これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

企業の民主化 (その5)

2019-11-23 13:06:50 | 民主主義
 今回と次回は、私の職場にいた、とんでも無い社員達について書きます。 日本の企業に問題の有る社員が多いい原因は終身雇用制度だと思います。 その対策には、人事部を改革して、もっと権限を与える必要が有ると考えます。

(お断り) 法律では「社員」は株主の事ですが、私は「従業員」の意味で「社員」を用いています。 保険会社などでは、契約者の事を「社員」と呼びます。

【アクティブ人事学の提案】
 近年、マスコミで職場でのセクハラやパワハラが報じられますが、人間の持っている本質的な欠陥が原因ですから、皆が努力したら減少するでしょうが、無くなる事は無いと思われます。

 会社の課題を「利益アップ」にするのは間違いで、「会社の活性化」を課題にすべきだと思います。 会社を活性化して、生産性を向上させ、社員に優れたアイディアや特許を提案させる事が会社の最重要課題だと思います。 福利厚生施設を充実させても、同業他社より高給を出しても課題は解決しないと考えます。 私は現役時代に、どんな方法/制度が良いか?考えていました。

(私の提案 ①) 問題の有る社員を分類して、それぞれに対策を立てる必要が有ります。 社内健診の項目を増やして、精神疾患も含めるのです。 例えば、目が見え無くなってしまった人は、障害者ですから、会社では無く国が面倒を見るべきです。 躁鬱病が見つかったら、薬を飲む事を義務付けるべきです。 部下を虐めたり、辞めさせたりする社員は解雇すべきです。 単に仕事を任せられない社員は、大幅に給料を下げて、定年までアルバイト可の有給休暇を取らせるべきです。

 終身雇用の会社で、昔から採用していた”問題社員対策”は『窓際族制度』ですが、これは最悪の対策です。 皆が見える席で、朝から新聞や雑誌を読んでいるのを見たら、やる気が失せてしまいます。 大抵の窓際族は管理職待遇で高給を貰っていたので、なお更です。

(私の提案 ②) 公平な人事が重要ですから、『人事部を社内派閥に支配されない体制』にする。 対策案=人事担当役員の一人に、必ず社外取締役を含める。 人事部の権限を拡大する。

 私が勤務していた会社では、1990年頃に法律に詳しい社員を集めた部署(法務部)が出来ました。 他社との契約書を、サイン前にチェックするのが主な業務でした。 秘密保持契約書や共同開発契約書では、法律や公序良俗に反する内容が一項でも有ると、契約書全体が無効になるのです。 海千山千の中小企業の社長には、不当な要求が入った契約書は大歓迎なんです。 金になりそうなアイディアが出たら、単独で特許を出せます。 以前、裁判で何回か負けて、会社が損害を受けたので、法務部が出来たのです。

 法務部が出来た時に、部長職全員に一週間程の法律に関する研修を行い、「不当な契約書を部下に要求しない」と言う誓約書を書かせたそうです。 私は研究開発に従事していましたので、種々の契約書の案を多数作成しました。 小さな企業との契約書に、不当な要求を入れろと言う上司がいました。 困惑していると、法務部から出張して来た方が、「私には、人事部に、貴方を解雇する様に言う権限が有りいます」とキッパリと言いました。 ・・・→どんな会社でも、やる気が有れば「人事部の改革」は出来ます。

(私の提案 ③) 会社を活性化させる事を目指す、AIの活用、心理学、医学、法学、経済学を応用した『アクティブ人事学』の創設が必要と思います。

 50年程前に、『日本労務学会』が設立されましたが、我が国の企業は活性化されていません。 多分、この学会は学研的な取り組みが主で、個々の企業の体質や問題を余り深く研究していない為では無いかと思います。

【自己評価と他者観察】
 私が入社した会社では、一部の部署で自己評価と他者監察の制度が試験的に始まりました。 色々な質問に対し5段階の評価をするのです。例えば、「部下を旨く指導しているか?」、「他の社員と協調して仕事をしているか?」・・・会社が理想とする社員の指針を提示していたのです。

 不思議と、本稿と次稿に書く人達の問題についての質問は有りませんでした。 例えば、「毎日、喧嘩していませんか?」、「部下を虐めていませんか?」・・・問題の有る社員を焙り出すのが目的では無かったのです。

 他者監察では、所属の部から(出来るだけ)被観察者を選びなさいと記載されていました。知り合いの人事部の人に聞いたら、「難しい仕事の部署には優秀な人材を回す、逆の部署も有るから」と話されました。 自己評価と他者観察はマンネリ化して、30年ほどして廃止されたと記憶しています。

【私と職場】
 私は、約20か所の職場で働きました。 どこの職場にも、社員の”やる気”を無くさせる問題の社員がいました。その典型的な例を、書いておきます。

【毎日、イビキをかく社員】
 最初は皆さんに信じて貰えそうに無い、「事実は小説より奇なり」と言う話しです。 ある会社の開発部に出向していた時の事です。私の後ろに50歳代の男性の席が有ったのですが、彼は毎日3時間~6時間も、大きな鼾をかいて爆睡するのです。 週に二三回、部員の誰かが彼を起こして注意するのですが、彼は絶対に寝ていた事を認めず、何時も喧嘩になってしまいました。 イビキも問題でしたが、私の横での喧嘩はもっと嫌になりました。 (多分、彼は精神的な病気なのだと思いました。)

 古手の社員の話では、彼は先代の社長のお気に入りで、かなり前から勤務中に寝てしまう様になったのですが、辞めさせる分けにはいかないとの事でした。 貴方の席の横で、毎日部屋に響き渡るイビキをかく人がいると想像して見て下さい。 民主化度、以前の問題です!

【気が狂った社員】
 これも、信じて貰えそうに無い話しです。 私が担当していた機械に、大阪駐在の50歳代の営業マンが出来ました。 私と二人で顧客回りをする事になったのですが、初対面の時に、目付きが尋常で無い様に思いました。 客先での言動も可笑しく、上司に「彼は気が狂っているから、今後は私一人で営業活動をしたい」と何回も言いました。 私がくどいので、上司はそれなりに動いてくれた様でした。 「自分で精神科に行って、精神異常の診断書を会社に提出しない限り、終身雇用の会社だから首には出来ない」と言われました。

 貴方の会社に、目付きが異常な人が機械を売りに来たとします。 多分、貴方は二度と会おうとされないと思います。 何か所も顧客回りをしましたが、次のアポイントは取れませんでした。

 2か月間ほど我慢しました。 彼はカラオケが上手で、カラオケを希望される重要な顧客の接待によく駆り出されていた様でした。 当時、大阪にカラオケの出来る高級なクラブかキャバレーが2軒有って、その1軒で顧客とマイクの取り合いになり、殴り合いになったと言う情報が入って来ました。 次の週に別の高級店でも、顧客と殴り合いをしたそうです。 それで、課長と部長が精神科に彼を連れて行ったのですが、即入院が必要と言われたそうです。

【躁病の社員】
 私は、躁病の人を二人知っています。一人は同じ社宅に住んでいました。彼は、出向の嵐が吹いて会社が混乱している時に、ドンドン出世して重役になってしまいました。 彼の子供と私の子供が同い年だったので、家内が奥さんと親しくなり、彼がDVを繰り返している事を知っていました。 噂では、彼は会社でも手が付けられない状態だった様です。

 時々、会ったら話をしていた人事部のベテランに、「躁鬱病の主任(≒課長)はいますが、それ以上に出世したのは○○重役だけですね、何か対策されているのですか?」と聞いてみました。 「主任になった人を観察して、躁鬱病の人はそれ以上昇格させない事になっている」と言われました。

 もう一人は出向先の会社で、同じ部に所属する営業マンでした。 日の半分以上は外回りをしていたのですが、帰社すると誰かを捕まえて怒鳴り散らすのです。 私は、「家で会話が出来ますか?」と聞いてみました。彼は奥さんと息子さんの三人で暮らしていましたが、彼は「もう数年、家では一言も話した事が無い。3台のパソコンに光ケーブルを接続して、必要な事は伝え合っている」、「僕が光ケーブルを施工した」と得意げに話しました。 「御飯が出来ています」とか「風呂がわいています」とかもパソコンで伝えるのだと言いました。 彼は薬は飲んでいませんでしたが、自分が躁病だと自覚している様子でした。

【午前8時~午後8時まで】
 1975年頃の話しですが、当時、私は社員200名程の小さな工場の設計部に勤務していました。 そこに、S氏が工場長として着任されました。 着任早々に管理職を集めて、「ホワイトカラーは午前8時から午後8時を勤務時間とする。午後8時以前に課員が帰る課は、暇な職場と見なして、人員を削減する」と言ったそうです。 管理職達は、この話を課員には話しませんでした。

 当時、管理職は実務はしていませんでしたので、殆ど残業しないで退社していました。S氏が指示した勤務時間は管理職には適用されなかった様で、S氏の着任後も定時過ぎに皆さん帰っていました。S氏は、午後8時過ぎまでいて、ホワイトカラーの退社時間をチェックしていました。

 設計部では、幾ら残業しても月に3時間しか残業代は出ていませんでした。 然し、多くの設計部員は午後10時頃まで働いていましたので、余り実害は無かったのです。 遠方から通勤していた社員が二三人いたのですが、彼等は一二時間残業したら帰っていました。 S氏の着任後、暫くして彼らは全員転勤になりましたから、彼らにとってはS氏は神様の様な存在だったと思います。

【S氏と私】
 当時、私は近くの社宅からバイクで通勤していました。 通勤途中に有る設計事務所・2社に図面を描いて貰っていました。 朝か夕方の通勤途中に寄って、図面を描く人に直接指示したり、出来た図面をチェックして、問題が有れば直ぐに修正して貰いました。 このやり方だと、私の時間が大幅に節約出来、設計事務所にも大きなメリットが有りました。

 S氏は、私が午後8時前に退社する事を問題にし始めました。上司は、私が設計会社に寄ってから帰宅している事を知っていたのですが、S氏には理解出来無かったので、上司は連日の様に責められるのです。 私は、振動/騒音の研究者になりたくて、入社以来・家で勉強していました。振動/騒音の研究室の長と、時々会って勉強のアドバイスをして貰っていました。 (研究室から「何時でも受け入れる」と上司に言ってくれていました。)

 「私は今のやり方が合理的だと思うので、止めません。それでも駄目と言うのなら、課から出して下さい」と言いました。 上司は、その諭旨をS氏に報告した様で、その後、S氏は私の事は言わなくなりました。

【S氏が英語の図面を要求】
 S氏が着任して二三か月後に、「図面には一切日本語を使用してはならない」と言い出しました。 その工場は、製品の1/3を輸出していましたので、英文の図面は描けたのですが、役所向け(役所のビル、上下水道、病院など)も有りました。 私は下水処理場向けの設備を担当していたのですが、「英文の図面は受け取って貰えない」と上司に言いましたが、「前例が無いので、駄目とは言えない」・・・で、仕方なく英文の図面を提出しました。 市の担当者が烈火の如く怒って、追い返されました。

 結局、S氏に内緒で和文の図面を作成しました。 然し、S氏は製作図も英文にしろと要求したので、コピーした図面に手書きで和文の留意点を書き込む必要がありました。 各図面を数枚コピーして、それぞれのコピーに手書きしたのです。 その作業は、S氏が絶対に来ない場所でやりました。 「あと1年もしたら、S氏はどっかに行かれるだろう!」とか言いながら、皆で作業しました。

(余談) それから30年程して、大手の企業に出向して東南アジア向けのプラントの仕事をしました。 その時は、図面、計算書、購入仕様書等の図書は全て英文で作成しました。規格もISOとアメリカの規格でした。 従って、日本で調達する場合でも、英文の図書を業者に渡したのです。




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