ネットでキアヌ・リーブスとバカンス中の写真を撮られた
チャイナ・チョウと言うアメリカの女優さんの記事を見つけ、
「あら、東洋系の人だわ。」と思い、
興味が湧いて記事を読んでいたら、
その中に懐かしい名前を発見し、しばし感傷に浸ってしまいました。
そこには「お母さんはエイズで亡くなった『ティナ』」と書いてあったのです。
私が高校時代定期購読していたのは、
ファッション専門誌『装苑』でした。
あの頃の装苑は写真が素敵で、
毎月届くのを楽しみにしていました。
美しいモデルさんがたくさん登場していましたが、
中でもキュートな笑顔でひときわ輝いていたのが『ティナ・ラッツ』だったのです。
単純な私はこの雑誌にかかわる人になりたいと思いました。
そのためには文化服装学園に進学をし、
高田賢三やコシノジュンコや山本寛斎などを輩出した装苑賞を狙おうと本気で思ったのです。
夢見る「夢子」でございました。
受験勉強は一切せず、
作り方ページとくびっぴきで、型紙を起こして、ギンガムチェックのワンピースを作ったり、
ベストやマフラーや帽子を編んだりしていました。
3年の12月「デザイナーになれる確率はどのくらいあるんだ?」と言う現実に突然気付き、
じゃあ文化出版の編集者になろうと、
今度は文学部に方向転換するという、
これまた恐れ知らずの夢追いを続けたのでした。
実は大学4年生の時、入社試験まで受けたんですよ。(お恥ずかしい)
試験会場に集まった人の数は物凄いものでした。
ここから採用されるのは果たして何人?と思った時、
自分の無謀さを悟ったわけですが、
今でも、あの時の試験問題はしっかり頭に中にあります。
白黒写真でした。
そこに写っているのは重い荷物を背負い、峠を登る着物姿の男性です。
「この写真から連想されるストーリーを書きなさい。」と言われても、
ありきたりのことしか浮かばない自分の凡庸さをしっかりと自覚させられた瞬間でした。
当然試験には落ちて今の私がいるわけなのですが、
この叶わなかった夢の原点がティナだったわけです。
YouTubeで当時の資生堂のCM『サクセス・サクセス』と、
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どなたかが作った
『愛しのティナ(ダウンタウンブギウギバンドの歌ったCM曲『サクセス~』のB面の曲だそうです)』
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を見つけたので、貼り付けました。
私と同年代の人には懐かしいのではないでしょうか?
ティナはその後アメリカに渡り、
中国系のお金持ちの実業家と結婚し、セレブになりましたが、
41歳で亡くなりました。
自分がエイズであると言うことを表明した最初の女性有名人だったそうです。