言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

魚の品質競争

2009-09-10 | 日記
森谷正規 『戦略の失敗学』 ( p.276 )

 そのうえで、価格競争ではなく、品質競争にして、消費者に新鮮な魚を購入してもらうのである。この二つを実現しないと、原油価格の高騰によって漁業は崩壊して、漁獲高は激減して、魚を満足には食べられなくなる。


 消費者に魚を供給するには、漁業を保護しなければならない。そのためには、価格競争ではなく、品質競争にしなければならない、と書かれています。



 引用部に、「この二つ」 とありますが、「この二つ」 とは、上記 「品質競争」 と 「魚の流通構造の改革」 です。



 ここには、「魚を満足には食べられなくなる」 と書かれていますが、これは 「ごまかし」 ではないかと思います。消費者の立場で考えれば、安くて新鮮な魚が輸入されるなら、国内漁業が崩壊してもかまわないはずです。本当に消費者の立場で、消費者保護を考えて書かれた文章 ( 戦略 ) であれば、「価格競争ではなく、品質競争に」 しろ、などとは書けないはずです。したがってこれは、「魚を満足には食べられなくなる」 ことを防ぐための消費者保護策ではなく、漁業者保護策だと思います。

 そこで、これが漁業者の戦略として適切なのか、を考えます。



 「価格競争ではなく、品質競争にして、消費者に新鮮な魚を購入してもらうのである」 とありますが、これは難しいのではないかと思います。業者が 「価格競争ではなく、品質競争に」 持ち込もうと試みる価値はあると思いますが、消費者が乗せられるとはかぎりません。品質と価格、どちらを重視するかは、消費者が判断します。

 たとえば、いま、5 万円程度のノートパソコンが売れているそうですが、日本のメーカーは、当初、「品質競争」 に持ち込むことを狙ったけれども、結局、「価格競争」 になり、日本メーカーも 5 万円クラスのノートパソコンを発売せざるを得なくなったのではないかと思います。

 魚も、「価格競争ではなく、品質競争に」 持ち込もうとしても、持ち込めないかもしれません。そもそも、いまの社会状況で 「価格競争ではなく、品質競争に」 持ち込む戦略が現実的なのか、疑問があります。



 また、「新鮮な魚」 とありますが、これにも疑問を感じます。たしかに日本近海 ( または国内の河川等 ) で獲れた魚は新鮮だとは思います。しかし、( 日本の漁船であっても ) 1 か月程度の漁に出る漁船もあるうえに、鮮度を落とさない技術が発達している今日 ( こんにち ) 、日本の漁船が獲った魚は新鮮で、輸入する魚が新鮮ではない、と考えることは、現実的ではないと思います。



 したがって、この戦略は、試みる価値はあるとは思いますが、失敗する可能性が高いと思います。

魚の流通構造の改革

2009-09-10 | 日記
森谷正規 『戦略の失敗学』 ( p.275 )

 漁業は、生産費に占める燃料費の比率が高い。しかもこの数年、かなり上昇してきており、「水産白書 平成二〇年版」によれば、二〇〇二年には一五~一七%であったものが、二〇〇五年には二四~二五%に高まっている。その後、さらにかなりの程度上昇しているのは確かだ。労務費は平均して三二%ほどであるが、燃料費が倍増すると、漁獲の売上高が同じであれば、労務費の大半を食ってしまう。確かに収入が激減するのであり、やってられないと思うのも無理はない。
 魚を高く売ることができれば収入は増えるのだが、漁業では、魚価は卸市場での入札・セリで決まるために、漁業者の側の自由にはならない。しかも、流通が複雑であり、産地価格つまり漁業者の取り分の小売価格に対する比率が野菜などと比べてかなり少ないのである。この状況も変えることができなければ、収入激減で廃業が急増していくのは避けがたい。
 では、どのような対応があるのか。生産量を増やすのは不可能に近く、経営努力によってコストを下げるのは限界があり、したがって産地価格を上げるしかない。生産者が零細であり、品種が多様で、しかも日による変動が大きいので、基本的には入札・セリ方式を取らざるをえないが、その中でのできるかぎりの合理化を進めるのが不可欠である。つまり、流通の大改革である。最近、スーパーが港に行って船全部の魚を一括購入して、入札・セリには出せない小魚でもうまい方法で店に並べることをしているようだが、こうした新しい流通を大いに促進すべきである。


 漁業では、燃料費が高騰すると、利益が激減する。漁業を維持するためには、魚を高く売るしかないが、魚価はセリで決まるために、漁業者が価格を上げることは不可能である。流通の合理化によって、小売価格に占める漁業者の取り分を増やすことが不可欠である、と書かれています。



 説得力があります。

 漁業の窮状を救うために、どうすればよいのか。気になっていたのですが、流通を合理化すればうまくいきそうです。

 魚にはセリがあるので、流通は合理化されているのかと思っていたのですが、「流通が複雑であり、産地価格つまり漁業者の取り分の小売価格に対する比率が野菜などと比べてかなり少ないのである。」 とあり、魚の流通には、合理化の余地が大きいようです。



 もちろん流通を合理化すれば、流通部門の収益が減ることになりますが、

 魚が基礎的食糧であることを考えれば、漁業者の保護が優先するのではないかと思います。また、野菜などに比べ、流通業者の取り分が多くなっているなら、合理化すべきであると考えられます。さらに、流通の合理化とはすなわち、ムダの排除であり、基本的に好ましい方向性だといえます。



 漁業の窮状を救うには、魚の流通構造の改革を進めればよい。また、そうすべきである、と思います。