紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.42 )
日銀は意図的に株価と地価を下げるという大失敗を犯した、と書かれています。
「意図的に」 株価と地価を下げることが、本当に大失敗、とんでもないことなのか。その部分が、問題になると思います。
著者としては、「意図的に」 下げるなんてとんでもない。それは言うまでもないことであり、あたりまえである、とお考えなのでしょうが、じつは、あたりまえではありません。
株価と地価の上昇が 「異常」 だった、という考えかたをとれば ( これは一般的な見解だと思います ) 、当局がバブルを静める方向に動くのは 「当然である」 と考える余地があります。
景気はよいに越したことはありませんが、( ほとんどの場合は ) バブルはいつか、崩壊します。とすれば、さらにバブルが肥大化したあとで崩壊し、経済に大打撃を与えるのを防ぐために、バブルを沈静化させるというのも、ひとつの考えかただと思います。
当局がなにもしないで放っておいて、さらにバブルが拡大したあとで ( 自然に ) 崩壊した場合、著者は、どう考えるのでしょうか。なぜ、もっと早く手を打たなかったのか、と批判されるのでしょうか。著者の批判は、一見説得的ですが、じつは説得力に欠けるのではないかと思います。
驚くべきことだが、三重野康(みえのやすし)日銀総裁は、「日本の株価と地価を半分に下落させる」と宣言し、実行した。株価と地価を暴落させれば何が起きるか、いまや素人でも知っていよう。
しかし、金融の専門家であるはずの日銀総裁が、それを理解していなかった。日本経済の安定をめざすべき金融政策の責任者が、株価と地価を意図的に暴落させ、日本経済を崩壊へと導いたのである。
日銀の "最大" の失敗は、低金利を続け、バブルを生じさせたことではない。急激な金利上昇によって、意図的にバブルを破裂させたことである。破裂してからもなお金利を上げ続け、回復不能なまでに株価と地価を暴落させたのだ。単なる政策の遅れ、失策ではない。意図的、意識的な逆噴射だったのである。
ルーブル合意後、2年以上にわたって続けてきた2・5%の政策金利を、日銀がようやく引き上げたのは、平成元年5月末のことだ。ちなみに、2・5%の金利は、当時、「超低金利」と言われていた。その後まさか超・超低金利である、ゼロ金利時代が来るとは誰も思わなかったであろう。
日銀は10月、12月とさらに金利を上げ続けた。平成2年正月からの株価下落は、その効果の現われと思われた。ふつうの国のふつうの政策当局なら、その効果を見極めるところだが、日銀はそうはしなかった。
3度の利上げにもかかわらず、年末まで株価が上昇し続けたことを、日銀は苦々しく思っていたのかもしれない。年が明け、ようやく下がり始めた株価は、日銀にとって、慎重に見守るべき対象ではなく、叩き潰すチャンスと見えたのだろう。
株価がすでに2割近く下落していた平成2年3月、日銀は、一気に1%という大幅な利上げを行い、8月にも0・75%の利上げを断行した。
(中略)
風が吹いただけでも破裂しかねない、パンパンに膨らんだ風船に、大鉈(おおなた)を振り下ろしたのである。風船は破裂し、空を切った鉈は、実体経済に深いひびを入れた。底割れになるのは時間の問題だった。三重野総裁の辞書に、ソフト・ランディングという言葉はなかったのだ。
日銀は意図的に株価と地価を下げるという大失敗を犯した、と書かれています。
「意図的に」 株価と地価を下げることが、本当に大失敗、とんでもないことなのか。その部分が、問題になると思います。
著者としては、「意図的に」 下げるなんてとんでもない。それは言うまでもないことであり、あたりまえである、とお考えなのでしょうが、じつは、あたりまえではありません。
株価と地価の上昇が 「異常」 だった、という考えかたをとれば ( これは一般的な見解だと思います ) 、当局がバブルを静める方向に動くのは 「当然である」 と考える余地があります。
景気はよいに越したことはありませんが、( ほとんどの場合は ) バブルはいつか、崩壊します。とすれば、さらにバブルが肥大化したあとで崩壊し、経済に大打撃を与えるのを防ぐために、バブルを沈静化させるというのも、ひとつの考えかただと思います。
当局がなにもしないで放っておいて、さらにバブルが拡大したあとで ( 自然に ) 崩壊した場合、著者は、どう考えるのでしょうか。なぜ、もっと早く手を打たなかったのか、と批判されるのでしょうか。著者の批判は、一見説得的ですが、じつは説得力に欠けるのではないかと思います。