言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

量的緩和反対論

2009-11-01 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.121 )

 将来のハイパー・インフレのリスクを盾にとり、量的緩和に反対する識者も多い。「量的緩和論者は、将来のハイパー・インフレによって国家財政を破綻に追い込もうとしている」というのである。
 しかし、よく考えていただきたい。このような政策提案が行われるということは、マクロ経済情勢が、すでにこのような極端な政策をとらざるをえないほど危機的な状況に追い込まれているということを意味している。すなわち、危機的な状況で、経済が「死に体」だから、そのような政策が必要だと訴えているのである。これが不必要だと考える人は、単に、自分が現時点で何らかの既得権益を有していて経済的に困っていないだけのことではないだろうか。
 つまり、経済危機の局面で量的緩和に反対する論者は、「せっかく築き上げた現在の(高)収入をインフレの可能性によって奪われるのは嫌だ」と言っているに等しい。また大恐慌の局面では、日米で量的緩和政策が実施されたが、残念ながらハイパー・インフレは起こっていない。恐慌の局面では、経済全体の稼働率が相当低いところに位置しており、これが通常の経済状況の平均値にキャッチアップするにもかなりの時間を要するためである。


 量的緩和を行えば、ハイパー・インフレが起こる危険がある、として反対する識者も多い。しかし、経済危機の状況下で、そのような危険は問題にならない。反対論の背景には、論者の個人的な都合があるのではないか、と書かれています。



 説得力があります。

 経済が危機的な状況 ( デフレ ) になっているにもかかわらず、ハイパー・インフレになる危険を考えることは、どこか、ナンセンスだと思います。

 たしかに、ハイパー・インフレになるリスクはあります。しかし、なにもしなければ、デフレが継続するのであり、経済をインフレ方向に誘導するのは、「正しい」 方向だと思います。

 反対論は、いわば、「病気の人に、薬を投与すれば、薬の副作用が現れるかもしれない」 と言っているようなものであり、「副作用の可能性を気にしてどうする。病気そのものを治すほうが、さきではないか」 との感を拭えません。



 しかし、現在のグローバル化した世界を考えるとき、日本がデフレを克服し、緩やかなインフレ基調に転換することは、本当に可能なのか、可能であるとして、本当に好ましいことなのか、という疑問は、残ります。

 これは、「病気の人に、薬を投与すれば、薬の副作用が現れるかもしれない」 といった類 ( たぐい ) の批判とは異なります。「風邪で熱が出るのは、発熱で病気を治そうとする正常化作用であって、熱を下げるために薬を投与してはならない」 といった類の批判です。

 要は、デフレを 「異常な状況」 とみるか、「正常化している状況」 とみるか、です。

 これについては、難しすぎて、私にはわかりません。そのうち私見が形成されてくると思います。

ルーズベルトの政策 ( バンク・ホリデー )

2009-11-01 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.108 )

 ルーズベルトが大統領に就任した直後に、アメリカは金融危機に見舞われたとされている。そこでルーズベルトは、就任早々「バンク・ホリデー」を宣言、1週間の一斉休業の間に銀行の統廃合を進め、存続を選択された銀行に対し、RFC(復興金融公庫)を通じて資本注入を行った。金融危機では約2500の銀行が姿を消したが、そのほとんどがルーズベルトのイニシアティブの下、意図的に統廃合の対象とされたものだった。
 この「バンク・ホリデー」のタイミングが1933年3月だったため、この銀行整理の政策が大恐慌克服の鍵であったと指摘する経済学者も、日本には多い。しかしこれは適切ではない。1つの例を挙げて説明しよう。
 読者の皆さんが、世界大恐慌期に生きていた株式投資家であったと仮定してみよう。もし、バンク・ホリデーによる頑強な銀行システムの構築が大恐慌克服の決定打であったならば、あなたはどのような投資行動をとるだろうか。すかさず銀行株を購入するのではないだろうか。それ以前の銀行株が、経営破綻リスクで暴落に次ぐ暴落という状況であれば、なおさらである。
 しかし、この局面での銀行株の上昇は、他のセクターに比べれば小幅にとどまった。また、これをきっかけに銀行による貸し出し等の資金仲介機能、および信用創造機能が回復したわけではなかった(図表4-5)。銀行の経済的機能の回復は、主要な経済指標の底打ちの後のことであった。


 ルーズベルトの行った 「バンク・ホリデー」 期間の銀行統廃合は、じつは大恐慌克服には効果がなかった、と書かれています。



 著者がこのように考える根拠は、銀行株が、バンク・ホリデー後に小幅上昇にとどまったことです。

 しかし、これは根拠たりえないと思います。

 いま、バンク・ホリデーが大恐慌克服に重要な役割を果たしたと仮定します。しかし、その場合であっても、当時の株式投資家にとっては、銀行の統廃合によって大恐慌が克服されるとは 「わからなかった」 ので、銀行株は小幅上昇にとどまった、と考えられます。

 したがって、バンク・ホリデーが大恐慌克服の鍵であったか否かを論じるにあたって、当時、その前後で株価がどう動いたかを根拠にするのは、不適切だと考えられます。



 銀行の整理・統廃合が大恐慌克服に有効だったか否かは、他の要素によって判断すべきではないかと思います。