【説得に必要なことは何か】4062
高橋健太郎氏の心に響く言葉より…
この本は、古代ローマ最強の弁論家キケロ―が、その著書『弁論家について』の中で説いた「説得の技術」、ローマ式弁論術を紹介するものです。
ローマ式弁論術は、人に話をし、自分の考えを理解してもらい、納得してもらうための技術です。
それも、相手が誰であろうが、場所がどこであろうが当てはまる普遍的な技術。
日常生活でのちょっとした話し合いや説得、仕事上の議論、プレゼン、書類の文面の作り方など、およそ「説得」にかかわるものは、すべて彼の弁論術が扱う分野です。
ちなみに弁論術は、欧米ではきわめてスタンダードな教養です。
キケロ―は、日本でこそあまり知られていませんが、ローマ最大の哲学者である、同時に一流の政治家でもあった人物です。
説得についてのありがちな勘違いが、「こちらの話している内容が真実であれば、相手はわかってくれる」というもの。
端的に言って、この考え方は間違っています。
まず、現実のものごとについて、「真実」、つまり「誰から見ても正しいこと」を想定するのは、完全にアウトです。
そんなものが成り立つのは、数学や論理学、あるいは宗教の世界の話。
現実の場面にそんなものはありません。
では、現実にある「正しさ」とはどんなものか。
それは「誰かにとって正しいこと」です。
現実のものごとは、それを見る角度、見る立場、見る人の気分で姿が変わります。
ある人にとって正しいことも、ある人から見れば間違っていたりします。
そして、説得するうえでもっとも大切なのは自分にとっての正しさではなく、相手にとっての正しさなのです。
説得とは、言葉を伝えることで他人の認識を改めさせたり、何らかの行動に駆り立てたりする行為のこと。
そこには相手の納得がなければいけません。
では、どうすれば相手は納得するか。
相手が正しいと認めるデータやものごとを根拠にして、相手が正しいと思える論理でこちらの結論まで導く。
これしかありません。
これは専門家が素人を説得しようとする場合でとくに起こりがちなのですが、いくら学問的に正しい根拠を引き合いに出しても、相手がそれを知らなければ意味がありません。
また、どんなに緻密(ちみつ)な論理で説得しても、相手がそれを理解できなければ、説得が成功することはありません。
「難しいことを言えば、相手も黙るだろう」と考えている人もいますが、それは認識が甘すぎます。
かりに相手が黙ったとしても、それはその場だけのこと。
相手の認識も行動も変わることはないでしょう。
説得したわけではないからです。
説得の場面では、絶対に相手に置いてけぼりを食わせてはいけません。
大切なのは、自分の説得が「相手に正しく聞こえること」であり、「自分が正しいこと」ではないのです。
『言葉を「武器」にする技術』文響社
https://amzn.to/31HOYGQ
キケロの説くローマ式弁論術では、聞き手に「正しい」と思わせるための説得の要素として、次の三つのものをあげています。
これらを兼ね備えた説得こそが、相手が思わずうなずく最高の説得なのです。
1.論理的な説得力
2.話し手自身の与える好印象
3.相手の感情への訴えかけ
◆『論理的な説得力』とは、「この企画は革新的で、かつ、わが社に大きな利益をもたらした。したがって優れた企画だったと評価できる」というように、「〇〇だから??」「〇〇。しがたって??」といったかたちでしっかりとした根拠を示し、かつ、それがムリのない論理で結論につながっている。そんな話し方です。
◆『話し手の自身の与える好印象』とは、説得するためには、相手に好かれなくてはいけません。同じことを話をしても、好かれている人間と嫌われている人間では、聞き手に真逆の反応を引き起こします。キーワードは、品格、功績、評判、そして穏やかな語り口。
◆『相手の感情への訴えかけ』感情のもつ力は強烈です。とくに最近では、ネットの炎上などを通じて、ますます感情のもつ力は可視化されてきていると言えるでしょう。
どんなに論理的に正しくても、相手がその人を嫌っていたら、説得はできない。
陽明学を樹立した王陽明〈中国明代の思想家)は、それをこう説明する。
「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずるゆえんは、喜怒哀楽の四者を出でず」
人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。
よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである、と。
世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」などと頑(かたく)なに信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。
人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ…
つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである。
そして、この「正しい自律」や「原理原則」これが「心性の学」であり「人間学」である。(人間学/PHP)より
説得には、論理の前に…
相手に好かれ、感情に訴えかけることがとても大事。
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高橋健太郎氏の心に響く言葉より…
この本は、古代ローマ最強の弁論家キケロ―が、その著書『弁論家について』の中で説いた「説得の技術」、ローマ式弁論術を紹介するものです。
ローマ式弁論術は、人に話をし、自分の考えを理解してもらい、納得してもらうための技術です。
それも、相手が誰であろうが、場所がどこであろうが当てはまる普遍的な技術。
日常生活でのちょっとした話し合いや説得、仕事上の議論、プレゼン、書類の文面の作り方など、およそ「説得」にかかわるものは、すべて彼の弁論術が扱う分野です。
ちなみに弁論術は、欧米ではきわめてスタンダードな教養です。
キケロ―は、日本でこそあまり知られていませんが、ローマ最大の哲学者である、同時に一流の政治家でもあった人物です。
説得についてのありがちな勘違いが、「こちらの話している内容が真実であれば、相手はわかってくれる」というもの。
端的に言って、この考え方は間違っています。
まず、現実のものごとについて、「真実」、つまり「誰から見ても正しいこと」を想定するのは、完全にアウトです。
そんなものが成り立つのは、数学や論理学、あるいは宗教の世界の話。
現実の場面にそんなものはありません。
では、現実にある「正しさ」とはどんなものか。
それは「誰かにとって正しいこと」です。
現実のものごとは、それを見る角度、見る立場、見る人の気分で姿が変わります。
ある人にとって正しいことも、ある人から見れば間違っていたりします。
そして、説得するうえでもっとも大切なのは自分にとっての正しさではなく、相手にとっての正しさなのです。
説得とは、言葉を伝えることで他人の認識を改めさせたり、何らかの行動に駆り立てたりする行為のこと。
そこには相手の納得がなければいけません。
では、どうすれば相手は納得するか。
相手が正しいと認めるデータやものごとを根拠にして、相手が正しいと思える論理でこちらの結論まで導く。
これしかありません。
これは専門家が素人を説得しようとする場合でとくに起こりがちなのですが、いくら学問的に正しい根拠を引き合いに出しても、相手がそれを知らなければ意味がありません。
また、どんなに緻密(ちみつ)な論理で説得しても、相手がそれを理解できなければ、説得が成功することはありません。
「難しいことを言えば、相手も黙るだろう」と考えている人もいますが、それは認識が甘すぎます。
かりに相手が黙ったとしても、それはその場だけのこと。
相手の認識も行動も変わることはないでしょう。
説得したわけではないからです。
説得の場面では、絶対に相手に置いてけぼりを食わせてはいけません。
大切なのは、自分の説得が「相手に正しく聞こえること」であり、「自分が正しいこと」ではないのです。
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キケロの説くローマ式弁論術では、聞き手に「正しい」と思わせるための説得の要素として、次の三つのものをあげています。
これらを兼ね備えた説得こそが、相手が思わずうなずく最高の説得なのです。
1.論理的な説得力
2.話し手自身の与える好印象
3.相手の感情への訴えかけ
◆『論理的な説得力』とは、「この企画は革新的で、かつ、わが社に大きな利益をもたらした。したがって優れた企画だったと評価できる」というように、「〇〇だから??」「〇〇。しがたって??」といったかたちでしっかりとした根拠を示し、かつ、それがムリのない論理で結論につながっている。そんな話し方です。
◆『話し手の自身の与える好印象』とは、説得するためには、相手に好かれなくてはいけません。同じことを話をしても、好かれている人間と嫌われている人間では、聞き手に真逆の反応を引き起こします。キーワードは、品格、功績、評判、そして穏やかな語り口。
◆『相手の感情への訴えかけ』感情のもつ力は強烈です。とくに最近では、ネットの炎上などを通じて、ますます感情のもつ力は可視化されてきていると言えるでしょう。
どんなに論理的に正しくても、相手がその人を嫌っていたら、説得はできない。
陽明学を樹立した王陽明〈中国明代の思想家)は、それをこう説明する。
「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずるゆえんは、喜怒哀楽の四者を出でず」
人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。
よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである、と。
世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」などと頑(かたく)なに信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。
人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ…
つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである。
そして、この「正しい自律」や「原理原則」これが「心性の学」であり「人間学」である。(人間学/PHP)より
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