【人格が変われば老眼すらなくなる】5188
作家・禅僧、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏の心に響く言葉より…
多重人格障害というものをご存じですか。
最近は、解離性同一性障害という云い方をされます。
多重人格障害というのは、よく考えてみると、観音さまの延長上ではありませんか。
幾つもの人格、幾つもの顔を持っているのですから。
多重人格障害の話を少ししますと、まず主人格がいます。
主人格がいますが、すごく辛いことがあって、その「私」には耐えられないというときに、代わりに耐えてく れる人格が出てきます。
二十七人格とか、三十二人格という人もいますけれども、基本的な構造はだいたい同じです。
つらいことに「私」は耐えられないけれども、死ぬわけにもいかない。
そこで、別な人格が出てきて交代してくれます。
そして、同じ身体を使って別人格が耐えてくれるのです。
困ったことに、そのことを主人格は記憶していません。
交代人格が出てきたときの記憶を、主人格は持っていないのです。
ところが、交代人格のほうは主人格の行動や考えていることまで、つぶさに観察しています。
私のところに電話をしてくる方で、そういう病気の方がいらっしゃいます。
やさしそうな女性の声で電話をかけてくるのです。
でも、途中からガラッと変わります。
そのとき出てくる交代人格は男性だと思います。
それからまた別な女性に代わって、もう一人に代わった辺りで、私も大変なので「ちょっと客が来たので」と言って切ったりするのですが、その間だけでも、四つの人格が出てきているわけです。
人格が変わったときに、とても不思議なことが起こります。
たとえばその人の場合 は、主人格は四十代後半なので老眼です。
ところが交代人格の中に、十五歳ぐらいの少年が一人います。
その人格が出てきたときには、老眼鏡がいらなくなるのです。
ここが凄いと思いませんか?
他の人格が出てきたときは、もともと右利きなのに、左利きになってしまうことさえあります。
主人格は右利きですが、同じ身体を別人格は左利きに使うのです。
それから、交代人格の中には、主人格が学んだこともない外国語を話せる場合もあります。
外国語はともかく、老眼だけでもいいから肖(あやか)りたいものです。
この同じ身体を使う人格が代わったら、老眼がなくなるというのですから、医学上の謎です。
我々は、年をとって筋肉も硬くなっているということを、物理的な事実として認めたうえで、眼科で治療します。
あるいは老眼鏡で補ったりします。
しかし、多重人格ではその必要がないのです。
人格が変われば、老眼が治るのですから。
人間には、こういう不思議な力が備わっているのですね。
『流れにまかせて生きる』PHP
https://amzn.to/3VTby8Q
本書の中に「体は空っぽである」という興味深い文章があった。
『多重人格というのは極端な例ですけども、実は、すべてのことに通じているのではないかと思うのです。
人格が入れ替わる器である体(からだ)は、「体(たい)」という字を書きます。
人偏(にんべん)に本(もと)と書いて体(からだ)です。
ところで、なぜ「からだ」と読むのでしょうか。
おそらく「空(から)」だからです。
体そのものが、空っぽなのです。
体そのものは空っぽで、それを使う人格によっていろいろなふうに使えるから、体なのです。
「空(から)」は、仏教でいうと「空(くう)」に通じます。空(くう)というのは、そのもの自体に根元的な性質はないという意味です。
だから、あなたの眼球そのものに、老眼があるのではない。
眼球を使っている何かが問題なのです。
眼球を使っている何かが、観音さまの姿のように変化しているのです。
気の持ちようといった問題ではなく、体を使う主体が変わるぐらいの大変化が観音さまの力です。』
もし、人格が入れ替わったとき、老眼が治るなら、他の多くの病気も治るということだ。
これは、「意識や言葉を変えたとき、がんや、認知症、パーキンソン病等々をやめることができた」という梯谷幸司氏のクライアントの実践例と同じだ。(本当の自分に出会えば、病気は消えていく/三笠書房)より
人の意識や言葉にはとてつもない大きな力がある。
体(からだ)は「空(から)」だ、という。
つまり、体を使うのは魂。
魂を磨き、人格を高めることができる人でありたい。
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作家・禅僧、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏の心に響く言葉より…
多重人格障害というものをご存じですか。
最近は、解離性同一性障害という云い方をされます。
多重人格障害というのは、よく考えてみると、観音さまの延長上ではありませんか。
幾つもの人格、幾つもの顔を持っているのですから。
多重人格障害の話を少ししますと、まず主人格がいます。
主人格がいますが、すごく辛いことがあって、その「私」には耐えられないというときに、代わりに耐えてく れる人格が出てきます。
二十七人格とか、三十二人格という人もいますけれども、基本的な構造はだいたい同じです。
つらいことに「私」は耐えられないけれども、死ぬわけにもいかない。
そこで、別な人格が出てきて交代してくれます。
そして、同じ身体を使って別人格が耐えてくれるのです。
困ったことに、そのことを主人格は記憶していません。
交代人格が出てきたときの記憶を、主人格は持っていないのです。
ところが、交代人格のほうは主人格の行動や考えていることまで、つぶさに観察しています。
私のところに電話をしてくる方で、そういう病気の方がいらっしゃいます。
やさしそうな女性の声で電話をかけてくるのです。
でも、途中からガラッと変わります。
そのとき出てくる交代人格は男性だと思います。
それからまた別な女性に代わって、もう一人に代わった辺りで、私も大変なので「ちょっと客が来たので」と言って切ったりするのですが、その間だけでも、四つの人格が出てきているわけです。
人格が変わったときに、とても不思議なことが起こります。
たとえばその人の場合 は、主人格は四十代後半なので老眼です。
ところが交代人格の中に、十五歳ぐらいの少年が一人います。
その人格が出てきたときには、老眼鏡がいらなくなるのです。
ここが凄いと思いませんか?
他の人格が出てきたときは、もともと右利きなのに、左利きになってしまうことさえあります。
主人格は右利きですが、同じ身体を別人格は左利きに使うのです。
それから、交代人格の中には、主人格が学んだこともない外国語を話せる場合もあります。
外国語はともかく、老眼だけでもいいから肖(あやか)りたいものです。
この同じ身体を使う人格が代わったら、老眼がなくなるというのですから、医学上の謎です。
我々は、年をとって筋肉も硬くなっているということを、物理的な事実として認めたうえで、眼科で治療します。
あるいは老眼鏡で補ったりします。
しかし、多重人格ではその必要がないのです。
人格が変われば、老眼が治るのですから。
人間には、こういう不思議な力が備わっているのですね。
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本書の中に「体は空っぽである」という興味深い文章があった。
『多重人格というのは極端な例ですけども、実は、すべてのことに通じているのではないかと思うのです。
人格が入れ替わる器である体(からだ)は、「体(たい)」という字を書きます。
人偏(にんべん)に本(もと)と書いて体(からだ)です。
ところで、なぜ「からだ」と読むのでしょうか。
おそらく「空(から)」だからです。
体そのものが、空っぽなのです。
体そのものは空っぽで、それを使う人格によっていろいろなふうに使えるから、体なのです。
「空(から)」は、仏教でいうと「空(くう)」に通じます。空(くう)というのは、そのもの自体に根元的な性質はないという意味です。
だから、あなたの眼球そのものに、老眼があるのではない。
眼球を使っている何かが問題なのです。
眼球を使っている何かが、観音さまの姿のように変化しているのです。
気の持ちようといった問題ではなく、体を使う主体が変わるぐらいの大変化が観音さまの力です。』
もし、人格が入れ替わったとき、老眼が治るなら、他の多くの病気も治るということだ。
これは、「意識や言葉を変えたとき、がんや、認知症、パーキンソン病等々をやめることができた」という梯谷幸司氏のクライアントの実践例と同じだ。(本当の自分に出会えば、病気は消えていく/三笠書房)より
人の意識や言葉にはとてつもない大きな力がある。
体(からだ)は「空(から)」だ、という。
つまり、体を使うのは魂。
魂を磨き、人格を高めることができる人でありたい。
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