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【上手に語る人より「動き出す」人になれ】人の心に灯を灯す 4176より 写真はMさんからいただいた...

2020年12月25日 | 
【上手に語る人より「動き出す」人になれ】4176



桑原晃弥(てるや)氏の心に響く言葉より…


《上手に語る人より「動き出す」人になれ》

商工業を盛大にしなければいかぬという(中略)政治家、学者などもたくさんあったであろうが、そういう人々は自ら商売人に成りもせぬ、また成れもしなかった。(渋沢百訓)


トヨタには「診断士ではなく治療士なれ」という言葉があります。

生産現場を診断して問題を指摘しても、問題を改善しなければ意味がないという意味です。


物事は、批評するとか理想を語るだけではダメで、それを成し遂げて、初めて世の中に貢献したと言えるのです。

渋沢栄一が役人を辞した明治初めの頃は、官職に比べて商工業を一段下に見る傾向が強くあっただけに、理想を語る人はいても、「やってみよう」という人はとても少ないものでした。


官職を辞するにあたり、渋沢はこう言っています。

「学問があるとか、気力があるとか、知恵があるとか、そのほか一芸一能ある者は、みな官職に就くという傾向になって、民間に人物が少しもいない。

だから、上下のつり合いがとれず、国家の実力を発展させることができない。

このため自分は明日、辞表を提出する決心である」


将来を嘱望される中で、官から民へ転出するというのは、常識的には考えられないことでしたが、渋沢にはみんながやらないなら、自分がやってみせるという強い決意がありました。

大切なのは、理想を上手に語ることではなく、現実にやってみせることです。

実行こそが世の中を動かし、変えていくのです。


『逆境を乗り越える 渋沢栄一の言葉』リベラル社
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本書の「はじめに」に渋沢栄一のこんな紹介がある。


『渋沢栄一は、2024年度からは新1万円札の顔としても登場します。

渋沢が約500もの企業の設立や運営に関わったことはよく知られていますが、それ以上に注目すべきは約600とも言われる教育機関や社会公共事業の支援を行ったことや、悪化の一途を辿っていた日米関係を改善するために高齢の身を押して幾度も渡米するなど民間外交に力を注いだことではないでしょうか。

渋沢ほど世界に目をむけた活動をする一方で、弱い立場の人たちに目を向け、かつそれを生涯実行し続けた企業家は世界でも稀有な存在と言えます。

大政奉還が行われた時フランスに滞在していた渋沢はヨーロッパに繁栄をもたらしている資本主義経済に触れ、銀行の果たす役割や株式会社のありようなどを懸命に学びますが、それはまさに明治維新の日本に最も必要な知識の1つだったのです。

帰国後、静岡藩、明治政府を経て実業界に転じた渋沢は目覚ましい活躍をしますが、その際、最も大切にしたのが「道徳に基づいた経営」であり、「自分のことよりもまず社会を第一に考える姿勢」でした。

資本主義はとかく弱肉強食の世界であり、格差を当然のように生みますが、渋沢が目指したのはそこで生まれる弱者に対しても優しい目を持つ資本主義でした。』


渋沢栄一には「論語と算盤(そろばん)」という名著がある。

自分の利益だけでなく、公の利益になる行為をするべきだという。

そして、経済と両立する道徳観を打ち立てるべきだ、と。


そのために必要なことは、学びを継続し、人格を磨くこと。

『上手に語る人より「動き出す」人になれ』


口先だけない、実践の人でありたい。





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