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【まず「イエス」と言うこと】人の心に灯をともす 4594より 写真はMさんからいただいたプレゼント...

2021年04月22日 | 
【まず「イエス」と言うこと】4594



立命館アジア太平洋大学(APU)学長、出口治明氏の心に響く言葉より…


《質問:出口さんの経歴を一通り聞かせていただき、巡り合わせが大事だとわかりました。では、いい巡り合わせを自分のほうに引き寄せるために、できることはありますか?》


「まずイエス」ですね。

例えば、APUの学長になったケースでは、「インタビューを受けますか?」と声をかけられたときが、「イエス」「ノー」のわかれ目でした。

ドクターであり、英語もペラペラで、大学の管理運営経験があるという3つの条件に僕は該当せず、しかもそれほど大学に行きたいと思ってもいなかったので、「ノー」という選択肢もあったわけです。

でも、「ノー」と答えていれば、今ここで話している僕はいなかった。

人生の大きな巡り合わせです。


だから、できることは何でも「まずイエス」で飛び込むことだと思います。

僕には昔から1つの癖があって、人生の岐路に差しかかったときには必ず面白いほう、もっといえば、リスキーなほうを選んできました。

僕は旅が大好きですが、外国の町を歩いていて、綺麗な大通りと薄暗い裏通りがあると、裏通りに行きたくなります。

あまりいい例ではないかもしれませんが。


人生は、「イエス」「ノー」ゲームを毎日繰り返しているようなもの。

岐路に立ったとき、まず「イエス」と答えるかどうかでいろいろなことが変わります。

昼ご飯を食べに行こうと誘われたとき、「イエス」と答えるか、「仕事があるからパンを買ってきて済ませるよ」と断るか。

「イエス」と答えて行った定食屋で運命的な誰かに出会うかもしれない。

そういう「イエス」「ノー」の積み重ねが、やがては人生の大きな差になるような気がします。


新しい誰かに会えるという意味でも、「イエス」を選ぶ。

たぶん、「イエス」のほうが人生のチャンスは広がると思います。


もちろん、「イエス」を選ぶだけではなく、普段から勉強はしておかないといけませんよ。

正月に凧を上げたいと思っても、凧が風に乗るまで一所懸命に走る体力がなければ凧は上がりませんから。

風が吹いたチャンスに走れる力を、つまり勉強をしておくことが、チャンスをつかむためには必要なのです。


『適応力 新時代を生き抜く術』主婦の友社
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「頼まれごとの人生」という話がある。

自分の夢や目標を立て、それに向かって進んでいく、という生き方とは、まったく違う生き方だ。

人から頼まれたことをニッコリ笑って淡々と引き受けていく、という人生のことを言う。


頼まれごとの人生は、自分がしゃにむに目標に向かって頑張るという「努力型」の人生ではない。

力を抜いて「頼まれたこと」を淡々とやっていくという、気張らない、格好をつけない、という自然体の生き方だ。


頼まれごとをやっていくと、自分でも思ってもみなかった展開が始まる。

不思議なご縁で誰かとつながったり、頼まれたことがきっかけで、他のことを頼まれたりと、どんどん場面が変化し、人間関係もチャンスも広がる。


「頼まれごとの人生」というと、いかにも消極的にみえる。

自らの目標を高く掲げ、理想に向かって進んで行くほうが如何にも積極的で、勇敢な感じがするからだ。


しかし、人は「頼まれごと」に限らず、大きな制約の中で生きている。

サッカーや野球などのスポーツにしても、ルールという制約が決まっていて、その中での勝負をすることになっている。

それは、当たり前のことで、それが制約や決まりがなかったら、どんなスポーツやゲームであっても、スタートしてほんの数分のうちに大混乱に陥り、ケンカだって始まるかもしれないからだ。


目標は、ただ、自分で立てた目標というだけで、最初は何の制約もないようにみえるだけ。

目標を立ててから後は、様々な制約や決まりに縛られる。

頼まれごとは、最初から制約があるだけで、あとは同じこと。


つまり、ランダムに繰り出される「頼まれごと」を引き受けることは、とてもスリリングで、ゲームのし甲斐があるということだ。

そして、その制約の中に楽しみや喜びを見つけていく。

そのゲームのすべてのスタートは「引き受ける」という、「イエス」を言うことから始まる。


否定からは何も生まれないが、肯定からは何かが生まれる。

なぜなら、肯定的になったときだけ、人はビジョナブル(理想を追い求められる)になり、冒険的になれるからだ。


だからこそ、「頼まれごと」を引き受けることは、創造的でビジョナブルで、冒険的な行為なのだ。

そのスタートは、まず「イエス」と言うこと。

すると、人は冒険的になれる。





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