紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.31 )
1985 年のプラザ合意によって、日本は円高不況に陥った、と書かれています。
さき ( 未来 ) のことはわかりませんが、おそらく、円高になるのではないかと思います。とすると、上記、「円高不況」 への対処も、今後の日本にとって、参考になるものがあるのではないか、と思います。
それはともかく、今日はとくに書きたいことがありません。プラザ合意について、書きたいことがないのなら、なぜ書いたのか、ですが、「このあと ( 続き ) で書きたいことがあり、その前置き」 として書いています。
というわけで、今日はこのへんで。。。
昭和60年(1985)9月、米国は、輸出を増やすべく、G5各国にドル安への協調介入を要請した。「プラザ合意」である。結果、日本は嵐のような急激な円高に見舞われ、「円高不況」に陥った。1年足らずの間に30%以上という前代未聞の円高だ。しかし、日本企業はなんとかこれを乗り切って、世界を驚かせたのである。
プラザ合意はある意味で成功しすぎた。ドル安は、米国の貿易赤字を解消せず、米国からの資金流出を招いたのだ。他国の資金なしには立ち行かない米国経済は、自らが望んだドル安で新たな問題を突きつけられた。
1985 年のプラザ合意によって、日本は円高不況に陥った、と書かれています。
さき ( 未来 ) のことはわかりませんが、おそらく、円高になるのではないかと思います。とすると、上記、「円高不況」 への対処も、今後の日本にとって、参考になるものがあるのではないか、と思います。
それはともかく、今日はとくに書きたいことがありません。プラザ合意について、書きたいことがないのなら、なぜ書いたのか、ですが、「このあと ( 続き ) で書きたいことがあり、その前置き」 として書いています。
というわけで、今日はこのへんで。。。