嬉しい楽しい幸せな役に立つ興味深い話○略して『うたしやきの話』の収集家・松本一円さん♪の愛読しているメールマガジンよりお福分けさせていただきます…(^人^)
写真は…スイーツ好きのMさんが、
東京銀座にあるというキルフェボンさんというところフルーツタルトをご馳走してくれたんですけど、そこのロゴマークが、ステキな姿だったので撮影させていただいたものです☆(-人-)☆
ありがとうございます☆(-人-)☆
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【誰かのためにがんばる】№2164
黒川伊保子氏の心に響く言葉より…
2010年10月、チリ落盤事故で地下に閉じ込められた33名が、無事、地上に生還した。
最初の18日間は、救出が来るかどうかも分からない状態で、微量の食料を分かち合ったという。
当然、葛藤(かっとう)もあり、殴り合いの喧嘩(けんか)もあったというが、その過酷な環境を考えれば、本当に奇跡のような生還劇だった。
その成功を、NASAの分析者がこう評した。
「生存者たちは、3つのグループに分かれ、交代で睡眠、休養、作業の時程を規則正しくこなした。
作業中のグループは、他のグループを見守ることが仕事で、これが良かった。
人は、他人の心配をしているときが一番強いからだ」
この意見に、私は「なるほど!」と声に出すほど、強く共感してしまった。
前々から、冬山で奇跡のような生還をする登山者の多くが、仲間をかばって、よりいっそう過酷な状況にいたことに気付いていたからだ。
足を怪我して動けなくなった仲間に、自らの防寒ジャケットを与え、その上に覆(おお)いかぶさり、セーターのまま吹雪の中にいた…なのに、二重の防寒着の中にいる仲間の方が凍死して、風を背で受けてかばっていた方が生還する、なんていう話を聞いたのは、一度や二度じゃない。
そうまでして仲間を失った無念さを思うと胸が痛くなるが、おそらく、この生還者は「仲間を命がけでかばった」おかげで、免疫力が何倍にもなって、生き残る奇跡が起きたのだろう。
人はやはり、自分を被害者に見立てて怯(おび)えているときよりも、誰かをかばうために闘っているときの方が、何倍も強いのだと思う。
そう考えれば、かばう人がいる人はしあわせである。
人生のどんな苦労も、大切な誰かのために乗り越える方が、自分のためにがんばるより脳は何倍も楽なのだから。
常に、相手目線で考えること。
それは、運気上昇に欠かせない、大事な生きるコツなのである。
ことわざの「情けは、人のためならず」には、そんな意味合いも含まれているのかもしれない。
『運がいいと言われる人の脳科学』新潮文庫
「誰かのためにがんばる」とは、誰かに「笑顔になってもらいたい」「喜んでもらいたい」と思ってがんばること。
誰かとは、家族、友達、同僚、自分を支えてくれるスタッフや仲間たち…。
人は、誰かへの「思いやり」を持っているときに一番幸せを感じるという。
思いやりとは、なんの見返りも求めず、相手のことを気遣うこと。
スポーツの試合などでも、「自分のためにがんばる」と考える人より、「両親のため」、「妻や子どものため」、「一緒に頑張った仲間のため」、「入院している友人や子どものため」と思って試合にのぞむ人の方が圧倒的に力を発揮できる。
「情けは、人のためならず」
誰かの笑顔のためにがんばる人には限りない魅力がある。
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AIさん
一円さん
人の心に灯をともすさん
うたしな皆さん
おはようございます
今日一日お休みで、真夜中に起きる習慣がついてい
る窯元です(笑)
今日の役に立つ話
発想の転換で生き方が変わる
私が理事長を務めているノートルダム清心女子大学
は、根本的にレベラル・アーツ・カレッジであり、その
目指すところは、キリスト教的価値観に基づいた
「自由人の育成」にあります。自由人とは、自分の人生
のあり方について、自分で判断し、選択し、自分の行
為、不行為について責任を取り続ける人の姿といって
よいでしょう。一人の人が判断、選択するに当たっては
、遺伝、環境という二つの要素が大きく影響することは
、いうまでもありません。しかし、人間は、この二要素
だけの”産物”ではなくて、”第三の力”自由を持って
います。それは、髪の似姿に創られた人間にのみ与え
られた理性と自由意思に基づく力です。
はなしょうぶ
黒い土に根を張り
どぶ水を吸って
なぜ きれいに咲けるのだろう
私は
大ぜいの人の愛の中にいて
なぜ みにくいことばかり
考えるのだろう
(星野 富弘)
自由を与えられている人間の場合、置かれた場所で
咲くも咲かないも、どのように咲くのかも、結局は、
自分次第なのです。それは多くの場合、発想の転換に
よって、もたらされます。
聖書の中に、発想の転換を教えてくれる一つのエピ
ソードが語られています。
人々が一人の目の不自由な人を連れてきてキリストに
尋ねます。
「この人がこのようなのは、本人のおかした罪のせい
ですか。それとも親の罪のせいですか」
キリストは答えていわれます。
「そのどちらでもない。神のみ業(わざ)が、この人に
現れるためである」(ヨハネ・9・3)そして、その人の目
が見えるようにしておやりになりました。
人々は、「なぜ」と、その原因を尋ねたのに対して、
キリストの答えは「何のため」と、その事実が持つ意味
の指摘でした。
「誰のせいか」「なぜ、こういう目に遭うのか」という問い
とともに「何のため」という問いかけもあっていいのだと
気付く時、自分の、その事がらに対しての理解が深ま
り、道も拓け、姿勢が前向きになるように思うのです。
私たちもまた、いつも「何のために」と前向きに考える
自由人でありたいと願っています。
置かれた場所で咲くも、咲かないも、
どのように咲くのかも、自分次第。
人は自分の生き方を決める自由がある。
幸せへと導くためには、発想の転換が助けとなる。
出典 面倒だから、しよう 著者 渡辺和子さん
(ノートルダム清心学園理事長)
私も含めて誰かのお役に立てましたら幸いです
今日の嬉しい話
今日はお給料日で
嬉しい日です
お預かりするお金はありがたいのですが、昨日、
仕事帰りに、明日の夕飯何にしよう
カツオのたたきとか美味しそう
と考えていたのですが、今日、諸事情で一日休みを
利用し、かたっぱしから私用を片付けるので、その
帰りにスーパーに寄って、ちょっと奮発しようか
考えてみます
真夜中から活動し始めると、一日が長く、
休みが終わるころには、ありとあらゆるものが片付くと
スッキリーーーーーーーー
嬉しいです
今日の幸せな話
今、鳥のさえずりが聴こえはじめました
朝焼けを見ながらコーヒーでも飲みます
この声が聴こえると安堵感があります
今日の笑える話
先日
仕事先に向かう途中で、何十年かぶりに
道で
転びました( ̄▽ ̄)
腕から地についたので、腕を負傷(=゜ω゜)ノ
いそいでいたので血が滲みながら、仕事先へ
ある理由で理不尽なことがあったのですが、
五戒を言わず、淡々と仕事をし、とりあ
えず、帰宅
思いました
顔面から倒れなくてよかったと
接客業ですから、仕事できませんからね(笑)
壁ドンでもなく壁チョンでもなく(笑)、
顔面から倒れたら
顔ドン(笑)
ドンがつけばなんでもいいというものでもないですね~
(笑)
ひらめきました
今日、昨日テレビで放送されていた
夕飯はアボカド丼にします(笑)(^^)/
転んでもただでは起きない窯元
ではこの変でコーヒーを飲んできます
うたしな皆さん
ありがとうございます
いってらっしゃーーーい