森谷正規 『戦略の失敗学』 ( p.194 )
世襲議員が現れる背景と、世襲議員が有力議員や首相になる原因が書かれています。
要は、後援会そのものがいろいろな集団の寄り集まりであり、( 議員が引退する際に ) 次の候補者として、「無難な選択」 として、議員の息子が選ばれる。そこでは、能力も志も問われていない。したがって、議員の質は劣化する。さらに、世襲議員は格を上げやすく、閣僚や首相になりやすい、という話です。
おそらく、書かれている通りなのだろうと思います。
しかし、ひとつ、疑問があります。「領袖が派閥を率いていた時代には、世襲などはまったくなくて、みな実力でのし上がってきた者ばかりであった」 のは、なぜなのか。それがわかりません。上記記述には、その説明が欠けています。
選挙区内に自民党の候補者が何人いるか。その差が、議員になる際に、「苦闘」 の有無となって効いてくるのかもしれませんが、そうであれば、派閥について書く際に、選挙制度についても書かれているはずです。また、小選挙区制になる前にも、世襲議員はいたはずです。したがって、この説明には、釈然としないものが残ります。
この本、「戦略の 『失敗』 」 事例として自民党が取り上げられていますが、選挙前に出版されています。自民党の敗因については、さまざまな研究がなされると思いますので、それらを読みつつ、考えたいと思います。
もう一つの問題、なぜ首相たるべき人材が自民党に現れないのか。それにはやはり、派閥と後援会が深くからんでいる。
後援会では、応援してきた議員が引退する場合に、後継者をいかに選ぶのか、誰にするのか。さまざまな候補がいるだろうが、後援会はいろいろな集団が寄り集まったものである。その集団はそれぞれに性格が異なっており、候補者として望ましい人物は異なるだろう。能力ではなく、自分たちに近い者を推そうとするからだ。したがって、まとまりがつかない。後援会には一般に、強力なリーダーシップを取る者はなく、したがって、調整ができない。
そこで、引退する議員の息子が浮かび上がってくる。息子であれば誰も反対することはできず、最も無難な選択である。地元では親父の名前が通っていて、カンバンにもなる。そこで、当人は政治家にはなりたい気持ちがなくても、強引に説得することになる。福田康夫はそのようであり、まして首相になるとは思いもしなかったのだろう。
こうして無難な選択をするのであるから、きわめて優秀な人材を発掘して育てていくことなどはできない。二世議員あるいは三世議員の世襲議員ばかりが増えていって、素質の劣化が進むことになる。まったくの実力で勝ち抜いてきた経験がないので、ひ弱でもある。なんだか自民党は、時を経て劣性遺伝になったようである。
領袖が派閥を率いていた時代は、世襲などはまったくなくて、みな実力でのし上がってきた者ばかりであった。池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、みなそうであり、いわば立志伝中の人たちだ。いま政治の世界で、この言葉は死語になってしまったが、何が違うかと言えば、長い苦闘の時代があったか、なかったかである。
世襲議員に苦闘はない。選挙の苦労もほとんどなく、早ければ三〇歳前後で国会議員になって、議員バッジをつけて地元ではちやほやされる。党では、派閥が新人議員の教育をやってくれる。それは、手取り足取りの実地教育であり、型にはめることになりがちである。野生味がある型破りの男や女は、世襲議員には生まれないのだ。
(中略)
だが、苦労しなくていい世襲議員は汚いことに手を出す必要はなく、失脚するとすれば、国際会議後の記者会見で風邪薬か酒かで朦朧として、世界中に恥をさらすようなことをやってしまった場合である。こうして、苦闘しなかった議員が生き残るのだ。さて、あの朦朧議員の後援会は、これからもぶら下がろうとするのだろうか。
こうした世襲議員の中でも、首相や党の最高幹部の重責を担った者の息子は、格を上げていくのに有利である。そこで、格別に優秀な人間でないのに、漢字を読むのを間違えることが少なくないのに、首相にまでなる。したがって、首相たる「能力に欠ける」のであり、わずかの間だけ首相を務めて、ちょっとしたことで辞めざるをえなくなるのも当然だ。
自民党が再生できるとすれば、これまでの構造には頼らないオバマ型のトップが必要になる。
世襲議員が現れる背景と、世襲議員が有力議員や首相になる原因が書かれています。
要は、後援会そのものがいろいろな集団の寄り集まりであり、( 議員が引退する際に ) 次の候補者として、「無難な選択」 として、議員の息子が選ばれる。そこでは、能力も志も問われていない。したがって、議員の質は劣化する。さらに、世襲議員は格を上げやすく、閣僚や首相になりやすい、という話です。
おそらく、書かれている通りなのだろうと思います。
しかし、ひとつ、疑問があります。「領袖が派閥を率いていた時代には、世襲などはまったくなくて、みな実力でのし上がってきた者ばかりであった」 のは、なぜなのか。それがわかりません。上記記述には、その説明が欠けています。
選挙区内に自民党の候補者が何人いるか。その差が、議員になる際に、「苦闘」 の有無となって効いてくるのかもしれませんが、そうであれば、派閥について書く際に、選挙制度についても書かれているはずです。また、小選挙区制になる前にも、世襲議員はいたはずです。したがって、この説明には、釈然としないものが残ります。
この本、「戦略の 『失敗』 」 事例として自民党が取り上げられていますが、選挙前に出版されています。自民党の敗因については、さまざまな研究がなされると思いますので、それらを読みつつ、考えたいと思います。