言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

財政赤字はファイナンス可能

2009-11-23 | 日記
リチャード・クー&村山昇作 『世界同時バランスシート不況』 ( p.151 )

 前述のように、ゼロ金利下でも米国の貯蓄率が急上昇する一方で、同国の資金需要が減少しているということは、米国政府の財政赤字をファイナンスするお金は米国内で充分調達できるということを意味している。このことは、バーナンキが金利上昇を抑えるために国債を買うということは本来必要ないということになる。
 ただ、前述のインフレ問題と同様、昨今の米国で、新たに増えた財政赤字は実は米国内でファイナンスできるということに気付いている人たちはまだ少数であり、大半はまだ米国が低貯蓄の国であるという固定観念から脱却できないでいる。その低貯蓄の国である米国は、自国の財政赤字をファイナンスできないので日本や中国に買ってもらえない場合には、中央銀行が自ら買わないと金利が上昇してしまうという発想になる。

(中略)

 ただ、この財政赤字のファイナンスについて、私がこの春に招かれたカザフスタン、ポーランド、オランダ、そして台湾のような国々では、「小国解放経済 ( small open economy )」ということで二つの問題が指摘された。
 最初の問題は、「小国開放経済」 では、財政出動をしても多くのお金が国内で生産していない輸入品の購入に回ってしまい、内需の拡大につながらないのではないかという懸念であり、もう一つは、これらの国々の過剰貯蓄がそれぞれの国の国債購入ではなく、海外へ出てしまうのではないかという懸念であった。
 前者に関しては、国内のインフラ整備や教育増強など、国内での目に見える分野に財政を使うことでかなり対応できるが、後者に関してはとくに東ヨーロッパや中央アジアでは難しい問題がある。というのも、米ドル紙幣を一枚持っていただけでも牢屋に入れられてしまうほど厳しかった旧ソ連体制から 「解放」 されたこれらの国々は、その反動で、西側先進国でも考えられないくらい資本移動を自由化してしまったのである。

(中略)

 このような国々では、たとえバランスシート不況で国内に過剰貯蓄が発生していても、それらが自国の国債に向かうかどうかについては、どうしても不安が残ってしまうのである。
 その一方で、これらの国々で資金が海外に流出しないよう再度資本規制を導入することは、「旧ソ連の世界に戻るのか!」と叩かれるので政治的にはほとんど不可能であるという。
 このような国を一国ずつ個別に見れば、政府の政策対応は限られ、事態は非常に厳しく見える。しかしその一方で世界経済全体で見ると、もしもこれらの国から資金が西欧や米国に流れたら、その分、これらの国々と資本流入国の金利差は広がる。このことは西欧や米国の投資家にとって、これらの国々の金利は相対的に魅力的なものとなり、先進国側からの資金流入を促すことになる可能性がある。
 しかも、世界全体でバランスシート不況が発生している現在では、全世界で財政赤字が悪化しており、自国一国だけの財政赤字が悪化している状況とはだいぶ違う。また、世界中で民間に過剰貯蓄が発生しているということは、これらのお金は最終的には、どこかの国の国債で運用されることになる。


 財政赤字を抱えている米国も、バランスシート不況下では、国内で財政赤字をファイナンス可能である。また、カザフスタン、ポーランドなどの 「小国解放経済 ( small open economy )」 であっても、世界全体でバランスシート不況が発生している現在では、過剰貯蓄は必ず、どこかの国の国債で運用されるはずであり、金利によってはファイナンスしうる可能性がある、と書かれています。



 米国でバランスシート不況が発生していないならば、「全世界レベルでバランスシート不況が発生している」 とはいえないのですが、ここでは、「全世界レベルでバランスシート不況が発生している」 という前提のもとに、話を進めます ( 「FRB の金融緩和は効くのか」 参照 ) 。



 バランスシート不況においては、財政赤字があっても、国内でファイナンス可能である、というのは、その通りだと思います。投資先が ( ほとんど ) ないのですから、国債を買うほかありません。



 問題は、余ったお金が国債に向かわず、海外に流出するのではないか、ですが、

 これについて、著者 ( リチャード・クー ) は、「全世界レベルでバランスシート不況が発生している」 のだから、金利次第で、ファイナンスしうる可能性がある、としています。「可能性がある」 のは当然で、この表現は、その後の

 「世界全体でバランスシート不況が発生している現在では、全世界で財政赤字が悪化しており、自国一国だけの財政赤字が悪化している状況とはだいぶ違う。また、世界中で民間に過剰貯蓄が発生しているということは、これらのお金は最終的には、どこかの国の国債で運用されることになる。」

をも考慮すれば、

   政治面などに問題がなければ、( 財政赤字を ) ファイナンス可能である

と読んでかまわないと思います。



 なお、財政赤字をファイナンス可能であるとはいっても、財政出動したほうがよいのか、しないほうがよいのかは、別の問題です。

 著者は、財政出動すべきである、という前提のもと、

 「財政出動をしても多くのお金が国内で生産していない輸入品の購入に回ってしまい、内需の拡大につながらないのではないかという懸念」 について、「国内のインフラ整備や教育増強など、国内での目に見える分野に財政を使うことでかなり対応できる」

とされています。私としては、大規模な財政出動にはいささか疑問があり、これについては、さらに考えたいと思います ( 「日本の財政出動の評価」 参照 ) 。