土曜日のこと。一緒に京都へ行った申年のNさんに誘われて、川越の熊野神社へ開運指南をしてもらいに行った。
彼女は少し前にここの神社で、生年月日から占う算命学を学ぶ開運指南講座というものに通っていたそうだ。いろいろと時間のやりくりがつかなくてやめてしまったのだとか。
指南士の鈴木先生に30分の約束だったけれど、実際には10分オーバーで追加料金なしの6000円。本格的な有料占いは初めてだったのでどきどき緊張したけれど、録音とかメモとかできる雰囲気ではなかったので一生懸命覚えてきたことを書く。
まず、どんなことを聞きたいのかと聞かれた。
わたし「今年の誕生日で54歳になリます。家庭内、家族間で特別に困っていることはないけれど、この先20年か30年くらい生きるとして、これからどんなことをしたらいいのか、どうしたら死ぬ時に、ああ、わたしの人生は良い人生だったなと思えるかを知りたいです」
先生は、まず覚えて帰ってほしいことと言って。
「苦労を恐れてはいけない、自分から苦労を拾うことはないけれど、苦労はあなたの糧になる、恐れることはない」と。
初っ端から言われて、これから苦労が待っているのかとビビったけれど、そうでもないのかな。だいたいが、先生、湯婆婆みたいで圧がすごくて。
続けて。
「周りに気を遣いすぎている、そんなに人の目を気にしなくてもいい、もっと自分を大切に、もっと自分を出していい」
生年月日から。
「2月3日で天中殺が終わった、明けて2月4日から10年間は良い年」
「今年は自己確立の年。転職しても良い」
「束縛を嫌い、自由に飛びまわる龍」
「頭が良く、言っていることは常に正しいけれど、相手の立場になって口に出すこと」
「お節介はほどほどに」
手相から。
「良い手相」
「元気でとにかく長生きする」
「右手に仏眼がある、努力をして自分で手に入れたもの」
「自分の力で運を開く開運線がある」
「医療や福祉関係が向いている」
※まず。30分は長すぎていろいろとお話していただいたが、覚えきれなかった。もっと沢山お話してくれたけれど、どんどん忘れちゃった。
わたしは「戌亥天中殺」なのだそう。どうも人は6つのグループの天中殺に分かれるらしい。天中殺というのは電池の切れた懐中電灯で、どんなにスイッチを入れても点灯しないのだそう。わかったような、わからないような。12年に1度2年間やってくるらしい。天中殺の月もあって1年のうちに2ヶ月あるそうだ。とにかく天中殺はネーミングが恐い。
戌年と亥年だった去年と一昨年、わたしは天中殺で何をやってもうまくいかなかったのだそう。でも。振り返ってみて、わたしは人生なんてこんなもんだと思っているし、だいたいが忘れっぽいし。
すごく良いことはなかったかもしれないけと、すごく悪いこともなかったと思う。お母さんのことだって、良いことではないけれど、どうにかこうにか、ギリギリのところで誰かに救ってもらってうまく切り抜けていると思うし。そんなに悪い年だったのかな?
それでも、天中殺が明けたと言われればなんだか嬉しい。今年から10年間良いことが続くというのは、年末に即席占いの館で見てくれた女性もそんな風なことを言ってたな。
ちなみに、マイケルはこの2月4日から天中殺に入った。子丑(ねうし)天中殺のグループ。子年の今年と丑年の来年が天中殺。かわいそうだから言わないでおく。
周りに気を遣いすぎているということ。そりゃあ、お他人様にはそれなりに気は遣っている。そこそこ程度の気遣いは社会人としてのマナーでしょ。
ダンスもスポーツクラブもABCクッキングスタジオにも行かせてもらえてる。実家にもしょっちゅう行かせてくれる。お夕飯を作らないこともある。ミルキーが大学に入学した辺りから、いろいろと好きにやらせてもらっている。
本当にわたしは忘れっぽいし、こういうものに縛られて生きることはないのだけれど。
当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。
ちなみに親指の第1関節に仏様の眼のような手相を仏眼と言ってレア線らしいけれど。
わたしは右手に、申年のNさんは両手に。ミルキーもマイケルも右手にあった。Nさんのお嬢さんも左手にあったそうで、今のところ100%全員にある(^^;)