言語空間+備忘録

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動学的効率性の条件

2009-07-13 | 日記
竹森俊平 『資本主義は嫌いですか』 ( p.76 )

 とくに注目されるのは、ジャン・ティロールによる一九八五年の重要な研究である。

(中略)

 彼の「合理的バブル」についての研究 …(中略)… は、ある重要な条件が経済において満たされない時には、バブルが経済効率の改善につながりうることを明らかにしている。その鍵となる条件とは、経済学者が「動学的効率性の条件」と呼んでいるものだ。
 具体的にいうと、「動学的効率性の条件」とは、「その経済における投資収益率が成長率を上回る」という条件を指す。この条件が満たされない状態とは、したがって、「その経済における成長率が投資収益率を上回る」状態ということになる。ごく直感的に解説すると、「動学的効率性の条件」が満たされないような経済とは、投資がすでに過剰になっている経済である。そのために投資収益率は低くなり、経済成長率以下になっている。そのような投資過剰の状態では、富をさらに投資に向けるよりも、バブルに向けたほうが経済にとってプラスとなりえることを、彼の分析は示唆している。

(中略)

 「動学的効率性の条件」が満たされない状態にある経済では、なぜ、「バブル」によって経済効率が改善することがあるのだろうか。話を簡単にするために、具体的な数値を設けて考えてみることにしよう。
 そこでいま、ある国のGDP成長率は一〇%、投資収益率は六%だったとしてみよう。大雑把な数字だが、現在の中国はいくらかそれに近いかもしれない。ある時、この国の政府が、次のような一種の「ねずみ講」を始めたとする。つまり、まず政府は、この国のGDPの一定割合、たとえばGDPの五%に相当するカネを、国債を発行することによって手元に集める。手元に集めたカネは、話を簡単にするために、海に投げ捨てることにしよう(あるいは、日本の政府のように、経済的意味のない道路やダムをつくることに使うと考えるのでもよい)。これも単純化のために、国債は一年満期だとする。
 さて、一年が経った。政府は満期が来た国債の元利を支払わなければならない。といっても、昨年集めたカネは海に投げ捨てられているから、普通のやり方では返済できない。どうしたらよいのか。簡単だ。また国債を発行するのである。そこで、政府がもう一度、GDPの五%に相当する国債を発行して、それで集めたカネを、前年発行の国債の支払いに回す。なるほど、これなら国債の元本が償還できる、と納得するかもしれないが、それだけではないのだ。この時、政府は国債にGDP成長率に等しい一〇%の金利を付けて償還できるのである。
 理由は簡単だ。国債の発行額は毎年GDPの一定割合(五%)だから、GDPが一〇%で成長するなら、「GDPの一定割合」もまた一〇%で成長するのである。それゆえ、今年、国債を発行して集めたカネを、全部、昨年の国債の償還に回すなら、国債には一〇%の金利が付くわけである。もちろん、この方法を続ける限り、国債には毎年、経済成長率に等しい金利を支払い続けることができる。

(中略)

 カネを、海に投げ捨てる(もしくは、それに似た、無駄なダムや道路の建設に使う)というのは、あまりにも無駄である。それくらいなら、毎年GDPの五%にあたるカネを、生産設備拡大のための真正な投資に向けたほうが、経済にとって有益ではないか。そういう考えを誰もが抱くはずである。
 ところが、経済成長率が投資収益率を上回る「動学的効率性の条件」が満たされない状態においては、この考えは、実は正しくない。経済成長率が一〇%であるのに、投資収益率はわずかに六%という、この国の経済はまさに「動学的効率性の条件」が満たされない状態にある。「真正な投資」が「経済にとって有益とはならない」ことを確認するために、今度はこの国が、GDPの五%に相当するカネを、政府が集めた上で海に投げ捨てる代わりに、生産設備拡大のための真正な投資に向けたとしよう。これで経済状況は改善するだろうか。いや、そうはならない。
 投資収益率はわずか六%でしかないので、これまで政府の主催する「ねずみ講」に投資することで一〇%の投資収益を稼いできた一般国民は、これまでと同じ金額を真正な投資に回さなければならないことによって、わずか六%しか投資収益を稼げなくなる。真正な投資によって得をする者は誰もいないから、折角、「ねずみ講」に回っていたカネを、真正な投資に回すという考えそのものが誤りだったことになる。
 なぜ、こんな不思議なことが起こるかといえば、その理由はその経済における真正な投資がすでに過剰な状態にあったということだ。そのために、社会的に見て、投資収益率が過小になってしまったのである。そういう状態では、「ねずみ講」を始めてでもより多くの資源を消費に回した方が、生活水準が向上するわけである。


 「動学的効率性の条件」 ( =「その経済における投資収益率が成長率を上回る」 という条件 ) が満たされない状態にある経済では、「バブル」 によって経済効率が改善する ( 生活水準が向上する ) ことがある、と書かれています。



 ここでいう 「バブル」 は、「ねずみ講」 を指しており、世間一般にいう ( 価格が異常に高騰する意味での ) バブルとは、すこし意味合いが違っています。



 さて、この「バブル」=「ねずみ講」 によって、「真正な投資 ( 普通の意味での投資 ) 」 よりも経済効率が改善し、生活水準が向上する、というのは、かなり驚天動地の結論ではないかと思います。しかし、論理の筋を追っていけば、この結論は、認めざるをえない。とすれば、

 一見ムダに見える公共事業も、バンバンやって構わない、むしろ、バンバン行うべきである、

といえます。


 さらに、上記 「合理的バブル」 の考えかたは、「満期が来た国債の元利」 を支払うために、「また国債を発行する」 ことが前提となっているのですから、「GDP成長率に等しい」 割合で、国債発行残高も増え続けることになります。それでも構わない、というのは、( 感覚的には ) いささか、受け容れがたいのですが、理論に従えば、

 ( GDP成長率に等しい割合であれば ) 国債発行残高が増え続けても構わない

と考えるほかありません。



 日本経済はまず間違いなく、「動学的効率性の条件」 を満たしていないと思います。日本においては、( すくなくともプライマリー・バランスが均衡しているかぎりは ) 「一見ムダに見えても、じつはムダではない」 のだから、公共事業を行うべきである、と考えられます。

 したがって、たとえば 「雇用対策としての道路建設」 は、日本経済の 「経済効率 『改善』 のためにも、行うべきである」 と結論されます。
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