だと言ってるのと同じじゃないか!! 温情だーーっ!!」 と怒鳴られた。
  5. その後、湯山弁護士からは、私が「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」と非難されたが、湯山弁護士は私の「どの行為が、どういう意味で」許されないのか、具体的に教えてくれない。かつ、湯山弁護士との「会話」等の経緯・内容等について、私が「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」ので、「誰にも言わないほうがいいと思う」と、(私がアドバイスを求めていないにもかかわらず) アドバイス(?)された。


 このような状況の下で、湯山孝弘弁護士が代表を務める湯山法律事務所に当時勤務していた楓真紀子弁護士からは、(おおむね)次のような文言の書かれた年賀状が送られてきました。

   「湯山先生は memo26 さんのことを、とても心配しています」

 信じ難い話です。私のことを心配しているのではなく、自分のことを心配しているというのが、本当のところではないでしょうか。要は、湯山弁護士は、私のことを心配している「ふり」を装って、弁護士仲間に話していたわけです。
南京大虐殺についての中国と同様、「既成事実」を作ろうとしていた
と考えられます。

 このような状況下で「大人の対応」をしようとすれば、どうなるか。私と湯山弁護士との、(おおむね)次のような「やりとり」を見ればわかります (「弁護士による「詭弁・とぼけ」かもしれない実例」参照 ) 。


  1. 私    「警察に行って自首しようと思いますが、警察に行ってもかまいませんか?」(湯山弁護士は私が「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」と言っているので、自首しようと思います、と私は言っています)
  2. 湯山弁護士「大丈夫なのか?」
  3. 私    「私は、大丈夫ですよ。警察に行っても、かまいませんか?」
  4. 湯山弁護士「どういうことだろうか?」
  5. 私    「『いままで築き上げてきたものを失いたくないんだ!!』と怒鳴っておられたので、私が警察に行くと、お困りになるのではないかと思い、お尋ねしています」
  6. 湯山弁護士「何のことでしょうか?」
  7. 私    「湯山さんが忘れているか、とぼけているかのどちらかでしょう。それで、警察に行ってもかまいませんか?」
  8. 湯山弁護士「警察に行く必要はない」
  9. 私    「警察に行く必要があるかどうかは、尋ねていません。警察に行っても、かまいませんか?」
  10. 湯山弁護士「警察に行く必要はない」
  11. 私    「いや、だから、警察に行く必要があるかどうかは、尋ねていません。警察に行っても、かまいませんか?」
  12. 湯山弁護士「警察に行く必要はない、と助言します」
  13. 私    「私は、助言は求めていません。警察に行っても、かまいませんか?」
  14. 湯山弁護士「なにが言いたいのでしょうか? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってください」
  15. 私    「ですから、私は、警察に行ってもかまいませんか? と、はっきり言っています。警察に行ってもいいかどうかについて、答えていただけないでしょうか?」
  16. 湯山弁護士「話がかみ合いませんね」
  17. 私    「警察に行っても、かまいませんか?」
  18. 湯山弁護士「こだわるのはやめましょう。私は、こだわりはありません」
  19. 私    「私は、こだわってはいませんよ。『絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした』と言われたので、それなら自首しようと思うのですが、私が警察に行くと、お困りになるのではないかと思い、お尋ねしています。警察に行っても、かまいませんか?」
  20. 湯山弁護士「もう何も言うことはありません!!」
  21. 私    「助かります。求めてもいないアドバイスをされて、とても、困っていました。それで、私の求めていること、すなわち、警察に行ってもいいかどうかについて、答えていただけないでしょうか?」
  22. 湯山弁護士によって、「会話」は一方的に打ち切られた。




 つまり、「大人の対応」をしても、ムダなわけです。相手が「既成事実」を作ろうとしている場合、こちらが「大人の対応」をしつつ、相手が態度を変えるのを待っていても、「何も変わらない」のです。



 尖閣諸島沖漁船衝突事件においても、中国側は「日本側からぶつかった」と主張していましたが、Youtube 流出ビデオを見れば、「中国側からぶつかった」ことが明らかです。

 日本政府(内閣)は、当初、ビデオを公開せず「中国が態度を変える」ことを期待していましたが、中国の態度は変わりませんでした。

 相手に配慮することは「ムダ」であるばかりか、「かえって状況が悪くなる」場合もあるのです。

 したがって日本は、中国に対して「懐の深い」「大人の対応」をするのではなく、「日本側の立場、正当性を主張すべき」ではないかと思うのです。その場合、子供同士の「言った」「言わない」という争いと変わらない、低レベルな争いになってしまう可能性はありますが、

 「(日本的な)懐の深い大人の対応」よりも「日本側の立場、正当性を主張する対応」のほうが、適切な場合もあるのではないかと思います。日本が中国に対してとるべき態度について、私は著者(櫻井よしこ)の主張を支持します。



■関連記事
 「中国における歴史教育
 「尖閣諸島沖事件、中国側主張が既成事実化しつつある
 「日本は対中政策を変更すべきである
 「弁護士法 56 条に定める「品位を失うべき非行」の基準

2 コメント

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そこまでやるなら、日本も (Unknown)
2011-04-27 16:45:19
>新たな「南京大虐殺記念館」が再オープンした

日本もこの際、全国各地に、「中国人凶悪犯罪展示館」をオープンしてはどうでしょうか?

ピッキング強盗、カード偽造、日本人夫替え玉殺人事件、爆窃団、など、中国人による凶悪犯罪はエスカレートし、日本人の生命と財産は危機に瀕しております。

日本人のセキュリシティ意識を高めるのにも有益ですし、小中学生の社会見学のルートに加えても良いと思います。

展示場では、防犯カメラなどの各種防犯グッズを販売すれば、更に効果的です。

中国人は、自分が同じことをやられない限り、相手の痛みは理解できません。



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Unknown (memo26)
2011-04-28 16:42:34
> 日本もこの際、全国各地に、「中国人凶悪犯罪展示館」をオープンしてはどうでしょうか? …(中略)…中国人は、自分が同じことをやられない限り、相手の痛みは理解できません。

 それは名案ですね。ただ私としては、日本が相手のレベルになってしまわないか、それが気がかりです。もっとも日本政府は実行しないと思いますが…。



 なお、南京大虐殺については、私は当初「本当にあったかどうか、わからない」と考えていましたが、いまでは(=最終的に)「なかった」という見解を支持しています。根拠は下記の記事(↓)に記しています。よろしければこちらもご覧ください。

「南京大虐殺はなかった」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/680a30a65dd0a52d5c0a3f965e6ab4f8
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