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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

雇用関係の質的変化

2009-09-04 | 日記
内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 ( p.149 )

 かつて資本家と個々に契約を結んでいた個人が、劣悪な労働条件を改善するために集団で交渉をするということが労働組合の起源であった。日本の場合、この労働組合が職能別組合にならず、会社ごとの組合となり、労使が一体となって家族的な和をつくっていくという形で、良くも悪しくも日本型経営の根幹となった。日本航空客室乗務員組合は、九七年には約六千人いた正社員が四千三百人に減り、二千名が契約社員におきかわると試算しているが、こうした契約社員が雇用の大部分を占めるようになった時、かつての労使が一体となった家族主義というようなものは崩壊していかざるをえないだろう。組織化されない契約社員はまさに個人として会社と契約を結んでいくことになる。そこには家族主義などというものが相いれる余地はなく、根無し草的な契約関係のみが両者の間に存在するだけである。労働学者はかつて、資本主義が高度になるにしたがって、労働者は個々で契約を結んでいたものが、ますます集団となって会社側と契約を結ぶようになる、つまり労働組合は資本主義の進化とともに強くなっていくと考えていたが、実際は逆になっていっているわけだ。


 正社員が契約社員に置き換えられつつあり、かつての家族主義は崩壊していかざるをえない。両者は契約関係のみの関係になる、と書かれています。



 家族主義がなくなり、契約関係のみの関係になる。それのどこが問題なのかが、わかりません。資本主義である以上、契約関係のみの関係であっても、なんら問題はないと思います。

 家族主義というと聞こえがいいですが、要は、「ムラ社会」 であり、資本主義にはそぐわない、悪しき風潮である、と考える余地があります。

 「日本の場合、この労働組合が職能別組合にならず、会社ごとの組合となり、労使が一体となって家族的な和をつくっていくという形で、良くも悪しくも日本型経営の根幹となった」 背景には、日本人が、契約関係に基づく資本主義を望んではおらず、「ムラ社会」 を望んでいた側面も、あったのではないかと思います。

 日本人は、「私生活の相談に乗ってくれる上司」 だとか、「気持ちをわかってくれる上司」 を好む、という話がありますが、これは 「ムラ社会」 ゆえ、だと考えられます。これがよくない、とまでは言いませんが、本来、会社は仕事をする場所なのですから、このような上司が好まれる、というのは、ある意味、従業員が 「甘えている」 ともいえます。

 このような観点でみれば、家族主義が崩壊することは、好ましい現象である、と捉えることも可能です。家族主義が崩壊して、契約関係に基づく関係になることに対して、積極的な評価がなされてもよい、と思います。

 家族主義が悪いと言っているのではありませんが、家族主義が失われるのはよくない、と決めつけるのではなく、契約関係のみの関係をもっと評価してもよいのではないか、と思います。



 なお、「資本主義が高度になるにしたがって、労働者は個々で契約を結んでいたものが、ますます集団となって会社側と契約を結ぶようになる、つまり労働組合は資本主義の進化とともに強くなっていくと考えていたが、実際は逆になっていっている」 とありますが、現在は、会社ごとの組合が崩壊しつつあり、職能別組合への移行期であるための現象にすぎないのではないか ( したがって労働者に不利な変化だとはかぎらない ) 、と考えられます。

独占禁止法第 9 条

2009-09-04 | 日記
内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 ( p.105 )

 中でも興味を引くのが、中内氏が第四回と第五回の会合で二度も、独占禁止法の第九条の見直しを主張し、中谷氏もこれに同調していることだ。
 その独占禁止法の第九条とは、
〈持株会社は、これを設立してはならない〉というものである。
 これを撤廃せよ、というのはつまり独占禁止法の強化ではなく緩和だ。
 持ち株会社の条項は、まさに、中小と大手の競争を真の意味で公正にするためにもうけられたものだ。
 私たちは、この持ち株会社条項の意味について、一九七七年の独占禁止法の改正にスタッフとして加わった公正取引委員会委員、及び学者の二人に話を聞いたが、二人ともにこの持ち株会社条項の撤廃には反対だった。
 その理由はこういうことである。
 つまり、競争というのはA社が小売業界なら小売業界で、単独の意思で利益を極大化するように動くのが望ましいのである。
 仮に、ここにA社の持ち株会社Xが認められたとする。X社はA社だけではなく、不動産業を営むB社、金融業を営むC社、旅行業を営むD社、情報産業を営むE社他、たくさんの会社を持っている。X社は、配下の企業グループの株を直接取得しているわけだから、強烈な垂直的支配権を確立することができる。
「こうなると、それまでそれぞれの市場で単独に動いていた各社がX社の意向に応じて動くようになるわけです。たとえば、グループ内取り引き。C社は損だとわかっていても非常に低利で、苦戦する小売業A社に金を貸し付ける。不動産業者B社は、小売業者A社のために無理な土地取得をし開発をする。こうなると、コングロマリットの背景を持たない他社は小売りの分野においてA社にかなうわけはない。このA社に対抗できるのは、やはり同じようにコングロマリットの背景がある会社だけということになります」(学者)


 持ち株会社禁止条項を撤廃すれば、公正な競争が成り立たなくなる、と書かれています。



 この主張には、説得力があります。たしかに、持ち株会社を認めれば、公正な競争が成り立たないと思われ、したがって認めてはならない、と考えられます。

 しかし、ここでわからないのは、なにも持ち株会社の形態をとらなくとも、( 大手としては ) 吸収合併してしまえば、上記、コングロマリットとおなじ効果が得られるのではないか、と思われることです。事業部制によって、( コングロマリットと ) 同様の効果が得られるはずです ( 税法上の扱いなどが異なってくる可能性はあります ) 。

 また、コングロマリットが本当に有利なのか、やや疑問があります。一般に、コングロマリット企業は株価が安くなりがちだ、とされています ( コングロマリット・ディスカウント ) 。つまり、持ち株会社は、企業規模の拡大やマーケット・シェアの獲得には向いているかもしれないが、利益の獲得に関していえば、低く評価される傾向にあります。現に、上記、引用部分の例でいえば、「C社は損だとわかっていても非常に低利で、苦戦する小売業A社に金を貸し付ける。不動産業者B社は、小売業者A社のために無理な土地取得をし開発をする」 以上、たしかにA社は有利になりますが、B社、C社は ( 同業他社との競争上 ) 不利になります。これでは、持ち株会社 ( コングロマリット ) に有利なのか不利なのか、わかりません。

 この問題については、さらに考えたいと思います。



 なお、持ち株会社禁止規定の撤廃が 「独占禁止法の強化ではなく緩和だ」 と書かれていますが、これはその通りだと思います。