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マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

紙幣と貨幣の話し (その3)

2020-02-01 10:14:38 | 趣味
 今回も、紙幣にまつわる話しです。私の思い出話も書きますので、我慢して読んで下さい。

【紙幣の流れ】
 紙幣の流れを考えると、頭がクラクラして来ます。 紙幣は政府(財務省・印刷局)が印刷して、一万円札だと一枚22円ほどで日銀に納入しています。 日銀は『一万円の価値が有る!』と言って。金融機関に貸し出して、利息を取って儲けるのが原則です。 硬貨も政府(財務省・造幣局)が製造して日銀に納入しています。

 国債は、もちろん政府が発行しますが、国際ルールで中央銀行に直接買わせるのは禁止されています。 従って、国際は個人や金融機関に買って貰うのですが、市中の紙幣が少な過ぎると判断した時は、日銀が紙幣で市場から国債を買い取ります。これがデフレ対策の一つです。逆に市中に紙幣が多すぎると判断したら、日銀が保有する国債を売って、紙幣を回収します。これがインフレ対策です。

(余談) 古くなった紙幣は金融機関から日銀(本店/支店)に持ち込み、同額の新紙幣と交換されます。(この時点では、日銀は紙幣の購入代金(?)と運搬費等の費用が丸損な分けです。) 古い紙幣は細断した後、各地方自治体に依頼して焼却しています。

(余談) 日銀は紙幣を『券』、硬貨を『貨幣』と呼んでいる様です。 金融機関から余剰の金や、古くなった『券』などを日銀に戻す事を『還収』と呼びます。 昔の日本は金本位制でしたから『銀行』では無く、『金行』とすべきだったと思うのですが、銀で取引していた中国がバンク(Bank)を『銀行』と訳したために、日本は”右へ倣え”としたのです。(現在でも存在する中国の『香港上海銀行』は、幕末の1865年に設立されました。)

【紙幣の人物】
 戦後に発行された紙幣には実在の人物が印刷されていますが、戦前には古事記や日本書紀に登場する日本武尊、神功皇后、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、大国主命、竹内宿祢が選ばれています。 少し、思想教育の臭いがします。

 幕末から明治初期に活躍した政治家では、板垣退助、岩倉具視、高橋是清、伊藤博文が選ばれています。私は、武士による支配の考え方を廃止して、広く人材を登用して富国強兵を進めたた大久保利通も選ぶべきだったと考えています。戦後の政治家は誰も選ばれていませんが、私は吉田茂を推薦します。

 2024年から新しい紙幣が発行される様ですが、ATMや自動販売機が多くなっていますから、機械の動作確認等々で長い準備期間が必要なのでしょう。 今後、キャッシュレス化が進むと予想されますから、一万円札や五千円札は最後の紙幣になるかも知れません。

★ 素戔嗚尊(スサノオノミコト) :1873年~;二十円 ・・・旧国立銀行券
★ 神功皇后の征韓 :1873年~ ;十円 ・・・旧国立銀行券
★ 新田義貞&児島高徳 :1873年~  ;二円 ・・・旧国立銀行券
★ 源為朝  :1873年~  ;一円 ・・・旧国立銀行券
★ 神功皇后 :1881年~ ;十円、五円、一円
★ 大国主命(大黒) :1885年;百円、十円、円、一円 ・・・兌換銀券、4種類
★ 菅原道真 :1888年発行の兌換銀券5円券から1943年の5円券 ;7種類
★ 藤原鎌足 :1891年発行の兌換銀券100円券から1945年の200円券 ;4種類
★ 和気清麻呂 :1888年発行の兌換銀券10円券から1945年の10円券 ;6種類
★ 竹内宿祢 :1888年発行の兌換銀券1円券から1945年の兌換券200円券 ;5種類
★ 日本武尊 ;1945年の兌換券1,000円券
★ 聖徳太子 :1930年発行の兌換券100円券から1958年の10,000円券 ;7種類
★ 二宮尊徳 :1946年発行の一円
★ 板垣退助 :1948年の50銭政府紙幣と1953年の100円券 ;2種類
★ 岩倉具視 :1951年と69年発行の500円 ;2種類
★ 高橋是清 :1951年発行の50円
★ 伊藤博文 :1963年発行の1,000円
★ 福沢諭吉 :1984年発行の10,000円
★ 新渡戸稲造 :1984年発行の5,000円
★ 夏目漱石 :1984年発行の1,000円
★ 紫式部   :2000年発行の2,000円
★ 樋口一葉 :2004年発行の5,000円
★ 野口英世 :2004年発行の1,000円
◎ 渋沢栄一 :2024年発行予定 :10,000円
◎ 津田梅子 :2024年発行予定 ;5,000円
◎ 北里柴三郎 :2024年発行予定 ;1,000円

【国会議事堂の十円券の思い出】
 高校3年の時に、貝殻を本格的に取集していた友人がいて、彼の家は遠かったのですが何回も「家に遊びに来い」と誘うので、行きました。彼専用の広い部屋が有って、職人が作ったと思われる本格的な標本木箱が多数積み重ねられていました。一つの箱には、一種類の貝の米粒より小さい貝殻→→成長した大きな貝殻が整然と並べられていました。

 私が、「紙幣を少し集めている」と言うと、1946年(終戦の翌年)に発行された国会議事堂の未使用の十円札を20枚ほど出してきました。私も数枚持っていたのですが、彼のは全くの未使用で、同じ番号のが二組あり、一組は10枚ほどが同じ番号だったのです。(1946年頃は、凄まじいインフレだった様で同じ番号で沢山印刷したそうです。)

 私が欲しそうに見ていると、「僕は切手も収集しているけど、”見返り美人”が入手出来無い。見返り美人となら交換する」と言いました。

 時々勉強の手伝いをしていた友人が、切手を本格的に収集していて、見返り美人のシートを何枚か所有していた事を思い出しました。 彼は、嬉しそうな顔でシートから一枚切り取ってくれました。 (多分、彼は勉強のお返しが出来て嬉しかったのだと思いました。) 今でも、この十円札は大事に持っています。

【旧国立銀行券の思い出】
 学校で、見返り美人と例の十円札を交換していると、横で見ていた別の友人が「僕の家に明治の紙幣が有るから持って来てやる」と言って、次の日に折り目の全く無い、保存状態の素晴らしい旧国立銀行券2枚と神功皇后券を1枚持って来てくれました。 

 一か月ほどして返そうとすると、「両親が君にあげて良いと言ったので、あげたんだ」と言ってくれたのですが、高額で取引されているのを知っていたので返しました。 電車で数駅先の彼の家に遊びに行ったことが有ったのですが、大きな広いお屋敷でした。 「幾らお金持ちでも、高額の紙幣を何で使わないで保管していたのか?」不思議に思いました。

 現在の取引価格で、3枚の合計金額は500万円~1,000万円になりそうです。 私は、大学の時は文字通りの”貧乏学生”でしたが、あの時・紙幣を返して良かったと思いました。 『悪銭身に付かず』と言います!

【偽札の話し】
1961年に千円の偽札事件(チ-37号事件)が発生しました。 私は次の年に高校生になったのですが、クラスに警察署長の息子がいて、ある日の修業時間前に教壇に立って、彼が真顔で「偽札を見付けたら警察に届けないで僕に持って来てくれたら、三千円払う」と言ったので、皆で大笑いしました。

 マニアにとっては、有名な偽札事件の偽札は垂涎のアイテムだと思いますが、多分・まだ大っぴらには取引出来ないと思います。 偽札を所有する事は犯罪ではないようです。 (チ-37号事件の千円札の番号は『WR789012T』と『DF904371C』だそうです。)

【この金は誰のものか?】
 まだ防犯カメラが普及してなかった頃、勤務時間中に専門書が必要になって、大きな/有名な書店に行った時の話しです。そんな時間帯には、専門書のコーナーには顧客が殆どいません。 その時もそうでしたが、なんと!床に一万円札が十数枚も落ちていました。 拾って、レジの女性に渡そうとしていたら、近くの棚の前にいた男性が、「僕のです」と言い出したのです。

 私が「貴方のだと言う証拠はありませんね」と言うと、レジの女性が「この方が自分のだと言われるのですから」とか言って、私の渡したお金を手渡しました。 男性は、お礼も言わずに行ってしまいました。 裸で落とした札は、もう誰の物か分からなくなってしまいます。

 店員の対応は、法律に詳しくない私にも「間違っている」と分かります。①拾った人には5~20%のお礼(報労金)を頂く権利が有ります。②落とした人と、拾った人に住所・氏名を書いて貰っておくべきです。 (私は勤務時間中で忙しかったので、店員の教育はしませんでした。)

【腹巻で幾ら持ち運べるか?】
 東京勤務だった頃、八重洲の飲み屋街に月に二、三回は行っていました。 少し遅く行くと、満席の店が多く、そんな時は少し高い小料理屋(?)に入りました。 一階が十席ほどのカウンターで、二階は座敷になっていて、時々芸者の三味線の音が聞こえて来ました。

 八重洲にしては高い店でしたが、美味しかったです。 特に”う巻き”は絶品で、何時も先ず頼みました。 三、四人で行ったのですが、高価だったので、分けて食べました。 年末に行くと、板前さんが有馬記念の馬券を買って来てくれるのです。 勝ち馬予想で、大いに盛り上がりましたが、私は一回も勝てませんでした。

 その店で、一回り以上年上の男性と親しくなりました。 彼は超大粒のダイヤの指輪をしていて、作業着に近い服装で、風貌は東北のお百姓さんの様でした。私と同じ様に、ゴツゴツした短い指でしたから、指輪は全く似合って無かったのです。 彼は、有馬記念に数万円掛けるのですが、財布に現金が少ない時は、シャツを”たくし上げ”て、腹巻から銀行の帯封の付いた万札の束を取り出しました。

 彼は、現金買取の会社の社長さんで、何時も腹巻に400万円入れていたのです。 「腹巻に入れるのは、400万円が限界だから、現金が足りない時に”質”に置くために数百万以上する指輪をしている」と言っていました。 ある時、大きなエメラルドの指輪に変わっていました。「昨夜飲み過ぎて、気が付いたら指輪が無かったので、さっき買って来た」と言いました。 ダイヤよりも目立つので、似合う/似合わないの問題では無く、人格の問題の様に見えました。 (彼は決して人間失格者では有りません、むしろ愉快な好人物でした。)

 私の飲み仲間に、他社に勤めている愉快な男性が加わりました。彼は某大手の観光ホテルの跡取り息子で、超金持ちでした。 彼は信頼が厚かったのだと思いますが、業界の裏金を届ける役もやっていました。(領収書無しで、数百万円の現金を渡す役です。)

 ある日、彼はお腹をポンと叩いて、「600万円入っている」と言って出掛けました。勿論、行先は言いませんし、聞きませんでした。 彼は、「腹巻で運べるのは600万円が限度だ」と言っていました。