真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

手塚治虫 虫プロ社長辞任

2007年01月21日 16時19分14秒 | 虫プロ
つい最近のこと、突然、編集部に、こんな挨拶状が舞い込んだ。(71年7月1日週刊平凡)

 小生このたび、思う所ありまして長年御愛願いただきました虫プロダクションの社長としての役職から、円満に退くことになりました。

虫プロの挫折は、何としても作品の失敗である。しかし、それと同時に、人事的なアクシデントが余りにも多いことが致命的だったと思う。
 「虫プロは儲かる」という噂で、利権を欲しい人間が、蟻のようにどっと虫プロへとびついてきたことは事実である。
 また当初にあったファイトや熱気が冷えるにつれ、いたずらに、合理化をかざして会社としての組織化、打算的な仕事の受注を始めたこともまずかったと思う。
 合理化はスタッフへの締めつけとなり、従来は思いもよらなかった動画プロの労組結成という結果を招いた。労組は、当然ながら労働賃金やサービスを要求する。ぼくは仕事より大衆団交の席に座らされるほうが多くなってきた。もちろん経営者としてである。

 ついにぼくは、すでに有名無実となっていた社長のポストを譲り、役員を辞めて虫プロを去った。
 さすがに、我が子のように思ってきた虫プロを離れるのは、何ともいえずさみしかった。だが、虫プロはぼくのヴィジョンとは全く別の方向へ、独り立ちしようとしていたのだ。そしてスタッフは資金力以外、ぼくをもう必要としなくなったことも確かだ。
手塚治虫

虫プロをアニメ作家集団として進ませるか、営利企業として発展させるかの問題で、社内の意見は二分され、何度も社員総会を開くという騒ぎになった。結局、川端栄一部長を中心に企業体制をかためることに決着がついたが、それによって中心スタッフに辞職者が増え、また労働組合なども結成されて、手塚社長も経営意欲を喪失し、それまでの、赤字を負担するという条件で辞任するという結果になった。
(日本アニメーション映画史)

手塚さんの退陣は、赤字とは関係ありません。しかし、この世界が苦しいことは事実ですよ。アニメーションは、近代産業じゃない、マアニュファクテュア(工場制手工業)ですからね。どのプロも倒産寸前じゃないんですか。うちでは一本360万円もかけて制作したフィルムが倉庫で眠ってるんです。外部の人に仕事を頼むことも多いし、いろいろ資金面の圧迫はありますよ。   虫プロ商亊 今井義章社長
昭和46年6月 手塚治虫は、株式会社虫プロダクションの社長を退陣した。

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