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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

畜産品価格上昇の影響

2009-09-09 | 日記
森谷正規 『戦略の失敗学』 ( p.274 )

 さらには、畜産品の価格の上昇を、国民に認めてもらわねばならない。産品の価格をかなり上げることができなければ、やはり経営は成り立たない。長期にわたって価格が上がらない鶏卵は物価の優等生と褒め称えられてきたが、もはや限界に違いない。豚肉、牛肉も、より美味しいものにして高く買ってもらう。この二つが実現できなければ、多くの畜産業は廃業するしかない。


 畜産品の価格上昇を、国民に認めてもらわねばならない。価格をかなり上げることができなければ、多くの畜産業は廃業するしかない、と書かれています。



 この記述は、ナンセンスだと思います。

 冒頭、「畜産品の価格の上昇を、国民に認めてもらわねばならない」 とありますが、認めてもらう必要はありません。飼料用穀物の価格が上昇すれば、必然的に、畜産品の価格は上昇します。畜産品の価格上昇を 「国民に認めてもらわねばならない」 のではなく、「国民は、認めるしかない」 のです。国民は、畜産品の価格上昇を 「受け入れるしかない」 のです。

 そして、( 国民が ) 価格が高すぎて買えない、というのであれば、買わなければよいのです。これについては、すでに、「飼料用穀物の自給について」 に述べています。

 これは、「貧乏人は麦を食え」 ということとは、異なります。「コメ」 とは異なり、「畜産品」 は高級品・贅沢品だと思います。私が言っているのは、日本に経済力があれば、畜産品は買えるはずであり、また、逆に経済力がなければ ( なくなれば ) 、畜産品などという高級品・贅沢品には需要がなくなる、ということなのです。万一、日本に経済力がなくなり、国が貧しくなったときに、国民が政府に、国債を発行して ( 借金を増やして ) 補助を行い、畜産品を安く提供せよ、と要求するなら、その要求そのものが 「おかしい」 と思います ( 日本に経済力があれば、畜産業者保護のために補助を行う選択もありうると思います ) 。



 また、「豚肉、牛肉も、より美味しいものにして高く買ってもらう」 とありますが、「より美味しいもの」 でなくとも、価格が上昇すれば、国民には、「買うか、買わないか」 しか選択肢がありません。ほしければ、味が変わらなくとも買うしかありません。また、買えなければ、買わない。ほかに選択肢はありません。

 そして、国民が買わなければ ( 買えなければ ) 、多くの畜産業は廃業するしかありません。需要がなければ、廃業するのは当然です。もちろん、国民が買えば ( 買えれば ) 、多くの畜産業は生き残ります。その、どちらになるかは、日本の経済力がどうなるか、にかかっています。

 したがって、畜産業について考えるときに重要なのは、飼料用穀物の自給率ではなく、日本が経済成長を続けるかどうかだと思います。



■追記
 鶏卵・鶏肉・牛乳等については、高級品・贅沢品ではない、と考える余地がありますが、国全体が貧しくなれば、そんなことは言ってられません。必要であれば、消費量を減らすことで対応するしかないと思います。

飼料用穀物の自給について

2009-09-09 | 日記
森谷正規 『戦略の失敗学』 ( p.273 )

 日本の畜産は、戦後しばらくして発展してきたが、当時の急速な所得向上による需要急増に応えるために、購入飼料に依存する「加工型畜産」になり、その購入先は外国であった。飼料の自給率は一九六〇年には六三%であったが、二〇〇六年には二五%にまで低下している。四分の三も外国に依存しているのであり、世界的な飼料高騰の影響は非常に大きい。

(中略)

 畜産業では、「加工型畜産」によって生産費に占める飼料費の比率が高く、肉用牛は三割ほどだが、酪農は五割に近く、養豚、ブロイラーは六割を超える。したがって飼料が高騰すれば、収入は激減し、廃業せざるをえなくなる。
 では、いかなる対応策があるのか。まず、増え続ける耕作放棄地を活用して、飼料用穀物を生産し、飼料の自給を進めることだ。いまは、耕作を放棄しながら土地が高く買われるのを待って貸しもしない農家が多いのだが、税を高くするなど何らかの罰則を設けて、耕作放棄農家が土地を提供せざるをえない制度を作ることが必要だ。一方で飼料用穀物を生産する農業企業体を数多く生み出して、経営が成り立つ制度を作る。つまり、企業体と畜産業にとっての適切な飼料価格にするための助成が不可欠である。


 畜産業においては、生産費の大部分が飼料費である。したがって、飼料の大部分を輸入に頼っている日本では、世界的な飼料価格高騰の影響が大きい。飼料の自給を進めるべきである、と書かれています。



 この部分、論理に飛躍があると思います。その根拠を述べます。

 世界的に飼料価格が高騰すれば、国内での飼料価格も高騰するはずです。とすれば、たとえ飼料用穀物を自給したところで、その価格は高騰します。生産費の大部分を占める飼料費が ( 大幅に ) 上昇することには変わりなく、( 飼料の自給をしたところで ) 畜産業が成り立たなくなる、という予想は変わらないはずです。



 それでは、飼料用穀物の自給について、どう考えるべきか。次に、それについて考えます。

 そもそも、畜産品は 「なければ困る」 というものではありません。食品としては、高級品の部類に入ると思います。その証拠に、「急速な所得向上による需要急増」 と書かれています。所得が向上しなければ、需要は増えないのであり、経済的な余裕が生じたときに、需要が高まる性質の食品なのです。

 したがって、

   畜産製品も、飼料用穀物も、手に入らなくなっても、とりたてて困ることはない

のであり、対策は急を要するものではありません。また、( 畜産品・飼料用穀物の ) 輸出国が、自国民への供給を優先して ( 畜産品・飼料用穀物を ) 輸出しないことも、考えられません。なぜなら、「なくても困らない」 からです。

 要は、「金があれば買える」 のであり、「 ( 高すぎて ) 買えなければ、それでよい」 と思います。

 日本に経済力があれば、なにもしなくとも、畜産品・飼料用穀物は手に入る。経済力がなければ、高級食品たる畜産品に需要はない。さらに、なくても困らない以上、食糧安保の観点も、とりたてて問題にはならない、と思います。



 もっとも、税制の変更 ( …に伴う農地提供 ) などによって、飼料用穀物・畜産製品を安く供給しうるなら、それに越したことはありません。したがって、上記は、その方向での対策を否定するものではありません。



■追記
 トウモロコシは人間も食べる、という批判はありうると思いますが、輸出国が輸出しなくなり、手に入らなくなったなら、それはそれでよい、と思います。