言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

世襲議員が現れる背景

2009-09-05 | 日記
森谷正規 『戦略の失敗学』 ( p.194 )

 もう一つの問題、なぜ首相たるべき人材が自民党に現れないのか。それにはやはり、派閥と後援会が深くからんでいる。
 後援会では、応援してきた議員が引退する場合に、後継者をいかに選ぶのか、誰にするのか。さまざまな候補がいるだろうが、後援会はいろいろな集団が寄り集まったものである。その集団はそれぞれに性格が異なっており、候補者として望ましい人物は異なるだろう。能力ではなく、自分たちに近い者を推そうとするからだ。したがって、まとまりがつかない。後援会には一般に、強力なリーダーシップを取る者はなく、したがって、調整ができない。
 そこで、引退する議員の息子が浮かび上がってくる。息子であれば誰も反対することはできず、最も無難な選択である。地元では親父の名前が通っていて、カンバンにもなる。そこで、当人は政治家にはなりたい気持ちがなくても、強引に説得することになる。福田康夫はそのようであり、まして首相になるとは思いもしなかったのだろう。
 こうして無難な選択をするのであるから、きわめて優秀な人材を発掘して育てていくことなどはできない。二世議員あるいは三世議員の世襲議員ばかりが増えていって、素質の劣化が進むことになる。まったくの実力で勝ち抜いてきた経験がないので、ひ弱でもある。なんだか自民党は、時を経て劣性遺伝になったようである。
 領袖が派閥を率いていた時代は、世襲などはまったくなくて、みな実力でのし上がってきた者ばかりであった。池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、みなそうであり、いわば立志伝中の人たちだ。いま政治の世界で、この言葉は死語になってしまったが、何が違うかと言えば、長い苦闘の時代があったか、なかったかである。
 世襲議員に苦闘はない。選挙の苦労もほとんどなく、早ければ三〇歳前後で国会議員になって、議員バッジをつけて地元ではちやほやされる。党では、派閥が新人議員の教育をやってくれる。それは、手取り足取りの実地教育であり、型にはめることになりがちである。野生味がある型破りの男や女は、世襲議員には生まれないのだ。

(中略)

 だが、苦労しなくていい世襲議員は汚いことに手を出す必要はなく、失脚するとすれば、国際会議後の記者会見で風邪薬か酒かで朦朧として、世界中に恥をさらすようなことをやってしまった場合である。こうして、苦闘しなかった議員が生き残るのだ。さて、あの朦朧議員の後援会は、これからもぶら下がろうとするのだろうか。
 こうした世襲議員の中でも、首相や党の最高幹部の重責を担った者の息子は、格を上げていくのに有利である。そこで、格別に優秀な人間でないのに、漢字を読むのを間違えることが少なくないのに、首相にまでなる。したがって、首相たる「能力に欠ける」のであり、わずかの間だけ首相を務めて、ちょっとしたことで辞めざるをえなくなるのも当然だ。
 自民党が再生できるとすれば、これまでの構造には頼らないオバマ型のトップが必要になる。


 世襲議員が現れる背景と、世襲議員が有力議員や首相になる原因が書かれています。



 要は、後援会そのものがいろいろな集団の寄り集まりであり、( 議員が引退する際に ) 次の候補者として、「無難な選択」 として、議員の息子が選ばれる。そこでは、能力も志も問われていない。したがって、議員の質は劣化する。さらに、世襲議員は格を上げやすく、閣僚や首相になりやすい、という話です。

 おそらく、書かれている通りなのだろうと思います。



 しかし、ひとつ、疑問があります。「領袖が派閥を率いていた時代には、世襲などはまったくなくて、みな実力でのし上がってきた者ばかりであった」 のは、なぜなのか。それがわかりません。上記記述には、その説明が欠けています。

 選挙区内に自民党の候補者が何人いるか。その差が、議員になる際に、「苦闘」 の有無となって効いてくるのかもしれませんが、そうであれば、派閥について書く際に、選挙制度についても書かれているはずです。また、小選挙区制になる前にも、世襲議員はいたはずです。したがって、この説明には、釈然としないものが残ります。



 この本、「戦略の 『失敗』 」 事例として自民党が取り上げられていますが、選挙前に出版されています。自民党の敗因については、さまざまな研究がなされると思いますので、それらを読みつつ、考えたいと思います。

行政指導は明確でなければならない

2009-09-05 | 日記
経済改革研究会 『規制緩和について ( 中間報告 )』 ( 平成 5 年 11 月 8 日 )

Ⅲ. 規制緩和の効果を高めるために

(中略)

3. 規制及び行政指導の運用の迅速性、透明性を確保するため、「行政手続法」の的確な運用を図る。規制は個々の法律を根拠として行われるものであり、政府は法律が定める以上の規制を行ってはならない。また、行政指導は違法に行ってはならない。行政指導はその内容と責任者が相手方に明確に示される必要がある。さらに、それは相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであるから、相手方が行政指導に従わなかったことを理由に不利益な取扱いをしてはならない。政府は、このことを特に地方支分部局の行政窓口をはじめ政府部内に徹底させる必要がある。


( 上記は、内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 から引用しています )

 迅速性、透明性を確保するため、( 政府は法律が定める以上の規制を行ってはならない旨のほか ) 行政指導について、違法に行ってはならず、指導の内容と責任者が相手方に明確に示される必要がある。行政指導に従うか従わないかは相手方の任意であるから、行政指導に従わない場合であっても、不利益な取扱いをしてはならない、と書かれています。



 これは、いわば 「当たり前」 のことだと思いますが、それが 「わざわざ明記されている」 ところに、意味があります。

 「当たり前」 のことが、なぜ、明記されているのか。それはわかりませんが、おそらく、「政府は、このことを特に地方支分部局の行政窓口をはじめ政府部内に徹底させる必要がある。」 と明記されていることから考えて、「これまで、その当たり前のことが実践されてこなかったから」 ではないかと思われます。



 なぜ、あいまいな行政指導が問題なのか。また、なぜ、不利益を取扱いをしてはならないのか。それを考えるために、私が経験した例を書いてみます。といっても、私は行政に対して不満はありませんから、行政相手の例ではありません。

 先日、「規制緩和は構造改革の一環にすぎない」 に、私の経験を書きました。その裏側を少しだけ、書いてみます。

 これまでに書いた事実 ( 概要 ) は、次のとおりです。

  1. 弁護士から、一方的に 「君のためだ!」 とカネを振り込まれ、私は困った。
  2. 何度か、「カネはいりません」 と伝えようとしたが 「議論する気はないんだ!」 と怒鳴られた。
  3. そこで、遠まわしに、「迷惑なのですが…」 と伝えたところ、無視された。
  4. その約 1 か月後、公的機関に事実関係を伝える期限直前に電話したところ、「なんだ~あ? あれは? 迷惑だと言ってるのと同じじゃないか! 温情だーーっ!!」 と怒鳴られた。

 じつは、これまで書いていなかったのですが、電話する前日、その弁護士と、実際に会っています。その際、弁護士から、カネをやったのだから 「ある事柄」 を公的機関に伝えないように、と 「暗に」 要求されたのです。私はその申し出を承諾しなかったのです。

 さて、この事実を含めて考えると、弁護士が一方的にカネを振り込んできたのは、私に、「ある事柄」 を公的機関に伝えさせないため、と考えることもできます。だから、なにがなんでも、「君のため」 という口実で、私にカネを受け取らせる必要があった。そして、露骨に要求するわけにはいかないために、「暗に」 要求してきたが、私が承諾しなかったので、弁護士は焦って、「なんだ~あ? あれは? 迷惑だと言ってるのと同じじゃないか! 温情だーーっ!!」 と怒鳴った。そう考えられるのです。

 そもそも、「君のため」 だと思っていたのであれば、「議論する気はないんだ!」 と怒鳴らないのが自然です。また、遠まわしに 「迷惑なのですが…」 と伝えた時点で、「迷惑だったのですか?」 と、尋ねてくるのが自然です。ところが、尋ねてこないばかりか、無視したうえに、「なんだ~あ? あれは? 迷惑だと言ってるのと同じじゃないか! 温情だーーっ!!」 と、怒鳴っているわけです。

 したがって、「君のため」 というのは 「口実」 で、実際は 「ある事柄」 を、公的機関に伝えさせないためだった、と考える余地があります。

 このように、( 暗に伝える ) 「あいまい」 な要求は、相手に、真意について 「疑惑」 を持たせます。その要求に従わない場合に怒鳴る、というのも、相手に 「疑惑」 を持たせます。「公正さが疑われる」 のです。

 したがって、公正さを確保するために、あいまいな行政指導は行ってはならず、また、指導に従わなかったからといって不利益を取扱いをしてはならない、と考えられます。



 この規定ひとつを取っても、この中間報告はかなりよく練られているのではないかと思います。



 なお、私の経験についての解釈ですが、これはあくまで、「私の解釈」 にすぎません。その弁護士が 「君のため」 を 「装って」 事実を隠そうとしていた、とする解釈には合理性があるとは思いますが、この解釈が間違っている可能性もあります。その旨、注記します。

 また、リンクをたどっていけばわかりますが、その弁護士というのは、一弁 (第一東京弁護士会) の湯山孝弘弁護士です。もし、湯山孝弘弁護士において、この解釈は誤解だ、と主張されたいのであれば、コメントしていただければと思います。私としても、この解釈が誤解だとなれば、( 配慮する必要がなくなり ) もっと明快に書けますから、とても助かります。