7時05分、に目を覚ます、雨。
7時19分、体温と血圧を計っておく。
7時35分、下に行く、ストーブをつけ歯磨き洗顔体重を計り、新聞を取り込み、独数をしながら、朝食を済ませる。
8時過ぎには妻も、起きてくる。
8時45分、今日の独数は難しくて解けなかった、部屋に戻り着替えをする。
9時45分、長男を乗せ、家を出る。10時05分長男を送り、帰りにビックAに寄って、
10時50分家に戻る。
そば打ち道場、荒明さんと、連絡が取れない。うどんの楽校の人も誘いたい。
11時、急いで、募集のチラシを印刷する。
11時25分、少し刷った所で、書きなおすところがあり修正する。
12時、妻がチャーハンを作ってくれた、急いで食べる、部屋に戻り、パソコンやプリンターの電源を切る。リックに詰め着替えをする。
12時45分、雨がひどく降っているので、車で、生涯学習センターに行く。
うどんの楽校
2月、終了前、最後のうどん打ち、すべて自分で決めて、打つ
その前に、三沢会長に依る、模範のうどん打ち、 再度、手筈を確認する、と共に、テクニックを盗もうと、真剣に見ていた。
あくまでも、東久留米に伝わる、方法を基準。
東久留米では、昔から、冠婚葬祭で、最後にうどんを出すのが、恒例となっていた、うどんが出ると、これで最後ですと言わなくても、判った。うどんは、つるつる、食べて、良く噛めと言う。鶴と亀で最後に出す慣例になった。そんな祖先の知恵。
そのため世間では一日寝かせてから打ったようだが、東久留米では、寝かせるのは、夏30分、冬1時間と短い。そのため、寝かせる前の、足踏みで、念入りに折り返しては、十分に煉る作業をした。
伸ばすのにも、無駄を出さないためには、そばと同じ、四角に伸ばす方法を取らず、丸く伸ばした。それも角を立てず、物事円満にと言う、先祖の思いが込められているのだと言う。そんな愛情あふれた、東久留米の手打ちうどん、柳久保小麦と言う、地場産の小麦を使っての、うどん打ちである。
1㎏(1000g)の柳久保小麦。塩水。水と塩の量は、ないしょ。教えられた水、夏360mlから冬450ml、夏は湿度が高居の出と言うことで判断。塩夏45gから冬36g、塩が少ないと、固まらず、多すぎると硬すぎる。
こね鉢に、小麦粉を入れる。粉の中の、だま(かたまり)をつぶす。だまは、加水しにくくなり、切れる原因となる。
まずは、半分の塩水を、「の」の字を書くように入れる。半分と言うのは、加減せずに、少し多めが良い。
塩水が、均一に粉にしみ込むように5本の指を立て、かき混ぜる。そぼろ状にする、手の平を使うと、塊を作るので、指先だけでかき混ぜる。
残っている塩水、半分(1/4)を、また、「の」の字を書くように入れる。
粉が色づいてくる、けして捏ねてはいけない。
残っている塩水、半分(1/8)を、また、「の」の字を書くように入れる。
3度目の加水で一部が大きな、塊となってくる。粉、全体を2個か3個のかたまり(玉)にする。
粉のまま残っているのは、集めて、残った水を手に付け(手水)良く混ぜて加減しながら、加水して、一つの塊にして煉る。
玉を良く捏ね、表面がある程度、滑らかになるまで練り上げる。
捏ねた容器の表面に残った小麦粉を拭き取るようにする。手に着いたものもきれいにする。硬さは、耳たぶよりやや硬め。
手を洗う。
玉をきれいに拭いた、板の上に置き、きれいなビニールをかぶせる、
上から、まんべんなく踏む。
踏むのは、グルテンを引き出すため。踏む回数は約100回とし、
ビニールに付かないように注意すると良い。
踏んだ玉を、裏返しにして、ロール巻にする。
ビニールの上から再度踏んで平たくする。丸くしなくて良い。 同じことを3度、繰り返す。
捏ねて丸い玉にする。
傷が裏に隠れる様、丁寧に丸くする。
丸いために仕上げたら、ビニール袋に入れ、寝かせる。 ここまでの、くくりは後で修正するので、空気を追い出す程度で良い。
丸い玉の、中の水が緊密になじんで、グルテン化が、強固になされるよう、熟成させるための時間、夏は1時間、冬は2時間程度、
外気の影響を受けにくい、押し入れの布団の間に入れて起きた、などと言う話も聞く。
おそばは、すぐに打てるが、うどんもその日に、食べてもらえるようにとの、東久留米、先人の知恵。
寝かせが、終わって
寝かせ終わった玉は、耳たぶぐらいの方さ、指で押すとゆっくりと戻ってくる。
この玉を、菊練しながら、空気抜きをする。形を丸く整える。くくり(へそとなる、傷の部分)が小さく、中心に来るようにする。
傷を下にして、手で円盤状にする。踏む作業と同じで、板の上に置き、ビニールをかけて、上から、丁寧に、丸くなるように、
右足のかかと、と左足の、つま先、に力を入れて踏むと、均等に力が加わる。
35㎝位になったら、裏返して、くくり(傷)跡を見ながら40㎝位の円形に伸ばし、生地とする。
麺棒でのばす。
くくりのある方を上にして、のし板に置く。
生地の中央から、前方、10時、11時、12時、13時、14時、の方向に、麺棒を転がして、肉分けを行い、なるべく均等にした暑さに伸ばす。
生地を45℃左に回転させ、再度前方、10時、11時、12時、13時、14時、の方向に、麺棒を転がす。
8回繰り返すと、1周した事に成り、きちんと出来ると丸くなる。
今度は、生地を麺棒に巻く
巻いたものを手前から転がし両手で端を持って、手前に引きずり寄せ伸ばす作業、回数を決め(たとえば5回)繰り返す。
右に、45度、手向こうに置き、手前に生地を広げる。
生地の正面から麺棒を巻く。そして、同じ作業。手前から転がし両手で端を持って、手前に引きずり寄せ伸ばす作業と45度に置く作業を繰り返し丸くする。8回終わったら大きさを調べ、なお繰り返して64㎝位、厚さが3.5から4ミリ、均等な厚さになる様にする。
厚さを均等に、全周チェックして均一になっていることを確認する。
丸くなった生地の前後左右、の端にコンスターチで印をつける。
麺棒に生地を巻き取ると、のし板の上に、まるく生地の跡が残っている。丸く残っている生地の跡に、コンスターチをまく。
生地を広げる、生地の横を持って回すと、生地の裏にコンスターチがまんべんなくつく。
広げた、生地の上にも、コンスターチをたっぷりとかけ、麺棒に巻き取る。
のし板の上に残ったコンスターチをきれいにして、切り板を持ってくる。
切り板の上にも、コンスターチを良く振っておく。使っている切り板は、真ん中が、へこんでいる可能性がある。コンスターチで、そのへこみを、ふさぎ、麺が切れるようにすると言う意味もある。
屏風たたみ。
切り板の上に巻き取った生地を置く。少し緩めて、生地の上を切り板の向こうに、少し垂らして、こちらに折りたたむ。
切りやすい大きさに3段に重ね、後は面貌をゆるめて、抜き取る。すると切りやすい、大きさに生地が、屏風たたみに、たたまれる。たたみ幅は、一番下が7から8センチ程度にする。
包丁入れ
包丁で切る。
右端3センチ位を切り落とす。ミミと言っているが、これが手打ちうどんの証拠としている。
4ミリ幅位、好みにそろえて、おとし切りする。
幅をそろえるのは、茹でた時、幅が違うと、茹で方にむら出てしまうから。
切ながら適量を広げ、打ち粉(コンスターチ)を落とす、たたみしわを伸ばす。容器に入れた時、麺同士がくっつかないように切り口にコンスターチをつけるため、麺の中央を持って、のし板のコンスターチに、打ちつける。切り離せないところを、離す効果もあるし、くっ付いているものの、点検もする。容器にきれいに奇異チンと並べていれ、最後にも、耳を残す。
耳を適当に切ってその上に並べ置く。耳は手打ちの証拠。
真剣に、最後まで実技を見ていた。これから、実際に、水と塩の量を、各自が決め、うどんを作るのだ。
14時、各自が塩と水を計る。
500gの柳久保小麦、で実技を始める。
14時30分、寝かせる。うどんの会、会長さんはじめ会の方から、此処までの感想や注意など、お話し。
15時から、作業再開。のし板に置き、伸ばす作業。ほとんどの人が丸く伸ばしている。みんな、とても上手になっている。
切り終わって、容器に入れ、手など洗い終わったものから片づけをし始め、終わった所の片づけをする。
全員が終わり、片づけもおわる。市の担当者から、麦踏と、お店の見学についての話、次回の修了などの話、道具片づけ運びを手伝い16時には終了する。
受付で、松井さん下山さんと会話。関根さんも来る。
疲れたので真っ直ぐ帰る。16時50分に家に着く。何もないので、プチフールへ行き、お気に入りの、ナッツバー、2個買ってくる。
コーヒーを入れてきて、炬燵で、テレビWWEを見ながら、ナッツバーをかじる。家事いると言った方が良い、と言うのはかなり固いパン、そこが気に入っている。小さく見えるが、食べごたえがある。いつも一つしか買ってこないので妻と半分ずつ、一つは妻に取っておこうと2使ってきたのに、2つ目に手を出していた。
18時、妻が先に帰ってくる。やはり無いの、と言った。ほんの少ししか残っていなかった。食べると言ったが、自分で買ってきた物を食べていた。
そのまま居る。次男も帰ってくる。
19時40分、夕飯となる。
21時部屋にも踊りブログの準備。写真をたくさん撮ったので、整理をする。とりあえず、ホームページビルダーで写真だけ投稿する。
21時13分、長男から迎え依頼。21時37分、着く。40分長男を乗せ、近くのスタンドに行くが、すでに終わっていた。
青梅街道からひばりヶ丘駅方面に向かった。
22時03分、であったが、谷戸のエネオスがまだ閉まっていなかった。燃料を入れてもらう。
22時15分家に戻った。
22時20分風呂、22時45分風呂から出て、ビルダーでのブログ作業、
0時30分、写真だけになってしまったが、もう限度、投稿して布団に入った。
------------------------------------------
6,303位 / 1,674,893.昨日:8033歩.起床:7時05分.血圧:121、70.脈拍:65.体温:35.9℃.体重:69.7Kg.天気 雨
7時19分、体温と血圧を計っておく。
7時35分、下に行く、ストーブをつけ歯磨き洗顔体重を計り、新聞を取り込み、独数をしながら、朝食を済ませる。
8時過ぎには妻も、起きてくる。
8時45分、今日の独数は難しくて解けなかった、部屋に戻り着替えをする。
9時45分、長男を乗せ、家を出る。10時05分長男を送り、帰りにビックAに寄って、
10時50分家に戻る。
そば打ち道場、荒明さんと、連絡が取れない。うどんの楽校の人も誘いたい。
11時、急いで、募集のチラシを印刷する。
11時25分、少し刷った所で、書きなおすところがあり修正する。
12時、妻がチャーハンを作ってくれた、急いで食べる、部屋に戻り、パソコンやプリンターの電源を切る。リックに詰め着替えをする。
12時45分、雨がひどく降っているので、車で、生涯学習センターに行く。
うどんの楽校
2月、終了前、最後のうどん打ち、すべて自分で決めて、打つ
その前に、三沢会長に依る、模範のうどん打ち、 再度、手筈を確認する、と共に、テクニックを盗もうと、真剣に見ていた。
あくまでも、東久留米に伝わる、方法を基準。
東久留米では、昔から、冠婚葬祭で、最後にうどんを出すのが、恒例となっていた、うどんが出ると、これで最後ですと言わなくても、判った。うどんは、つるつる、食べて、良く噛めと言う。鶴と亀で最後に出す慣例になった。そんな祖先の知恵。
そのため世間では一日寝かせてから打ったようだが、東久留米では、寝かせるのは、夏30分、冬1時間と短い。そのため、寝かせる前の、足踏みで、念入りに折り返しては、十分に煉る作業をした。
伸ばすのにも、無駄を出さないためには、そばと同じ、四角に伸ばす方法を取らず、丸く伸ばした。それも角を立てず、物事円満にと言う、先祖の思いが込められているのだと言う。そんな愛情あふれた、東久留米の手打ちうどん、柳久保小麦と言う、地場産の小麦を使っての、うどん打ちである。
1㎏(1000g)の柳久保小麦。塩水。水と塩の量は、ないしょ。教えられた水、夏360mlから冬450ml、夏は湿度が高居の出と言うことで判断。塩夏45gから冬36g、塩が少ないと、固まらず、多すぎると硬すぎる。
こね鉢に、小麦粉を入れる。粉の中の、だま(かたまり)をつぶす。だまは、加水しにくくなり、切れる原因となる。
まずは、半分の塩水を、「の」の字を書くように入れる。半分と言うのは、加減せずに、少し多めが良い。
塩水が、均一に粉にしみ込むように5本の指を立て、かき混ぜる。そぼろ状にする、手の平を使うと、塊を作るので、指先だけでかき混ぜる。
残っている塩水、半分(1/4)を、また、「の」の字を書くように入れる。
粉が色づいてくる、けして捏ねてはいけない。
残っている塩水、半分(1/8)を、また、「の」の字を書くように入れる。
3度目の加水で一部が大きな、塊となってくる。粉、全体を2個か3個のかたまり(玉)にする。
粉のまま残っているのは、集めて、残った水を手に付け(手水)良く混ぜて加減しながら、加水して、一つの塊にして煉る。
玉を良く捏ね、表面がある程度、滑らかになるまで練り上げる。
捏ねた容器の表面に残った小麦粉を拭き取るようにする。手に着いたものもきれいにする。硬さは、耳たぶよりやや硬め。
手を洗う。
玉をきれいに拭いた、板の上に置き、きれいなビニールをかぶせる、
上から、まんべんなく踏む。
踏むのは、グルテンを引き出すため。踏む回数は約100回とし、
ビニールに付かないように注意すると良い。
踏んだ玉を、裏返しにして、ロール巻にする。
ビニールの上から再度踏んで平たくする。丸くしなくて良い。 同じことを3度、繰り返す。
捏ねて丸い玉にする。
傷が裏に隠れる様、丁寧に丸くする。
丸いために仕上げたら、ビニール袋に入れ、寝かせる。 ここまでの、くくりは後で修正するので、空気を追い出す程度で良い。
丸い玉の、中の水が緊密になじんで、グルテン化が、強固になされるよう、熟成させるための時間、夏は1時間、冬は2時間程度、
外気の影響を受けにくい、押し入れの布団の間に入れて起きた、などと言う話も聞く。
おそばは、すぐに打てるが、うどんもその日に、食べてもらえるようにとの、東久留米、先人の知恵。
寝かせが、終わって
寝かせ終わった玉は、耳たぶぐらいの方さ、指で押すとゆっくりと戻ってくる。
この玉を、菊練しながら、空気抜きをする。形を丸く整える。くくり(へそとなる、傷の部分)が小さく、中心に来るようにする。
傷を下にして、手で円盤状にする。踏む作業と同じで、板の上に置き、ビニールをかけて、上から、丁寧に、丸くなるように、
右足のかかと、と左足の、つま先、に力を入れて踏むと、均等に力が加わる。
35㎝位になったら、裏返して、くくり(傷)跡を見ながら40㎝位の円形に伸ばし、生地とする。
麺棒でのばす。
くくりのある方を上にして、のし板に置く。
生地の中央から、前方、10時、11時、12時、13時、14時、の方向に、麺棒を転がして、肉分けを行い、なるべく均等にした暑さに伸ばす。
生地を45℃左に回転させ、再度前方、10時、11時、12時、13時、14時、の方向に、麺棒を転がす。
8回繰り返すと、1周した事に成り、きちんと出来ると丸くなる。
今度は、生地を麺棒に巻く
巻いたものを手前から転がし両手で端を持って、手前に引きずり寄せ伸ばす作業、回数を決め(たとえば5回)繰り返す。
右に、45度、手向こうに置き、手前に生地を広げる。
生地の正面から麺棒を巻く。そして、同じ作業。手前から転がし両手で端を持って、手前に引きずり寄せ伸ばす作業と45度に置く作業を繰り返し丸くする。8回終わったら大きさを調べ、なお繰り返して64㎝位、厚さが3.5から4ミリ、均等な厚さになる様にする。
厚さを均等に、全周チェックして均一になっていることを確認する。
丸くなった生地の前後左右、の端にコンスターチで印をつける。
麺棒に生地を巻き取ると、のし板の上に、まるく生地の跡が残っている。丸く残っている生地の跡に、コンスターチをまく。
生地を広げる、生地の横を持って回すと、生地の裏にコンスターチがまんべんなくつく。
広げた、生地の上にも、コンスターチをたっぷりとかけ、麺棒に巻き取る。
のし板の上に残ったコンスターチをきれいにして、切り板を持ってくる。
切り板の上にも、コンスターチを良く振っておく。使っている切り板は、真ん中が、へこんでいる可能性がある。コンスターチで、そのへこみを、ふさぎ、麺が切れるようにすると言う意味もある。
屏風たたみ。
切り板の上に巻き取った生地を置く。少し緩めて、生地の上を切り板の向こうに、少し垂らして、こちらに折りたたむ。
切りやすい大きさに3段に重ね、後は面貌をゆるめて、抜き取る。すると切りやすい、大きさに生地が、屏風たたみに、たたまれる。たたみ幅は、一番下が7から8センチ程度にする。
包丁入れ
包丁で切る。
右端3センチ位を切り落とす。ミミと言っているが、これが手打ちうどんの証拠としている。
4ミリ幅位、好みにそろえて、おとし切りする。
幅をそろえるのは、茹でた時、幅が違うと、茹で方にむら出てしまうから。
切ながら適量を広げ、打ち粉(コンスターチ)を落とす、たたみしわを伸ばす。容器に入れた時、麺同士がくっつかないように切り口にコンスターチをつけるため、麺の中央を持って、のし板のコンスターチに、打ちつける。切り離せないところを、離す効果もあるし、くっ付いているものの、点検もする。容器にきれいに奇異チンと並べていれ、最後にも、耳を残す。
耳を適当に切ってその上に並べ置く。耳は手打ちの証拠。
真剣に、最後まで実技を見ていた。これから、実際に、水と塩の量を、各自が決め、うどんを作るのだ。
14時、各自が塩と水を計る。
500gの柳久保小麦、で実技を始める。
14時30分、寝かせる。うどんの会、会長さんはじめ会の方から、此処までの感想や注意など、お話し。
15時から、作業再開。のし板に置き、伸ばす作業。ほとんどの人が丸く伸ばしている。みんな、とても上手になっている。
切り終わって、容器に入れ、手など洗い終わったものから片づけをし始め、終わった所の片づけをする。
全員が終わり、片づけもおわる。市の担当者から、麦踏と、お店の見学についての話、次回の修了などの話、道具片づけ運びを手伝い16時には終了する。
受付で、松井さん下山さんと会話。関根さんも来る。
疲れたので真っ直ぐ帰る。16時50分に家に着く。何もないので、プチフールへ行き、お気に入りの、ナッツバー、2個買ってくる。
コーヒーを入れてきて、炬燵で、テレビWWEを見ながら、ナッツバーをかじる。家事いると言った方が良い、と言うのはかなり固いパン、そこが気に入っている。小さく見えるが、食べごたえがある。いつも一つしか買ってこないので妻と半分ずつ、一つは妻に取っておこうと2使ってきたのに、2つ目に手を出していた。
18時、妻が先に帰ってくる。やはり無いの、と言った。ほんの少ししか残っていなかった。食べると言ったが、自分で買ってきた物を食べていた。
そのまま居る。次男も帰ってくる。
19時40分、夕飯となる。
21時部屋にも踊りブログの準備。写真をたくさん撮ったので、整理をする。とりあえず、ホームページビルダーで写真だけ投稿する。
21時13分、長男から迎え依頼。21時37分、着く。40分長男を乗せ、近くのスタンドに行くが、すでに終わっていた。
青梅街道からひばりヶ丘駅方面に向かった。
22時03分、であったが、谷戸のエネオスがまだ閉まっていなかった。燃料を入れてもらう。
22時15分家に戻った。
22時20分風呂、22時45分風呂から出て、ビルダーでのブログ作業、
0時30分、写真だけになってしまったが、もう限度、投稿して布団に入った。
------------------------------------------
6,303位 / 1,674,893.昨日:8033歩.起床:7時05分.血圧:121、70.脈拍:65.体温:35.9℃.体重:69.7Kg.天気 雨
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます