【「複合力」を身につける】4087
明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
これからの時代の生き方を考える上で外せないのがAI(人工知能)の進化。
「私たちはどう生きるか」ということの中に、「AIとどう共存(あるいは住み分け)していくか」が入ってくるのです。
「AIって言ったって、自分が生きている間にはそんなに変わらないよ」と思っていた人もいるでしょうけど、迫り来るAIの波を無視するわけにはいきません。
単純作業はもちろんAIの大得意とするところであり、クリエイティブな分野でさえ侵食されつつあります。
以後の世界でまずAIが人間に勝利し、将棋でもAIの優位性が証明されつつあります。
車の自動運転なんて、フィクションの世界のものと思われていたことが確実に「現実」になってきています。
自動運転が本格的に実用化されれば、事故は減少すると言われています。
人間と違って「不注意」というものがない。
また、故障でないかぎり、体調や気分に左右されることもない。
人類は、これまでもさまざまな時代の変化を乗り越えて生きてきました。
産業革命にしても、決して利便性が高まっただけではなかったはずです。
革命的な社会構造の変化の中で、自分たちはどう生きていくかを考え、新しい生き方に向けて、人々は大きく舵を切ってきたのです。
天災で何もかも失ったときも、そこからどう立ち上がるかを考え、実践してきたはずです。
時代というのは不可逆的なものです。
「それがなかった」時代に戻すことはできない。
スマートフォンにしても、さらに機能が進化することはあれ、スマホを使わない時代に戻すことはできないのです。
時代の進化は止められないとしたら、どうするか。
例えば、老荘思想にひたり、スマホやパソコンはもとより、一切のAIに関連するものには手を触れずに生きるということ。
「あのようなものと接触をすればするほど、人間性は失われるのだ」と言い、禅寺にこもるという方法があります。
ですが、それは難しい選択肢になるでしょう。
仕事をしたり、家族と暮らしたり、一般社会でも日常生活から遠く離れることはなかなかできません。
フランスの文化人類学者クロード・レヴィは、『野生の思考』(みすず書房)の中で「ブリコラージュ(器用仕事)」という概念を提唱しています。
未開の地の民族が、物がないならないなりに、あるものを組み合わせて工夫していくということ。
ないならないなりに、あるならあるなりにやるという、柔軟さを表す概念です。
ブリコラージュを成立させるためには、柔軟な状況判断能力が必要です。
そして、状況を判断する力というのは、目の前の現実がどうなっているかを確認・分析しつつ、ここからどうするかという「ちょっと先の未来」を考えるという2方向の頭の使い方、つまり「複合力」が必要なのです。
『大人の知的習慣 「複合力」こそが究極の効率化である』
KADOKAWAhttps://amzn.to/2HxZaKq
齋藤孝氏は本書の中で「複合力」についてこう語ります。
「大人の知性」とは、「複数のことに同時に対応できる柔軟な心身を持ち、その心身を駆使して常に考え続け、オリジナリティ溢れる行動をする」ことにより発揮されます。
そのための力を私は「複合力」と呼んでいます。
「複合的な行動」を実践することによって派生する大きな効用・効果、つまりは「複合力」を現代人が駆使するメリットにはどういったものがあるでしょうか?
パソコンが生まれ、インターネットが生まれ、個人がコンピュータを所有する時代になった今、ある程度の複雑な仕事は一人でできる時代になっていきます。
ということは、一人あたりの能力の高さを要求される時代になってきたのです。
現代の日本では、さかんに「スピードアップ」「効率化」や「クリエイティビティ」が叫ばれていますが、これらもその流れから生じたことです。
変化と進化が加速し続ける今、これを人類の幸福ととらえるか不幸ととらえるかは、また別問題です。
ただ、一つ言えることは、この動きを止めることはできないということ。
スマホの機能は、日々進化しています。
少し前までは、携帯電話で写真が撮れるだけでも驚いていたのに、今ではボタンを押さずに、言葉でスマホに指示するのも当たり前になっています。
今、スマホの機能を10分の1にして、原初的な機能に戻したものを開発したとして、買う人はいるでしょうか。
おそらくないと思いますし、そんな機能の商品をメーカーがいまさら作るとも思えません。
私たちは、便利なもの、速いものに慣れてしまったら、後戻りはできないのです。
物事の進化は、一方的でかつ不可逆的なものなのです。
そうすると、私たち自身も進化する方向、「複合力」をベースにした実験精神、チャレンジ精神をもって、今より少しでもよくするためにはどうするか、を考え続けることが、社会や時代の要請であるということになります。
なぜなら、道具が進化を続けている状況でそれを使いこなすためには、それを使う人自身にも進化が求められるからです。
「人の進化」と言うとずいぶんと大げさに聞こえるかもしれませんが、AIをはじめとする昨今の科学の進化に追いつく、または対応するために、そろそろ私たち「ヒト」も大きな前進が必要となっているように感じています。
齋藤孝氏は、これからの時代は「複合行動」に慣れておかなければならないと言う。
それはたとえば(斎藤氏が実際に実践していること)、「旅する×読む」「泳ぐ×アイデアを出す」「歩く×俳句・短歌を作る」「本を読む×エアロバイク」「雑談する×パソコンを操作する」「仕事をする×レジを聞く」「落語を聞く×歩く」「飛行機に乗る×本を読む」「喫茶的(カフェ)で過ごす×アイデアを出す」「暗唱する×歩く」「お酒を飲む×交渉する」「ストップウォッチで計る×作業する」等々。
DX(デジタルトランスフォーメーション)の加速により、これからは10Xを目指せと言われる。
10Xとは10倍という意味だが、全ての目標値を10倍に置いたら、今までのやり方では達成できない。
今までのやり方を否定し、全く新しい方法を考えないとそれは成就しない。
同時に、我々自身の身体的能力も上げていかなければならない。
それが、「複合力」を身につけること。
かつては、「ながら作業はダメだ、もっと一つのことに集中しなさい」、と言われた。
しかし、これからの時代は、二つや三つのことを同時にこなしながら仕事をする、というスタイルを身につけなければ生き残れないのかもしれない。
大人に必要な知的習慣として…
「複合力」を身につけたい。
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明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
これからの時代の生き方を考える上で外せないのがAI(人工知能)の進化。
「私たちはどう生きるか」ということの中に、「AIとどう共存(あるいは住み分け)していくか」が入ってくるのです。
「AIって言ったって、自分が生きている間にはそんなに変わらないよ」と思っていた人もいるでしょうけど、迫り来るAIの波を無視するわけにはいきません。
単純作業はもちろんAIの大得意とするところであり、クリエイティブな分野でさえ侵食されつつあります。
以後の世界でまずAIが人間に勝利し、将棋でもAIの優位性が証明されつつあります。
車の自動運転なんて、フィクションの世界のものと思われていたことが確実に「現実」になってきています。
自動運転が本格的に実用化されれば、事故は減少すると言われています。
人間と違って「不注意」というものがない。
また、故障でないかぎり、体調や気分に左右されることもない。
人類は、これまでもさまざまな時代の変化を乗り越えて生きてきました。
産業革命にしても、決して利便性が高まっただけではなかったはずです。
革命的な社会構造の変化の中で、自分たちはどう生きていくかを考え、新しい生き方に向けて、人々は大きく舵を切ってきたのです。
天災で何もかも失ったときも、そこからどう立ち上がるかを考え、実践してきたはずです。
時代というのは不可逆的なものです。
「それがなかった」時代に戻すことはできない。
スマートフォンにしても、さらに機能が進化することはあれ、スマホを使わない時代に戻すことはできないのです。
時代の進化は止められないとしたら、どうするか。
例えば、老荘思想にひたり、スマホやパソコンはもとより、一切のAIに関連するものには手を触れずに生きるということ。
「あのようなものと接触をすればするほど、人間性は失われるのだ」と言い、禅寺にこもるという方法があります。
ですが、それは難しい選択肢になるでしょう。
仕事をしたり、家族と暮らしたり、一般社会でも日常生活から遠く離れることはなかなかできません。
フランスの文化人類学者クロード・レヴィは、『野生の思考』(みすず書房)の中で「ブリコラージュ(器用仕事)」という概念を提唱しています。
未開の地の民族が、物がないならないなりに、あるものを組み合わせて工夫していくということ。
ないならないなりに、あるならあるなりにやるという、柔軟さを表す概念です。
ブリコラージュを成立させるためには、柔軟な状況判断能力が必要です。
そして、状況を判断する力というのは、目の前の現実がどうなっているかを確認・分析しつつ、ここからどうするかという「ちょっと先の未来」を考えるという2方向の頭の使い方、つまり「複合力」が必要なのです。
『大人の知的習慣 「複合力」こそが究極の効率化である』
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齋藤孝氏は本書の中で「複合力」についてこう語ります。
「大人の知性」とは、「複数のことに同時に対応できる柔軟な心身を持ち、その心身を駆使して常に考え続け、オリジナリティ溢れる行動をする」ことにより発揮されます。
そのための力を私は「複合力」と呼んでいます。
「複合的な行動」を実践することによって派生する大きな効用・効果、つまりは「複合力」を現代人が駆使するメリットにはどういったものがあるでしょうか?
パソコンが生まれ、インターネットが生まれ、個人がコンピュータを所有する時代になった今、ある程度の複雑な仕事は一人でできる時代になっていきます。
ということは、一人あたりの能力の高さを要求される時代になってきたのです。
現代の日本では、さかんに「スピードアップ」「効率化」や「クリエイティビティ」が叫ばれていますが、これらもその流れから生じたことです。
変化と進化が加速し続ける今、これを人類の幸福ととらえるか不幸ととらえるかは、また別問題です。
ただ、一つ言えることは、この動きを止めることはできないということ。
スマホの機能は、日々進化しています。
少し前までは、携帯電話で写真が撮れるだけでも驚いていたのに、今ではボタンを押さずに、言葉でスマホに指示するのも当たり前になっています。
今、スマホの機能を10分の1にして、原初的な機能に戻したものを開発したとして、買う人はいるでしょうか。
おそらくないと思いますし、そんな機能の商品をメーカーがいまさら作るとも思えません。
私たちは、便利なもの、速いものに慣れてしまったら、後戻りはできないのです。
物事の進化は、一方的でかつ不可逆的なものなのです。
そうすると、私たち自身も進化する方向、「複合力」をベースにした実験精神、チャレンジ精神をもって、今より少しでもよくするためにはどうするか、を考え続けることが、社会や時代の要請であるということになります。
なぜなら、道具が進化を続けている状況でそれを使いこなすためには、それを使う人自身にも進化が求められるからです。
「人の進化」と言うとずいぶんと大げさに聞こえるかもしれませんが、AIをはじめとする昨今の科学の進化に追いつく、または対応するために、そろそろ私たち「ヒト」も大きな前進が必要となっているように感じています。
齋藤孝氏は、これからの時代は「複合行動」に慣れておかなければならないと言う。
それはたとえば(斎藤氏が実際に実践していること)、「旅する×読む」「泳ぐ×アイデアを出す」「歩く×俳句・短歌を作る」「本を読む×エアロバイク」「雑談する×パソコンを操作する」「仕事をする×レジを聞く」「落語を聞く×歩く」「飛行機に乗る×本を読む」「喫茶的(カフェ)で過ごす×アイデアを出す」「暗唱する×歩く」「お酒を飲む×交渉する」「ストップウォッチで計る×作業する」等々。
DX(デジタルトランスフォーメーション)の加速により、これからは10Xを目指せと言われる。
10Xとは10倍という意味だが、全ての目標値を10倍に置いたら、今までのやり方では達成できない。
今までのやり方を否定し、全く新しい方法を考えないとそれは成就しない。
同時に、我々自身の身体的能力も上げていかなければならない。
それが、「複合力」を身につけること。
かつては、「ながら作業はダメだ、もっと一つのことに集中しなさい」、と言われた。
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