【独創に最も大切なものは美的感受性】5209
藤原正彦氏の心に響く言葉より…
数学や物理学における世界の天才を調べたことがあるが、天才の生まれる土壌は私得意の独断によると、まず美の存在である。
美しい自然、芸術、文学などが身近に存在することだ。
自然科学の独創に最も大切なものは、分野にかかわらず美的感受性であり、それは、美のある環境の中で培われるからである。
次いで精神性を尊ぶ風土である。
金銭に結びつかず役に立つかどうかさえ分からないことをも尊重する風土とも言えよう。
普遍的価値に敬意を払う気風なくしては、真理の探究に命を懸けることなどとうていできないのだ。
英国は戦後、二〇〇〇年までに自然科学で四十五名ものノーベル賞受賞者を輩出した。
この期間、英国は他のヨーロッパ諸国から「英国病」とか「ヨーロッパの病人」と言われるほど経済がふるわず、一人当たり所得は先進国中最下位近辺にいた。
にもかかわらず英国の田園は絵のように美しく保たれ、文学や科学が盛んだった。
またインド出身で自然科学の受賞者は三人だが、このすべてが南部のタミルナドゥ州出身なのである。
数学における高卒の大天才ラマヌジャンもこの州出身だ。二度にわたりインドをめぐった私にとって、この州は貧しいながら美しい寺院の最も多い州だった。
また、元々僧侶階級で精神性を尊ぶバラモンの密度が最も高い州でもあった。
上記四人も皆バラモンだ。
日本もイギリスもタミルナドゥ州も二条件を完全に満たしていた。
なお、日本人受賞者で東京で生まれ育った者はいまのところ一人もいない。
日本では近年、「精神性を尊ぶ風土」が急激に壊されている。
二十年余りの新自由主義により、社会は生き馬の目を抜くような激しい生存競争に巻き込まれた。
物事の価値を金銭や役立つか役立たないかで測る風潮がはびこった。
この風潮は学問の世界にまで蔓延している。
三年後、五年後に役立つという研究ばかりに科学研究費が与えられるようになった。
いつの日か花を咲かせるかも知れない、という研究には与えられず、すでに咲いている花に水をやるような研究ばかりに与えられる。
真鍋博士の気候変動に関する研究など、半世紀前には誰も関心をもっていなかったものだ。
それに加え緊縮財政による大学のポスト減だ。
国立大学では、四十歳未満の常勤教官の七割近くが二年とか三年といった任期つきである。
この間に論文をいくつも書かないとクビになるのでお手軽な研究に走ることになる。
ここ十数年の日本人による論文の質と量の低下は国際的な話題となっている。
こんな状況だから博士課程進学者もこの間に半減してしまった。
このままではノーベル賞がとれなくなるどころか、極東の一農業国となってしまいそうだ。
『日本人の真価』文芸新書
https://amzn.to/3YW4fiF
行徳哲男師にこんな言葉がある。
『理性が強すぎると自由を止める。
笑いを抑え、自分自身をがんじがらめにしてしまう。
理性とは体裁(ていさい)をつくり出す。
しかし自然を遠のけてしまう。
感性は?いつわりで固めることができない。
感性とは集中・統合・統一の機能である。
それゆえ集中できなくなると感性は鈍くなる。
集中するとは思考停止することである。
千日行にしろ、滝壺(たきつぼ)修行にしろ、火中歩行にしろ、少しでも考えてしまうと命にかかわる。
思考停止の行である。
思考が止まると勘が驚くほど鋭くなる。
鯰(なまず)が地震を予知するのも、蜘蛛(くも)が雨を予知できるのも、思考回路を持たないからである。
アインシュタインの相対性理論の発見も、湯川秀樹博士の中間子理論の発見も、思考が止まったときである。
集中は感性の基本である。
世紀の発見とはひらめきの中にある。』(感奮語録/致知出版社)より
数学や物理学に必要なのは、理科系の考え方や理性の力だと思ってしまう。
しかし、実際に必要なのは、美や自然、芸術、文学といった感性の力だという。
「独創に最も大切なものは美的感受性」という言葉を胸に刻みたい。
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藤原正彦氏の心に響く言葉より…
数学や物理学における世界の天才を調べたことがあるが、天才の生まれる土壌は私得意の独断によると、まず美の存在である。
美しい自然、芸術、文学などが身近に存在することだ。
自然科学の独創に最も大切なものは、分野にかかわらず美的感受性であり、それは、美のある環境の中で培われるからである。
次いで精神性を尊ぶ風土である。
金銭に結びつかず役に立つかどうかさえ分からないことをも尊重する風土とも言えよう。
普遍的価値に敬意を払う気風なくしては、真理の探究に命を懸けることなどとうていできないのだ。
英国は戦後、二〇〇〇年までに自然科学で四十五名ものノーベル賞受賞者を輩出した。
この期間、英国は他のヨーロッパ諸国から「英国病」とか「ヨーロッパの病人」と言われるほど経済がふるわず、一人当たり所得は先進国中最下位近辺にいた。
にもかかわらず英国の田園は絵のように美しく保たれ、文学や科学が盛んだった。
またインド出身で自然科学の受賞者は三人だが、このすべてが南部のタミルナドゥ州出身なのである。
数学における高卒の大天才ラマヌジャンもこの州出身だ。二度にわたりインドをめぐった私にとって、この州は貧しいながら美しい寺院の最も多い州だった。
また、元々僧侶階級で精神性を尊ぶバラモンの密度が最も高い州でもあった。
上記四人も皆バラモンだ。
日本もイギリスもタミルナドゥ州も二条件を完全に満たしていた。
なお、日本人受賞者で東京で生まれ育った者はいまのところ一人もいない。
日本では近年、「精神性を尊ぶ風土」が急激に壊されている。
二十年余りの新自由主義により、社会は生き馬の目を抜くような激しい生存競争に巻き込まれた。
物事の価値を金銭や役立つか役立たないかで測る風潮がはびこった。
この風潮は学問の世界にまで蔓延している。
三年後、五年後に役立つという研究ばかりに科学研究費が与えられるようになった。
いつの日か花を咲かせるかも知れない、という研究には与えられず、すでに咲いている花に水をやるような研究ばかりに与えられる。
真鍋博士の気候変動に関する研究など、半世紀前には誰も関心をもっていなかったものだ。
それに加え緊縮財政による大学のポスト減だ。
国立大学では、四十歳未満の常勤教官の七割近くが二年とか三年といった任期つきである。
この間に論文をいくつも書かないとクビになるのでお手軽な研究に走ることになる。
ここ十数年の日本人による論文の質と量の低下は国際的な話題となっている。
こんな状況だから博士課程進学者もこの間に半減してしまった。
このままではノーベル賞がとれなくなるどころか、極東の一農業国となってしまいそうだ。
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行徳哲男師にこんな言葉がある。
『理性が強すぎると自由を止める。
笑いを抑え、自分自身をがんじがらめにしてしまう。
理性とは体裁(ていさい)をつくり出す。
しかし自然を遠のけてしまう。
感性は?いつわりで固めることができない。
感性とは集中・統合・統一の機能である。
それゆえ集中できなくなると感性は鈍くなる。
集中するとは思考停止することである。
千日行にしろ、滝壺(たきつぼ)修行にしろ、火中歩行にしろ、少しでも考えてしまうと命にかかわる。
思考停止の行である。
思考が止まると勘が驚くほど鋭くなる。
鯰(なまず)が地震を予知するのも、蜘蛛(くも)が雨を予知できるのも、思考回路を持たないからである。
アインシュタインの相対性理論の発見も、湯川秀樹博士の中間子理論の発見も、思考が止まったときである。
集中は感性の基本である。
世紀の発見とはひらめきの中にある。』(感奮語録/致知出版社)より
数学や物理学に必要なのは、理科系の考え方や理性の力だと思ってしまう。
しかし、実際に必要なのは、美や自然、芸術、文学といった感性の力だという。
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