先週ようやく、一日に放映されたお正月のスマスマスペシャル、マッチ・少年隊・SMAPのコラボスペシャルの録画を観た。
久しぶりに血湧き肉踊ったので、また発散してみようと思う。
後輩達がどんどん巣立ってあか抜けて、カッコ良くなって行くのを楽しんでいた最近ではあるが(最近は山Pがお気に入り・爆)、何度も言うように決して彼らを忘れていたわけではなく、すでに「空気の存在」で、ただし、ないと息が出来ないからやっぱりこうして年に一、二回は深呼吸しないといけない。
やっぱいい!いいよ!少年隊!!マッチの歌も全部一緒に歌えて少年隊の歌に至っては、ほぼいっしょに振りまで出来てしまう自分に苦笑しつつ、子供達のいない真っ昼間、テレビの前で踊りながら絶唱する私。
バカだと笑われてもやめられない、というか身体が勝手に動くのだから仕方がない(笑)。
ちなみにこの録画は実家で姉に録っておいてもらったもので、それを取りに帰ったので、必然的に歌い踊り狂う私の後ろには母がいた。
母はそんな私にだまってお茶とお菓子を出してくれた。もちろんテレビのある居間の中央にはどこから調達したのか?B2サイズのチョ・ヒョンジェ君のポスターがまたしてもうやうやしく額に収まって鎮座していた。
たしか去年はここにはイ・ドンゴンがいたはずだ…(爆)
この写真は若き日のすよぽん(アレック・スー)です(爆)。
関係ないけど(いや、実はあるけど)あまりに、この“ジャニーズジャンプ”がすばらしかったのでイメージ写真として載せてみました。
さて、ここからが本番。
ミュージカルなどで見る“生”はまた格別だが、やっぱり歌手はテレビに出なければいけない。
もちろん、今ではもうジャニーズの中では誰も着こなせない(着ない)であろう80年代くさい金糸とスパンコールの織り込まれた派手な白いステージ衣装で。(笑)
一歩間違うと五木ひろしになりそうな危うさがあるが(爆)、やっぱりコレである!
「ギンギラギンにさりげなく」は、まさに私が青春まっただ中にいたころに流行っていた曲だ。もちろん踊って歌える。同時にマッチのバックで踊っていた3人組も知っていた。
最初は、なんだよ~「青春の赤!黄色!黒!」(*1)…って。。。。なんてちょっとバカにしていた。
しかし気づいたらハマっていた。
彼らが当時すでにユニットを組まされていたにもかかわらず、なかなかレコードデビューさせてもらえなかったのには実はワケがある。
当時の全盛は「シブガキ隊」。大して歌も踊りも上手くなかった(爆)彼らの方をなぜあんなに売り出していたのかと言うと、これからデビューさせる「少年隊」の養成期間を設けるためだった。(と、いうのはあくまで当時のマニアによる憶測だ。)
その証拠にデビューした途端、ジャニーズではフォーリーブス以来のダンサブルなグループとして話題になった。
更にデビューより遅れた”レコードデビュー“の曲「仮面舞踏会」は、レコ大新人賞。
『ドレミファ・ドン』の“超イントロドン!”(*2)をされてもいまだに絶対分かる!それぐらい、センセーショナルなデビューだった。
そして同じ年には、2007年には22回目を迎える「PLAYZONE」の第一回目の上演。このミュージカルのため、ニューヨークから呼ばれた有名な振り付師は徹底的に彼らをしごき、芸能界では初のアイドルによる本格ミュージカルとして、後日特番が組まれる程話題になった。
その後は香港・台湾などを巡る東南アジアツアーも慣行。
特に台湾での人気はもの凄かった。そこで上のすよぽんの「小虎隊」が台湾の少年隊として売り出されたのである。
夜ヒットでマンスリー(*3)に選ばれた時はまさに人気の全盛期。
ミュージックフェア(*4)でサタデーナイトフィーバーを踊った時はまさに美しさの絶頂期だった。
kinki・光一君のお家芸となってしまった千年メドレー(*5)は、この頃に上演した5回目のPLAYZONE「MASK」でヒガシが踊ったもの。心身ともに上がり調子だったヒガシのあの舞いは、当時の演出としては画期的でドギモを抜かれた。
あれの衝撃を超えるモノに私はいまだに出会った事はない。
そうやって華々しいトップ街道を歩んで来た彼らもすでに40代。
ココ10数年はあまり「少年隊」としてはTVに登場しないし、シングルカットも数年に一度だが
いくらニシキの頭がビリケンになってしまっても(爆)、いくら植草がしわしわオヤジになってしまっても、いくらヒガシの髪型がヘンでも(^^;、最高に美しかった頃のニシキを、可愛かった頃の植草を、まだ歯並びが悪かった頃の童顔のヒガシを“知っている”、というだけで、私の中では昔と変わらず少年隊はトップアイドルなのである。
そして、いまだにキレ味のいいターンで美しく踊れるヒガシを、これからも空気のように愛し、共に歳を重ねていこうと思う。
(たとえ熱愛発覚でも~笑)
*******************************************************************************************
(*1)少年隊がデビュー前にイメージキャラをつとめた、明治チョコレートのCM。キャッチフレーズは「青春の赤(ニシキ)黄色(植草)黒(ヒガシ)」
(*2)日曜の昼間時放送していた人気番組「ドレミファドン」には、アイドル代表として少年隊は、ほぼ毎週のように出演。特にヒガシの、わずか0.0何秒かのイントロだけで曲名を当てるクイズの『超イントロドン』は神業だった。何事も極めないではいられないヒガシがかいま見れた(笑)
(*3)1960年代から90年代まで続いた、フジテレビ系10時代の人気歌謡番組「夜のヒットスタジオ」。今でもたまにスペシャルが組まれる。
新人歌手の登竜門ともいわれ、番組のステイタス、クオリティーともに業界でも評価が高く、歌手が絶対出演したい歌番組ナンバーワンだった。『マンスリー』に選ばれたアーティストは、一ヶ月間毎週スペシャルライブを行った。この少年隊の出演画面はファンにとっては今でも超お宝!
(*4)全盛時代は♪う~たおぉ~♪お~どぉろぉ~♪のイントロでおなじみの塩野義製薬提供のフジテレビ系の長寿番組。映像美や良質の音楽にこだわり、歌謡曲の枠に捕われず、あらゆるジャンルのアーティストをゲストにトークや歌で繰り広げる落ち着いた歌番組。そこに出演した当時のニシキの美しさは他の追随を許さぬ程だった。3人+中尾ミエとのコラボで出演。
(*5)千年メドレー初演は第五回目のPLAYZONE「MASK」に於いて。豪華絢爛な和風衣装と能面で登場。その後は現代風の激しいステップをあわせるというヒガシならではのクオリティーの高いダンス。あっと驚く速替えも拍手もの。その着物をはぎ取るとあらわになる半裸に、ファンは(いや、私だけ?)歓喜号泣(笑)。
今では後輩のkinki・kids光一君が今風にアレンジして引き継いでいる、成長するJパフォーマンスとも言える。
以上、分からない方もいると思いまして注釈入れてみました。
久しぶりに血湧き肉踊ったので、また発散してみようと思う。
後輩達がどんどん巣立ってあか抜けて、カッコ良くなって行くのを楽しんでいた最近ではあるが(最近は山Pがお気に入り・爆)、何度も言うように決して彼らを忘れていたわけではなく、すでに「空気の存在」で、ただし、ないと息が出来ないからやっぱりこうして年に一、二回は深呼吸しないといけない。
やっぱいい!いいよ!少年隊!!マッチの歌も全部一緒に歌えて少年隊の歌に至っては、ほぼいっしょに振りまで出来てしまう自分に苦笑しつつ、子供達のいない真っ昼間、テレビの前で踊りながら絶唱する私。
バカだと笑われてもやめられない、というか身体が勝手に動くのだから仕方がない(笑)。
ちなみにこの録画は実家で姉に録っておいてもらったもので、それを取りに帰ったので、必然的に歌い踊り狂う私の後ろには母がいた。
母はそんな私にだまってお茶とお菓子を出してくれた。もちろんテレビのある居間の中央にはどこから調達したのか?B2サイズのチョ・ヒョンジェ君のポスターがまたしてもうやうやしく額に収まって鎮座していた。
たしか去年はここにはイ・ドンゴンがいたはずだ…(爆)
この写真は若き日のすよぽん(アレック・スー)です(爆)。
関係ないけど(いや、実はあるけど)あまりに、この“ジャニーズジャンプ”がすばらしかったのでイメージ写真として載せてみました。
さて、ここからが本番。
ミュージカルなどで見る“生”はまた格別だが、やっぱり歌手はテレビに出なければいけない。
もちろん、今ではもうジャニーズの中では誰も着こなせない(着ない)であろう80年代くさい金糸とスパンコールの織り込まれた派手な白いステージ衣装で。(笑)
一歩間違うと五木ひろしになりそうな危うさがあるが(爆)、やっぱりコレである!
「ギンギラギンにさりげなく」は、まさに私が青春まっただ中にいたころに流行っていた曲だ。もちろん踊って歌える。同時にマッチのバックで踊っていた3人組も知っていた。
最初は、なんだよ~「青春の赤!黄色!黒!」(*1)…って。。。。なんてちょっとバカにしていた。
しかし気づいたらハマっていた。
彼らが当時すでにユニットを組まされていたにもかかわらず、なかなかレコードデビューさせてもらえなかったのには実はワケがある。
当時の全盛は「シブガキ隊」。大して歌も踊りも上手くなかった(爆)彼らの方をなぜあんなに売り出していたのかと言うと、これからデビューさせる「少年隊」の養成期間を設けるためだった。(と、いうのはあくまで当時のマニアによる憶測だ。)
その証拠にデビューした途端、ジャニーズではフォーリーブス以来のダンサブルなグループとして話題になった。
更にデビューより遅れた”レコードデビュー“の曲「仮面舞踏会」は、レコ大新人賞。
『ドレミファ・ドン』の“超イントロドン!”(*2)をされてもいまだに絶対分かる!それぐらい、センセーショナルなデビューだった。
そして同じ年には、2007年には22回目を迎える「PLAYZONE」の第一回目の上演。このミュージカルのため、ニューヨークから呼ばれた有名な振り付師は徹底的に彼らをしごき、芸能界では初のアイドルによる本格ミュージカルとして、後日特番が組まれる程話題になった。
その後は香港・台湾などを巡る東南アジアツアーも慣行。
特に台湾での人気はもの凄かった。そこで上のすよぽんの「小虎隊」が台湾の少年隊として売り出されたのである。
夜ヒットでマンスリー(*3)に選ばれた時はまさに人気の全盛期。
ミュージックフェア(*4)でサタデーナイトフィーバーを踊った時はまさに美しさの絶頂期だった。
kinki・光一君のお家芸となってしまった千年メドレー(*5)は、この頃に上演した5回目のPLAYZONE「MASK」でヒガシが踊ったもの。心身ともに上がり調子だったヒガシのあの舞いは、当時の演出としては画期的でドギモを抜かれた。
あれの衝撃を超えるモノに私はいまだに出会った事はない。
そうやって華々しいトップ街道を歩んで来た彼らもすでに40代。
ココ10数年はあまり「少年隊」としてはTVに登場しないし、シングルカットも数年に一度だが
いくらニシキの頭がビリケンになってしまっても(爆)、いくら植草がしわしわオヤジになってしまっても、いくらヒガシの髪型がヘンでも(^^;、最高に美しかった頃のニシキを、可愛かった頃の植草を、まだ歯並びが悪かった頃の童顔のヒガシを“知っている”、というだけで、私の中では昔と変わらず少年隊はトップアイドルなのである。
そして、いまだにキレ味のいいターンで美しく踊れるヒガシを、これからも空気のように愛し、共に歳を重ねていこうと思う。
(たとえ熱愛発覚でも~笑)
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(*1)少年隊がデビュー前にイメージキャラをつとめた、明治チョコレートのCM。キャッチフレーズは「青春の赤(ニシキ)黄色(植草)黒(ヒガシ)」
(*2)日曜の昼間時放送していた人気番組「ドレミファドン」には、アイドル代表として少年隊は、ほぼ毎週のように出演。特にヒガシの、わずか0.0何秒かのイントロだけで曲名を当てるクイズの『超イントロドン』は神業だった。何事も極めないではいられないヒガシがかいま見れた(笑)
(*3)1960年代から90年代まで続いた、フジテレビ系10時代の人気歌謡番組「夜のヒットスタジオ」。今でもたまにスペシャルが組まれる。
新人歌手の登竜門ともいわれ、番組のステイタス、クオリティーともに業界でも評価が高く、歌手が絶対出演したい歌番組ナンバーワンだった。『マンスリー』に選ばれたアーティストは、一ヶ月間毎週スペシャルライブを行った。この少年隊の出演画面はファンにとっては今でも超お宝!
(*4)全盛時代は♪う~たおぉ~♪お~どぉろぉ~♪のイントロでおなじみの塩野義製薬提供のフジテレビ系の長寿番組。映像美や良質の音楽にこだわり、歌謡曲の枠に捕われず、あらゆるジャンルのアーティストをゲストにトークや歌で繰り広げる落ち着いた歌番組。そこに出演した当時のニシキの美しさは他の追随を許さぬ程だった。3人+中尾ミエとのコラボで出演。
(*5)千年メドレー初演は第五回目のPLAYZONE「MASK」に於いて。豪華絢爛な和風衣装と能面で登場。その後は現代風の激しいステップをあわせるというヒガシならではのクオリティーの高いダンス。あっと驚く速替えも拍手もの。その着物をはぎ取るとあらわになる半裸に、ファンは(いや、私だけ?)歓喜号泣(笑)。
今では後輩のkinki・kids光一君が今風にアレンジして引き継いでいる、成長するJパフォーマンスとも言える。
以上、分からない方もいると思いまして注釈入れてみました。
何をどうとうまく説明できなにのですが、美四さんのこういう文章読むとすんごく気分いいです。
スカっとします。
お母様の掛け軸の変遷もいいし^^;
画面の前で歌い踊る美四さんもいいし、その美四さんにお菓子をお茶をだしてくださるお母様がまたよく^^v
そして、次々に美四さんが語ってくださる、レア&マニアックなジャニーズの歴史にもクラクラきます
ステキステキ!!ステキすぎるぅ~~~~~!!
いやーすみません。
でも気に入って(?)いただけて光栄です。
レアってほどでもないんですよ。古い話を改めて文にしてみただけで。
でも、たしかにマニアックは当てはまります。(笑)
どんな人好きになっても私ってマニアックに走る傾向があるのよね~多分これは一生変わらない。。。。。。
私はヒガシ中心で物事回想しないものですから、知ってることばかりの話題でも、どこか新鮮です(熱愛発覚でも)。
スマスマは良かったんですけどね・・・
カウントダウンはつらかったですよ。
未だに、HDを見返すことがはばかられる。
全て春の夜の夢の如し。
通り過ぎるからこそ、その美しさは尊く気高いのですね。
私も未だ、錦織君を愛してはおりますが(思い出すなあ。昔、彼氏に「ニシキを、あ、あ、愛しているの?」と聞かれたことを)(そして私は「あ、あ、愛してるわよ」と答えた)、当然、かつての熱病のような愛ではなく、さざ波のように寄せては返す、穏やかな感情。
美四さんが再び熱病にかかっているのを感じると、とてもうらやましい。
私もこの、早く私自身の中にある熱の、次のはけ口を見つけたいものです。
カウントダウンは録ってもらえなかったんです。(爆)
じゃ、その口調じゃ見ない方がいいという事ですかね(^^;
どんな人間も歳を取るのだからジョビ子さんの言うように
>通り過ぎるからこそ、その美しさは尊く気高い
のだけど、何が私達を辛くさせるのかって言えば、あまりにも昔が綺麗だったからなんだよね。
これが今の植草と昔の植草だったら、さして変わりないからノープロブレムなわけですが…。(爆)
でもこれだけは、3人に共通して言える事だけど、「もうアップにはしないでね、メディアの皆様。」…ってね。。。。
『熱病』はかかると気持ちいいですよ~!
特に再発ってやつは♪(爆)