安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.241 )
今回の金融危機は、1907 年恐慌、世界大恐慌のときと同様、新しい金融の仕組みがもたらしたものである。新しい仕組みなので、当局による規制が及びにくく、取引に資金が集中し、バブルの発生・崩壊をもたらすのである、と書かれています。
新しい仕組みに取引が集中する。規制がないからこそ、取引が集中する。とすれば、
規制は、危機の発生を防止するうえで有効ではあるものの、規制がなければ、取引は活発になる、と考えられます。
したがって、( 金融の分野に限らず ) 規制緩和は、問題を含んではいるものの、経済活動を活発にする効果をもっている、と考えてよいと思います。
したがって、日本も、さまざまな分野で、規制緩和を進めればよいのではないかと思います。もちろん、そこには、弊害の発生も伴うと考えられますが、看過しえない弊害が発生しそうになった場合には、その時点で、対処することも可能です。また、弊害の程度を見極めながら、徐々に規制を緩和するのも、よいと思います。
経済が停滞することそのものが、すでに看過しえない弊害だと考えられます ( 考えられています ) 。したがって、規制緩和によって、多少、弊害が発生したところで、トータルでは ( 全体としてみれば ) 、弊害が少ない。
このように考えるのが、現時点では、合理的ではないかと思います。
金融システム全体から考えると小さな「事故」の影響が、金融システムの機能麻痺へと波及し、資金不足、または信用収縮によって実体経済活動も麻痺するというパターンは、戦前の2回の恐慌期に見られた現象である。
今回の金融危機では、「(サブプライム・ローンの)証券化」や「CDS」、「CSO」といった一般の人々にはみじみのない新しい金融の仕組みが肥大化し、「モンスター」と化して世界経済を破壊したとの見方がさかんに喧伝されたが、それは誤りである。戦前の2回の恐慌においても、新しい金融の仕組みが株価のバブル的な上昇に一役買い、これがその後の大暴落のきっかけとなった。その新しい仕組みとは、第2章・第3章で見たように、1907年恐慌では「信託会社」、世界大恐慌では「会社型投資信託」である。
このような新しい金融の仕組みは、その新しさゆえに当局による規制が及びにくいという性質がある。そのため、このような新しい仕組みを利用した取引に資金が集中し、これが資産価格をバブル的に上昇させてしまう。証券化商品やCDO、CDSも、まさにそのような金融の新しい仕組みに属するものである。たしかに、仕組み自体は新しいものである。しかし、これが資産価格の変動を増幅させ、後の経済危機のきっかけを作ったという点では、まさに「古典的」な信用危機の事例にすぎない。
今回の金融危機は、1907 年恐慌、世界大恐慌のときと同様、新しい金融の仕組みがもたらしたものである。新しい仕組みなので、当局による規制が及びにくく、取引に資金が集中し、バブルの発生・崩壊をもたらすのである、と書かれています。
新しい仕組みに取引が集中する。規制がないからこそ、取引が集中する。とすれば、
規制は、危機の発生を防止するうえで有効ではあるものの、規制がなければ、取引は活発になる、と考えられます。
したがって、( 金融の分野に限らず ) 規制緩和は、問題を含んではいるものの、経済活動を活発にする効果をもっている、と考えてよいと思います。
したがって、日本も、さまざまな分野で、規制緩和を進めればよいのではないかと思います。もちろん、そこには、弊害の発生も伴うと考えられますが、看過しえない弊害が発生しそうになった場合には、その時点で、対処することも可能です。また、弊害の程度を見極めながら、徐々に規制を緩和するのも、よいと思います。
経済が停滞することそのものが、すでに看過しえない弊害だと考えられます ( 考えられています ) 。したがって、規制緩和によって、多少、弊害が発生したところで、トータルでは ( 全体としてみれば ) 、弊害が少ない。
このように考えるのが、現時点では、合理的ではないかと思います。