ええ~っと、今日、僕のところに来た女性の話なんですけど、その方が魂が高いとか、
低いとかの話をするものですから、一円なりにそのことについて考えてみました。
その報告です。
なんかの修行をしたとか、瞑想しているとか、お経をあげているとかは、
魂のレベルをはかるものとして、一円は適切とは思っていません。
むしろ、もっと身近な誰にでもわかる明らかな、
具体的な軸がいいなって思いまして、考えてみましたら、
こういうのはどうかとひらめきました。
天国が上のレベルで、
地獄が下のレベルです。
天国から地獄までの間を人はいったりきたりしていますけど、
さらに、それを細かく、分析すると、このようなことがわかりました。
掃除が多ければ多いほど、天国に近づく。
掃除が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
笑いが多ければ多いほど、天国に近づく。
笑いが少なければ少ないほど、地獄に近づく。
感謝が多ければ多いほど、天国に近づく。
感謝が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
よい言葉が多ければ多いほど、天国に近づく。
よい言葉が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
競うことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
競うことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
比べることが少なければ少ないほど、天国に近づく。
比べることが多ければ多いほど、地獄に近づく。
争うことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
争うことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
恨むことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
恨むことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
憎むことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
憎むことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
呪うことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
呪うことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
許す心が多ければ多いほど、 天国に近づく。
許す心が少なければ少ないほど、 地獄に近づく。
愛が多ければ多いほど、天国に近づく。
愛が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
怒らないが多ければ多いほど、天国に近づく。
怒らないが少なければ少ないほど、地獄に近づく
裁かないが多ければ多いほど、天国に近づく。
裁かないが少なければ少ないほど、地獄に近づく。
妬まないが多ければ多いほど、天国に近づく。
妬まないが少なければ少ないほど、地獄に近づく。
こういう軸で、魂のレベルが上だの下だのいうことはいいんじゃないかと
思います。
結局このようなことが実践できているのかどうなのかというところで、
魂の上下を論じたほうがいいと一円は思います。
魂の問題は、学歴でも、修行の経験でも、瞑想でも、占いでも、超能力でもありません。
今あげたような掃除、笑い、感謝、競わない、比べない、争わない、恨まない、憎まない、呪
わないというような誰にでもわかる感じられる視点の部分を大切にして、そこのレベルの高い
人たちが本物であると一円は思いますし、信頼していい方々だと思います。
さらに言うと、一円としては魂が高いとか、低いとかを本当は論じたくありません。
みんな一人一人が神仏の一部分なのでありまして、その方々に上下をつけること
自体が本当は、はばかれることだからです。
正直にいいますと、そんなことはしないほうがいいのです。
みんなに上下をつけず、尊敬して、仲良く笑顔で暮らせたらそれが最幸なのでありますけど、
しかし、このくらいのことを一円が定義しておかないと、自分勝手に魂が高い、低いと論じて
不毛の争いを繰り返すもとをたちたいなって思いまして、あえてこんな話をしてみました。
一円としてはこんな目安で、魂の上下を考えたいと思いますが、
いかがなものでしょうか。
みなさんの意見感想を聴かせていただきたいと思います。
低いとかの話をするものですから、一円なりにそのことについて考えてみました。
その報告です。
なんかの修行をしたとか、瞑想しているとか、お経をあげているとかは、
魂のレベルをはかるものとして、一円は適切とは思っていません。
むしろ、もっと身近な誰にでもわかる明らかな、
具体的な軸がいいなって思いまして、考えてみましたら、
こういうのはどうかとひらめきました。
天国が上のレベルで、
地獄が下のレベルです。
天国から地獄までの間を人はいったりきたりしていますけど、
さらに、それを細かく、分析すると、このようなことがわかりました。
掃除が多ければ多いほど、天国に近づく。
掃除が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
笑いが多ければ多いほど、天国に近づく。
笑いが少なければ少ないほど、地獄に近づく。
感謝が多ければ多いほど、天国に近づく。
感謝が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
よい言葉が多ければ多いほど、天国に近づく。
よい言葉が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
競うことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
競うことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
比べることが少なければ少ないほど、天国に近づく。
比べることが多ければ多いほど、地獄に近づく。
争うことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
争うことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
恨むことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
恨むことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
憎むことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
憎むことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
呪うことが少なければ少ないほど、天国に近づく。
呪うことが多ければ多いほど、地獄に近づく。
許す心が多ければ多いほど、 天国に近づく。
許す心が少なければ少ないほど、 地獄に近づく。
愛が多ければ多いほど、天国に近づく。
愛が少なければ少ないほど、地獄に近づく。
怒らないが多ければ多いほど、天国に近づく。
怒らないが少なければ少ないほど、地獄に近づく
裁かないが多ければ多いほど、天国に近づく。
裁かないが少なければ少ないほど、地獄に近づく。
妬まないが多ければ多いほど、天国に近づく。
妬まないが少なければ少ないほど、地獄に近づく。
こういう軸で、魂のレベルが上だの下だのいうことはいいんじゃないかと
思います。
結局このようなことが実践できているのかどうなのかというところで、
魂の上下を論じたほうがいいと一円は思います。
魂の問題は、学歴でも、修行の経験でも、瞑想でも、占いでも、超能力でもありません。
今あげたような掃除、笑い、感謝、競わない、比べない、争わない、恨まない、憎まない、呪
わないというような誰にでもわかる感じられる視点の部分を大切にして、そこのレベルの高い
人たちが本物であると一円は思いますし、信頼していい方々だと思います。
さらに言うと、一円としては魂が高いとか、低いとかを本当は論じたくありません。
みんな一人一人が神仏の一部分なのでありまして、その方々に上下をつけること
自体が本当は、はばかれることだからです。
正直にいいますと、そんなことはしないほうがいいのです。
みんなに上下をつけず、尊敬して、仲良く笑顔で暮らせたらそれが最幸なのでありますけど、
しかし、このくらいのことを一円が定義しておかないと、自分勝手に魂が高い、低いと論じて
不毛の争いを繰り返すもとをたちたいなって思いまして、あえてこんな話をしてみました。
一円としてはこんな目安で、魂の上下を考えたいと思いますが、
いかがなものでしょうか。
みなさんの意見感想を聴かせていただきたいと思います。
基本的な・とても大切な・そして分かりやすい実践かもしれないですね
素敵です
感謝します
はまちゃんさん、補強してくださって、どうも
ありがとうございます。
もちろん、そうですよ、
生きている間は、生きる。
他界するときがきたら、他界する。
それだけのことでして、
死に急ぐとかいう必要はまったくありません。
この世に存在するものは、
すべて、神、仏に祝福されてきらきらと輝いて
いる存在です。
みんな、この世に存在するものはすべて、
神、仏に許されて、存在しています。
死に急ぐ必要など毛頭ありません。
一円は半分他界して、向こうの世界をみてきまし
たが、残りのおまけの人生は、
こっちの世界をフルに楽しんで、いいこと
して、みんなを愛して暮らそうって決めました。
一円の記事は、すべて、一円の経験をもとに
言葉にしたものです。
一円は自分の経験の範囲が、
言葉にすることの許される
範囲であろうと思っています。
一円の経験が、このように記事にでき、
みなさんに伝えることができたことは、
もうそれだけでありがたいことです。
一円の経験が、みなさんの参考になれば、
一円をしては最幸に嬉しい楽しい幸せです。
きっと周りをそっと照らすような温かい人に気がついていたらなっているかも知れないですね
素敵です
面白い~
パンダさんが可愛いね~
そうそう、
大切なことは『投げかけることです。』
投げかけたものが、返ってくる。
これが、一円の作品にした、
表の因果(いんが)の法則を
実践しているということです。
小林正観さんが、
とてもうまく説明してくださっています。
『愛すれば愛される。
愛さなければ愛されない。
感謝すれば感謝される。
感謝しなければ感謝されない。
嫌えば嫌われる。
嫌わなければ嫌われない。
憎めば憎まれる。
憎まなければ憎まれない。』
この四つは例えばでありまして、
さらに詳しく言うと。
人間の思い。
言葉にしたこと。
行為したこと。
すべてが、そのように、
投げかけたものになります。
ですから、それは、
やがて倍になって返ってきます。
ですから、自分が投げかけるものを、
喜ばしいものにしていくと、
返ってくるものも、喜ばしいものになる。
それを、どんどんどんどん自分の日常の生活のな
かで行うもの全般にわたって、
喜ばしいものにしていくと、
喜ばしいものばかりが、返ってくる状況に
なってきます。
これが、因果(いんが)の法則を
実践することです。
仏さんというのは、因果の法則をちゃんと
実践している存在で、その因果の力に守られて、
いるので、喜ばしいことばかりが取り巻いてお
り、仏さんのまわりでは喜ばしいことばかりがど
んどんどんどん起きていきます。
ですから、
心穏やかに暮らしていられるのです。
投げかけたものが、返ってくる。
投げかけなければ、返ってこない。
これは、シンプルですけど、ものすごく
大切なことです。
この法則を因果の法則を信頼していくことが
とても大切なことなんですね。
魂が浮かばれているかたほど、ちゃんと
この因果の法則を信頼して行動しています。
とにかく、できるかぎりいい投げかけ、
できるかぎり喜ばしい投げかけを
みんなに行っていくことが大切です。
ここで、素晴らしい実践者としまして、
小林正観さんがこんなことを言っているんです
ね。それは。
『感謝だけで生きてこれた。』
という言葉です。
これは、感謝という投げかけだけで、
生きてこれたということです。
感謝を投げかけていくだけでも、すばらしい
笑顔に囲まれて暮らしていくことができる。
これは、とってもいい参考になる話です。
みなさんの参考になれば幸いです。
いつもどうもありがとうございます。
があります。
投げかけるって忘れてました
投げかけないと、返ってきませんね
ありがとうございます、皆様、感謝します
『一円さんが実力不足ということはないと思いま
す。受け手側の問題です。』
って言ってくださってね。
とっても、ありがたいし、嬉しいんです。
でも、わからないことを伝えているのは、
やはり、一円の実力不足なのです。
みなさんに、そして、誰にでもわかるものを
提供していきたいと思っています。
わからないものをなげかけてもしかたないので
す。みなさんの喜ぶものを投げかけていかないと
一円に喜びが返ってこないのです。
だから、一円もそこのところは素直に喜ばしいも
のを伝えられるようにできたらいいな~
できなくてもいいけど~
できたら嬉しい楽しい幸せだな~って
思っているのです。
お友達の臨死体験ははまの母のに似ていますね凄いなと感心しました
質疑応答会で○○さんも「死は悲しむものではない」と話をされていました
そしてその時に「霊格の高い人は早死にするようだ」→魂が成長出来ているのでそのようなシナリオになるようだ、とおっしゃられていました
ただこの記事をみて心配に思った事があります
皆さん出来た方だと思いますので杞憂と思ってますが、死後の世界が気持ちの良いものかもしれないとしても、それに向かって急ぐような事はされないで下さいね
お会いしての話であればその旨を説明させて頂く事も出来ますが、HPですのでね
良い方達ばかりですので心配はしていませんが、もしの為一応記載してしまいました失礼はお詫び致します
明日も職場でお年寄りと楽しんできます
皆さんもうたしな一日になりますように
どうもありがとうございます。
そのように、言っていただいて、ほんとありがた
いです。
ありがたいのに、昨日は一円は友人たちと食事と
お酒を飲んでしまって、
コメントを入れられない状態で申し訳ありません
でした。
今日は幸い大丈夫なので、順々と臨死体験に
ついて話ていこうと思います。
それにしましても、はまちゃんさんの
お母さんも、スバラシイ体験をさせましたね~
そうです、臨死体験というのは、そういう
経験をします。
まだ、こっちの世界に来る時期ではないときは
そのような対応を、
最愛の方々にされてしまいます。
そうして、死なないで、こちらの世界に帰って
くる。
ちょうど、はまちゃんさんのお母さんと同じ体験
を、僕の友人のお一人もしていまして、
火事で大やけどをして、気を失っていたとき、
臨死体験をした。
それは綺麗なお花畑があって、
川が流れていた、対岸には死んだはずの
親達がいて、笑顔で笑っている。
この僕の友人は、そのお花畑があんまり美しい
ので、川を渡って、大好きな人たちもいるし、
もうここにずっといたいような気持ちに
なったそうですけど、
でも、親達がいうには
『お前はまだくる時じゃないよ。』
それを聴いた瞬間に、意識をとりもどして、
大やけどをして、病院で治療をうけている自分
に気がついたそうです。
このような感じの臨死体験談はよくあります。
とても多いです。
そして、この話から学べることは、
あの世は、とても、それは綺麗だということで
す。神秘的な最幸の美しさがある場所
すてきな場所。
そうです、いい場所である
ということです。
これが、大切なことです。
死はたしかに別れです。
だから、寂しくはあります。
けれど、あの世は、最幸にいいところなのです。
この世よりもはるかに自由で、嬉しくて、
楽しくて、幸せないいところなのです。
そこには、自分が、最幸に愛している人たちが
おり、また、自分を最幸に愛してくださる方々
がたくさんおられるところなのです。
ですから、あの世はこわがる場所ではなく、
ありがたい最幸に幸せな、愛のふるさと。
愛の故郷。です。
そこは仏達の居場所。
そこには、競うことがありません。
そこには、比べることがありません。
そこには、争うことがありません。
そこには、恨みも、憎みも、呪いも、妬みも
ありません。
そこには、怒りがありません。
そこには、いらいらがありません。
そこには、裁きがありません。
そこには、愛が溢れています。
そこには、許しが溢れています。
そこには、喜びが溢れています。
そこには、笑いが溢れています。
そこには、美が溢れています。
そこには、感謝が溢れています。
そこには、自分がありません。
自分がいるにはいるのですが、自分は、
愛の神の一部であることがはっきりと感じ、
わかります。
自分が、神の一部であることが、最幸に幸せで
自分が、こんなに貴い存在であったかと
思い出すことになります。
自分だけでなく、ほかのあらゆる存在もまた、
自分と同様な貴い存在であることを知ります。
そこで、本当の自由を体験します。
自分のコントロールも思いのままという感じで、
自由自在です。
そして、大きな大きな不思議な力に守られている
ことがわかり、大きな安心感のなかにあります。
ただし、因果の法則がこの世界を
支配しています。
まあ、あの世というのはそんなステキな綺麗な
それは綺麗な世界です。
話をもとに戻しまして、
あの世には、誰しも最愛の人たちが待っていると
いうこと。
さらに、その待ってくれ、迎えにきてくださる
かたは、こちらに来るときではないとか、
こちらに来るときであるとか、わかっていると
いうこと。
これはとても大切なことです。
ある意味他界する時期というのは、最愛の人、御
先祖さんだったり、親だったり(誰が着てくれるか
はいろいろで、縁のある最愛の人です。)、
神様、仏様たちはわかっているということを
表しているからです。
ですから、死は怖いものではないこと。
死後の世界はいいものであることがわかります。
死は喜ばしきものでさえ、あるといえます。
このある意味不自由な肉体からの解放を
意味するからです。
そして、この肉体があるがゆえに、
われわれ人間は、人と、競い、比べ、争い、
怒り、裁き、イライラしらり、
人を、妬み、恨み、憎み、呪い、
感謝もできず、喜びもせず、
自己主張をし、
自己のコントロールに苦しみ、
不思議な力の守りも感じることができず、
見方や考え方や、行動も自由自在でありえず、
因果の法則も理解できずにいる。
肉体を持っているから、生じやすいのです。
肉体をもっているから、こんなことになって
しまっているのです。
けれど、この肉体に宿ったのは、自分なんです。
自分で宿ったのではないと、主張するかもしれま
せんが、この世にその肉体でやりたいこと、楽し
みたいこと、チャレンジしてみたいことなどなど
が、あったから、この世に生まれてきたのです。
とりあえず、この辺で、とめておきます。
長くなってしまいました。
まだ、僕の臨死体験まで、話がたどり着いても
いませんが、とりあえずこんな感じで
どうでしょう。
わからないものはわからないままに、どうなる
かわからないものはわからないままに、して
おこうとおもいます
一円さんが実力不足ということはないと思いま
す
受け手側の問題です
いつも、アドバイス下さり、ありがとうござい
ます
はまにはありませんが、実家が火事になり母が気道熱傷で地元市民病院(僕の元職場です)ICU(元職場です)に入院中、何度がお花畑に行ったそうです
そして凄く懐かしい人々が水辺の向こう側にいて嬉しくて一生懸命話しかけたけど、誰も返事をしてくれない
え、どうして??おかしいなと思っていたら、ICU内で人工呼吸器をつけた気管挿管された状態で目が覚めた・・
その話を聞いて○○さんの臨死体験の話にソックリかも、と思いました
豊橋にはココニコ館という子供館がありますが、その場所がオープンするときに整備されていた庭の花畑をみて「(臨死体験?の)花畑はこんな感じだったでももっと透明な透けた感じだった」と言ってました
宜しければ一円さんの臨死体験も知りたいです
宜しくお願いします
そうそう、しばらく考えるのをやめる。
それでいいんです。
不思議っていう言葉がありますけど、
この言葉は、仏教てきには、
思議(しぎ)せずという意味で、
これ以上、思い考えたりすることではありません
よという意味なんです。
さらに、不可思議(ふかしぎ)にいたっては、
思議すべからずということで、
これ以上は、思い考えてはいけませんよという
意味なんです。
○○さんはこれを『ここから先は神の領域』
という言葉を使って、わからないものは
わからないでいいんだよ、神様の領域の話だから
これ以上は考えなくていいんだよって教えて
くれています。
つまり、これ以上思い考えないというもの
立派な智恵の一つなんです。
『わからないものはわからないでいいんじゃ』
というのが、仏教の大切な智恵の一つなんだ
ということはとても重要なことです。
よくこれは日常でも
使える智恵なので覚えておくといいと思います。
もちろん、多くの人が日常的にやっているかもし
れませんが…
一円はこればっかりいつも使って日々の日常を
暮らしています。
つまり、差し迫って、答えを出す必要にせまられ
ているのならまだしも、そうでないのなら、
『そんなことはどうでもいい』
という○○さんの伝家宝刀で斬りさばいていく。
どんどんそういう風にしていいということです。
僕はこの○○さんが大好きなんですよね~
スバラシイ実践者だと心から思っています。
今回の一円の話は、不思議な話。
ちょっと神様の領域に踏み込こんだ内容に
なってしまっているのです。
もうしわけありません。わかるように、
心のすっきりとするように一円が説明できたらい
いんですけど…実力不足で…
一円という人間が神さまの領域に
臨死体験というもので踏み込んだ内容
まで、盛り込んでいますからね。
そのまま、一円が逝ってしまっていたら、
なんにもこのようにはお話できないんですけど、
幸い、死なずに途中で引き返して、そのとき
見てきたもの聴いたこと感じたものをベースに
いろいろ学んできたことを総合して、言葉に
したものですので、スルスルスル~してください
ね~。
とりあえず、今は、
『そんなことはどうでもいい』
という風に。
しばらく考えるのをやめようと思います
ご縁を頂いた皆様、本当にありがとうございます ありがとうございます
感謝します
でももし「よくわっかんない」という感じがしたら、そのままで良い様に思います
よく分からないけどなんとなく感じる・・そんなのもOKなのではと思います
大丈夫、無理して学ばなくていいんですよ。
必要なときに学べばいいんです。
一円の説明がもっと上手に、わかりやすく
簡単に嬉しい楽しい幸せなものであったら、
それこそ、なお、いいんですけどね~
わからないところはどんどんスルスルスル~
してくださいね。
かなり学ばなくては
皆さん、感謝します
そうなんですよね気をつけていないとすぐ上とか下とか考えてしまいます
謙虚に生きれるようにその辺を押さえたいです
なおちゃん・一円さん・皆さんに感謝です
と~~っても深い重要な内容をありがとうございます。
ミコも、ちょっと前まで、上だの下だの人を位置づけしてみてしまう癖があり葛藤を繰り返してきました(今も気がぬけません・・)
今は、「みんなそれぞれの個性で大事」で「上も下もない」って思っています。
でも、学習してもすぐ忘れたりしがち・・・
こうして改めて確認&学ばせていただけるとすごくありがたいです。
神様なる姿がたくさん現れている方ほど、
どこまでもやさしく愛に満ち満ていて、なんともいえない幸せな気持ちになります。
あ~じゃこ~じゃ言わず、
実践あるのみですね!!はい!!
ありがとうございます
ことを永遠に考えてきたところもありまして、
友人が、ここへ来て一円の頭のなかを
整理する機会をくれたんだなって感謝していま
す。
はまちゃんさんも気づきがあったら、どんどん
記事にして教えてください。
よろしくお願いします。
冒頭からその後までここまで熱く記載できるのには情熱を感じました
それで思い出した事があり、記事を記載します
また見て頂けたら嬉しいです
なおです
うたしの方々も、本当に温かく、感謝していま
す
私は、過去に何度か精神的に滅入った経験があ
りますが、過去です
この経験がなければ、うたしの方々には、
出逢えなかったと思います。
私は、ずっと幸せだったんですね
人間として命を頂き、本当にありがたいです
うたしの方々また、ありとあらゆる過去にも、
感謝します
天国で みんなと 会えるんだなぁ~~~
イイねぇ~~~ イイねぇ~~~
時には イネムリ しちゃっても~
イイねぇ~~~ イイねぇ~~~
あくまでも自分が実践していくということです。
それにしたって、自分に必要を感じたらで
いいのです。
人のことをああじゃこうじゃ言うための
智恵ではありませんからね。
ただ、本当に困ったときに、信頼できる人たちを
選ぶ目安にしていただけるといいかなって
思います。
こういう言葉の実践者の、
嬉しい楽しい幸せの仲間達は心配ありませんがね
~みんな信頼できる仲間と一円はありがたく
思っております。
地獄に近づく。』
という言葉も、たんにみんなのイメージのための
たとえでありまして、近づくという言い方を
していますが、
同じ自分の心の変化にすぎません。
さらに上、下の話ですけど、
魂は思いが少なく軽くなると、
浮かばれて上に昇っていきます。
魂は思いがたくさんあって重くなると
沈んでいきます。
これを昔から浮かばれない
とかいいました。
この世に未練があって、浮かばれないという
言いかたが、昔からありますけど、そういう
意味の魂の上下のここと御理解いただけたら
と思います。
ここにあげた、いくつかの軸を実践している
ことが多い人たちは、確実に浮かばれていき
心が穏やかに暮らせていることと思います。
逆に、ここにあげた軸の実践が少ない人は
浮かばれないという状況になり、
心が穏やかでない暮らしになっては
いないのではないでしょうか。
これは一円自身が経験者なので、よくわかる
ことなんです、ここにあげた軸となる言葉たち、
『怒らない、裁かない、許す心、愛がある、良い言葉を使う、競わない、比べない、争わない、掃除、笑い、感謝、恨まない、憎まない、呪わないいらいらしない』
これはすべて、一円が少なかったものです。
そのとき一円の心は穏やかではなく、地獄のよう
なそれこそ思いをしていました。
それこそ何十年も…。
一円はいろいろな学びを進めて、
『怒らない、裁かない、許す心、愛がある、よい言葉を使う、競わない、比べない、争わない、掃除、笑い、感謝、恨まない、憎まない、呪わないいらいらしない』
このような言葉を胸に、実践を重ねた結果、
かなり自分の心が穏やかに天国を暮らせるように
なりました。
ですから、一円の経験に基づいたものでして、
口だけで言っているわけではありません。
ただし、一つ断っておきたいことは、
一円がいつもすべてを実践できているわけでは
ないといういことです。
心がけてはいますが…。
そういうふうに実践できたらいいな~
実践できなくてもいいけど~
実践できたら、嬉しい楽しい幸せだな~って
いうことなんですね。
みなさんにとっては、あくまでも目安です。
参考にしていただけたら、幸いです。
一円さん、なおです
良き友を持ち、喜ばれる生き方を実践し、
淡々と受け入れていく
そ、わ、か、もあやうい私ですが、
実践していくことが大切ですね
良き友がいてくださる私は本当に幸せ者です
一円さん、皆様本当にありがとうございます
す。ここにあげた項目は、みなさんの御存知の
ことばかりを項目としてあげてみました。
要は、実践ジャーであることが大切なんですよ
ね。
大切なことを実践できてもいないのに、
魂が高いとか、低いとか、ああじゃこうじゃ、
いわれる方がありましてね…。
魂が本当に高いといわれるのかたは、
こんな感じの実践をしているとおもいますから、
その人が信頼できる人かどうかの目安に
してみてくださいねって、
いう参考のために考案したものです。
こういう項目なら誰でも、わかりますでしょう。
今日も一円の友達とこの話をしたんです。
そしたら、
『許す心が多ければ多いほど、
天国に近づく。
許す心が少なければ少ないほど、
地獄に近づく。』
『愛が多ければ多いほど、
天国に近づく。
愛が少なければ少ないほど、
地獄に近づく。』
『怒らないが多ければ多いほど、
天国に近づく。
怒らないが少なければ少ないほど、
地獄に近づく』
『裁かないが多ければ多いほど、
天国に近づく。
裁かないが少なければ少ないほど、
地獄に近づく』
『妬まないが多ければ多いほど、
天国に近づく。
妬まないが少なければ少ないほど、
地獄に近づく。』
っていうのも、加えたらどうだって、友人が
言ってくださったので、加えることにしました。
みなさん、どうもありがとうございます。
天国等と思うと大きく感じて実感がわきにくいですが一円さんがとても具体的に書いているのでとても分かりやすいです
すぐ出来る事を日常として実践していくのが大切なんだなと思いました
また主体性を持っていないと何かに頼る事から度が増して、誰かにコントロールされる状況になりかねません、と聞いた事があります
喜ばれる生き方を実践する
良い友を持つ
どうしたら喜ばれる存在になれるか何時も考える
のジッセンジャーをして行きたいなと思っています
そうすると「自分の魂レベルが今どうか」的な事は気にしなくてもよさそうですね
ああじゃこうじゃ考えず、ただ淡々と受け入れて実践していく・・の○○さんの話が浮かんできそうです
イネさんのゆらゆらなコメントがあると、
一円もゆらゆらゆらゆら気持ちいい気分に
なってきて癒されちゃいます。
ミクシーのさくら○森絵満さんも一円の
この魂のレベルの話を日記に取り上げて
くれていまして、これまたステキなかたがたが、
コメントをくださり、この一円の話を補強して
くださっています。
よろしければ、そちらもご覧ください。
一円さんの 暇人 のおかげで
みんな たのしくって ありがたくって
本と
イイねぇ~~~ イイねぇ~~~
長文は イネの子守唄
それも イイねぇ~~~ イイねぇ~~~
一円はよほど暇人のようなんですよね~
ね~イネさん、ほんと笑っちゃいますよ~
でも、みなさんとおしゃべり楽しいからいいんで
すけどね。
ちょっと長文すぎたかな~イネさん、イネムリ~
ごめんごめん
してました
一円さんの アフロの中は ただの アフロでないことが わかりました~
みんなの コメントに み~んな コメントを入れてくれる 一円さん
その言葉は とっても あったかくて たのしいものばかり
ただの暇人 とは 訳が違う
アフロの 暇人
イネは すごいなぁ~って 思います
ステキだなぁ~って 思います
今 ここにいる アフロの 一円さん
イネは
イイねぇ~~~ イイねぇ~~~
ただ それだけ
すみません
ありがとう
いです。ええっと、掃除、笑い、感謝などの軸は
誰からもわかりやすいということで、一円が取り
上げたものでありまして、ほかに自分なり
の軸をもうけてももちろんいいと思います。
愛と優しさとかもいいですよね~
誤解のないように補足します。
天国は心が平安のこと。
地獄は心が穏やかでないことです。
普段使われるような地獄の世界があるわけではあ
りません。
とか仏様とか、霊感、超能力とか、占いとか、
そういう見に見えないものを扱い、商売している
人たちを信頼できるか判断する際にも、用いるこ
とができる判断基準だと思います。
さらにいいますと、悪い予言をする人たちも
信頼できる人たちではありません。
なぜかともうしますと、悪い予言をする人たちは
悪い予言を言った瞬間から、悪い予言が実現する
ように、無意識のうちに心のなかで
祈り始めるからです。
自分の言葉の責任があるからですけど、
悪い予言を祈る、他人の不幸を念じるなんて、
魔神のやることです。
普通に考えても、悪い予言をして、人に恐怖感を
与えたり、それによって自分の思い通りにしよう
とする意図があることは明白でいい人のやること
ではありません。
いい人、聖人、よい神様というのは、人を恐怖せ
ません。
人が安心して、そうしたほうがいいなっ
て心から思えるように教えさとしてくれるもので
す。言うとおりにしたほうがいいんだけどなって
ときも、本人の選ぶ人生を尊重していますから、
無理やりに強制することはありません。
さらに魅力を高めて、その人に言葉が通じるよう
な自分作りをしていくという方向性で歩みを進め
ていきます。
そういう方が、いい人、聖人、善神です。