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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

競争否定論は談合肯定論である

2009-09-13 | 日記
個人発明家blog」 の 「浜矩子さんのグローバル経済批判

文芸春秋10月号の、エコノミスト(兼 同志社大教授)浜矩子さんの主張は、ユニクロを例にして、ある企業が価格破壊を起こすと他の企業も価格破壊で対抗するので、どの企業も利益が削られて、どの企業の従業員も低賃金になり、従業員=消費者としても安い価格のものしか買えなくなり、皆が不幸になる、今のグローバル資本主義では「自分さえ良ければ」という気持ちで皆が動く(例えば自社だけでも生き残ろうとして価格破壊をする)ことによる合成の誤謬で皆が不幸になるから、「自分さえ良ければ」ではなく「他人のために」という気持ちで行動すべきというような内容だったと思う(立ち読みで、細かいところは覚えていない)。


 浜矩子さんが、価格競争は 「自分さえよければ」 という気持ちの現れであり、好ましくない、と述べている旨、書かれています。



 この主張は、いってみれば、「業界で談合すればよい」 と主張しているのと同じです。建設業界では談合がみられましたが、その論理も、「競争すれば価格が下がって、倒産する会社が出る」 ので、「談合して利益を確保しよう」 というものでした。

 以前、宮崎県知事選で、「談合も必要」 と主張した候補者がいました ( 当選しました ) が、業者にとっては、談合は好都合です。競争をしなくてすみます。

 しかし、談合が禁止されているのは、談合による、消費者の、あるいは税金を納める国民の不利益を防ぐためだと思います。浜さんの主張は、「消費者に高価格で買わせて、( 業者や、従業員の利益のために ) 消費者に不利益を押しつけよう」 というものにほかならず、談合を禁止した法の趣旨に反しています。



 どちらかといえば、浜矩子さんの意見のほうが、「自分たち業者や、自分たちの従業員さえよければ」 という気持ちの現れであり、これこそが、「自分 ( たち ) さえよければ」 という考えかたにほかならないと思います。「他人のために」 行動するとは、消費者のために、競争をして価格を下げるなり、品質を上げるなりすることのはずです。

 したがって、浜さんの意見は、倫理的・論理的に 「おかしい」 というか、ズレていると思います。



 そもそも、グローバル化の進んだ世界では、国内で競争を回避したところで、安価な輸入品が入ってくれば、競争回避の企みは失敗します。

 したがって、デフレ脱出のための、デフレ脱出までの限定的手段として考えても、競争回避は不適切ではないかと思います。



■追記
 談合によって消費者の不利益を防ぐ、と書いていたのを、談合による消費者の不利益を防ぐ、に訂正しました。書いたあと、挿入等の処理を行ったための誤記です。なお、このブログは 「24 時間ルール」 のもとに運営しています。

構造改革否定論の概要

2009-09-13 | 日記
紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.20 )

「もし、所得が今の2倍だったら」と考えたことはないだろうか。実は「改革」さえ行わなければ、私たちの所得は軽く2倍を超えていたはずなのである。
 平均的日本人の所得は、この20年ほとんど横ばいだ。それでも、多くの人は、それを不満に思っていない。こんなものだと思っている。
 でも、それは、重大なことを知らされていないからだ。世界の平均所得が、20年間で2倍以上になったという事実である。
 中国やインドや、最気元気なロシアやブラジルなど、新興国経済だけの話ではない。先進国クラブであるOECD加盟国の平均も、ほぼ世界平均と同じなのである。伸び盛りをすでに過ぎた先進老大国でさえ、日本よりずっとましなのだ。
 もし平成の日本が、世界の平均的成長を遂げていれば、日本人の所得も2倍を超えていたはずだ。もちろん物価も上がっているだろうが、インフレより得所の伸びの方がずっと大きいから、私たちの生活は、今よりかなりゆとりあるものになっていただろう。
 ワーキングプアもこんなに多くはなく、若者も今よりは将来に夢を持てたろう。大多数の国民が老後に不安を感じる事態も避けられ、時折ニュースで流れる餓死者も死なずに済んだはずだ。
 税収も増えるから財政赤字もこれほど拡大せず、年金・医療などの社会保障もここまで削られなかったろう。社会にゆとりがあれば、不況型犯罪も減り、世の中はもう少し平和だったかもしれない。地方の疲弊がこんなに深刻化することもなかった。

(中略)

 はっきり言って、平成が異常なのである。世界の動向を知らなければ、現状に疑問を持たないのは無理もないが、平成の20年間の経済は、過去の日本と比べても、世界平均と比べてもきわめて異例、大例外なのである。
 日々の生活は横ばいだから、国内を見る限り悪化しているとは思わない。しかし、世界はその間も2倍以上に成長し、その結果、世界の中での日本経済の相対的位置は恐ろしく低下した。


 先進国も含めて、世界の国々はこの 20 年で、所得が 2 倍になった。にもかかわらず、日本では所得が変わっていない。その原因は 「改革」 である、と書かれています。



 これは、この本 『平成経済20年史』 の冒頭を飾る一文です。ここには、この本全体の内容が示されています。すなわち、

 (1) 世界の国々では、所得が 2 倍になっているにもかかわらず、日本では、所得が変わっていない。したがって、日本人は 「相対的に」 貧しくなっている。

 (2) その原因は何か。日本が先進国になり、成長が止まったからではない。なぜなら、他の先進国では、新興国同様、所得が 2 倍になっているからだ。

 (3) それでは、なぜ、日本では所得が増えなかったのか。その原因は、日本がこの 20 年、「改革」 を行ってきたからである。

 (4) つまり、「改革」 をしなければよかったのであり、「改革」 こそが諸悪の根源である、

といったことが、この本には書かれています。



 私は、改革には賛成ですが、改革こそが諸悪の根源である、と説かれているのなら、内容を吟味しなければならない、と思います。

 ( この本の ) 著者に反論するためではありません。著者の言い分に耳を傾け、理があるなら、改革反対派に転じなければならない、と考えるからです。



 そこで、日本現代史 ( 改革史 ) のまとめも兼ねて、次は、この本を引用します。