マカオと中国を旅行してきました。
1日目。
上野からスカイライナーに乗って成田まで。
おかねを払って快適な席に座る価値を感じる歳になりました。
成田でごはんを食べる時間があったのでガーリックペッパーライスを注文。
ものすごいガーリック量で、口の中がしあわせになりました。
ビバマカオ航空という初耳な会社の飛行機で、めずらしいマカオ直航。
いっさい機内サービスがない充実ぶりで、合理性の追求を実感しました。
マカオに着陸する際の外のネオンのバブリー感と、上陸した瞬間の湿気に仰天です。
人間の欲がひしめいている雰囲気が気持ちを盛り上げてくれます。
タイパ島にあるホテルに泊まったのですが、なんと空港から車で5分。
きれいなホテルなのに、冷蔵庫に厳重に鍵がかけられていて有料でした。
2日目。
いたしかたなく食べたホテルの朝ごはんは、若干期待外れ。
しかし、アジアのホテル朝食で焼きそばがおいしくなかったことはないです。
外と建物の中の寒暖の差が激しくて皮膚もびっくりでした。
日本に戻って、外がなんと涼しく、エアコンの効きがなんと甘いことかと思ったほどです。
聖ポール天主堂跡から見下ろす石段は、まるでスペイン階段のようでした。
旧ポルトガル領だけあり、民族衣装を着た人たちがポルトガルの踊りをしていました。
聖ドミニコ教会の中は想像以上にきれいで、一瞬だけ暑さを忘れさせてくれます。
最近まったく礼拝に行っていないのでなつかしくも感じました。
セナド広場は異常に西欧風で、地面もとても鮮やか。
世界遺産だらけのマカオ、その数は30ほど。
民政総署という名の、役所まで世界遺産なのだからおどろきます。
日本であれば批判されそうな凝ったつくりで、国民性はほんとに様々です。
堂々とマクドナルドで買いものもせずにトイレだけ行きました。
店内の騒々しさが日本をはるかに上回っており、非常に感動的でした。
ナーチャ廟、仁慈堂はちら見にとどめました。
その横にあった単なる壁まで古い城壁として世界遺産となっていて、再び興奮。
お昼に、リオホテルのレストランに入り、杏仁豆腐だけおいしかったです。
振り返ってみると、ここまで食に関しては全然ツキなし。
媽閣廟では、屋台で売っていたメロンアイスクリームを購入。
ミクロサイズでしたが、クリーミーで意外なおいしさを放っていました。
マカオタワーのてっぺんからの景色は豪華でした。
いろいろな意味でチャレンジングなタワーで、マカオのバブリー感が一望できます。
ホテルに戻り、伯父と合流。
上海で会ったときもそうでしたが、遠く離れた地での再会は感慨深いです。
コロアン島の南、黒沙海岸にあるフェルナンドというポルトガル料理のお店へ。
エアコンなしですが、あさり、鱈、アフリカンチキンがあります。
赤ワインと炭酸水とオレンジジュースによるサングリアというここの名物も最高。
タイパ島まで格安のバスで戻り、超豪華なホテル群に突入。
ヴェネチアンマカオ、シティオブドリームスのぜいたくさは地上の楽園です。
ヴェネチアンのカジノで少しだけ軍資金を増やしてからCODに移動。
ルーレットで若干派手に散りましたが、雰囲気も良くてすばらしかったです。
欧米人はルーレット好きですが、マカオで最もメジャーなのはバカラ。
ホテルに帰ったら急にのどがかわいたので、真夜中の街をうろうろしました。
コーラはグローバルスタンダードでした。
3日目。
ベルボーイが呼んでくれたタクシーで、中国との国境に到着。
検温をされたりしながら、歩いて中国の珠海に入りました。
伯父の会社の中国人スタッフと合流し、ローカルなお粥屋さん。
揚げパンとピータン粥がとても良く合う、大満足な朝ごはんになりました。
珠海の拱北から長距離バスに乗り、広東省最大の都市である広州へ。
伯父の友達である広州の人がドライバー連れで迎えに来てくれて、いざスタート。
農村から出てきた科挙受験生の勉強場所、陳氏書院。
そばで売っていたココナッツを買ってストローで暴飲。量がかなり多かったです。
本場の広東料理を食べに、店名がどこに書いてあるのかわからないお店に着きます。
飲茶はいろいろなものを少しずつ食べられますが、日本で見ない料理ばかりです。
辛亥革命の孫文が開いたという軍校がお休みで入れなかったのは残念でした。
トイレを貸してくれと言って、敷地内に入ることには成功しました。
道でさりげなく売っていた紫いものアイスクリームが、じつはおいしかったです。
広州の中心地はかなり発展したビル群があり、経済都市であることを物語っています。
シティプラザや市光大館という巨大なビルの中には、日本企業のオフィスも多いです。
珠海に戻ってくる長距離バスは、異常にスピード違反していました。
しかも、途中で全員が運転手に下車させられ、前に停車していたバスに乗せられました。
バスが故障していて、そこから修理に向かうために乗客を移したとのこと。
夜ごはんは国境付近の中国側で適当なレストランにつれていってもらいました。
中国の人は、頻繁に鳩を食べます。
国境を越え、マカオに入り、タイパ島までバスで帰ろうとしたらトラブル発生。
原因不明の乗車拒否に遭ったので、タクシーでホテルまで戻りました。
4日目。
朝早くから、南部のコロアン島に行こうとしたら、原因不明のタクシー拒否。
こりずにほかのタクシーをつかまえ、なんとか目的地に到着すると、人の気配なし。
教科書で有名な聖フランシスコ・ザビエルの教会を外から見物。
営業の雰囲気がまるで感じられず、見事に中に入ることはできませんでした。
コロアン島をうろつくと、歴史的建造物らしきスポットが3つ4つありました。
裏路地についに現地人を見つけると、そこはジャッキー・チェンの風景のようでした。
エッグタルトで有名なマカオ。別れた夫婦が別々にやっている2つのお店に行きました。
ロードストーズベーカリーとマーガレットカフェ。離れた場所でも両方行って正解。
このおいしさは、かなりのもの。今回の旅行で1番おいしかった食べものでした。
勢いでバスに乗ることに成功。ゆうべのなぞは深まるばかりです。
それにしてもバスの安さと便利さは特筆ものだったのではないかと思います。
マカオの象徴の1つと言えるグランドリスボアホテルのカジノにも行きました。
中はわりとクラシックで、この世のものとは思えない外観と対照的でした。
ゲリラ豪雨が多いのもマカオの特徴かもしれません。
すぐに止むので雨宿りの意味がとても大きいです。
マカオレストランで、名物ポークチョップバーガーも堪能しました。
おばちゃんが勧めてくれた、はちみつレモンソーダもやたらおいしかったです。
再び世界遺産路線に戻り、モンテの砦とギア砲台。超、砲台でした。
グランドリスボアに向かって砲台の写真を撮ると、なにかが起きそうです。
マカオミュージアムにも行ったのですが、想定外に良かったです。
工夫が多くて、博物館であれだけ長時間いて飽きないのはひさしぶりでした。
カテドラルと、大商人の別荘に立てつづけに行きました。やはり世界遺産。
数多くのチャペルを回ったマカオでしたが、ここが1番。
この夜は定期船で再度、中国は珠海へ。灣仔から国境を越えました。
拱北よりもさびれた、小さな国境でした。
海産物のたたき売りで異常なまでに盛り上がっている市場を見物。
生きたまま売っているものが多く、さわがしいのは人間だけではありませんでした。
伯父の工房兼レストランでいろいろ食べすぎて、気持ち悪くなりました。
これでもか炒飯という名の炒飯がとどめでした。どれもおいしかったのは事実ですが。
珠海で入った公衆トイレは、個室すべてに川が流れている感じでした。
上流の個室に入っていたので、特になにも起きず。
帰りは歩いて国境を越えてマカオ入り。
ヴェネチアンのシャトルバスに忍び込んで、無料でタイパ島まで。
ヴェネチアンに着いてしまえば、抵抗する気もなくカジノへ。
カジノがあれば毎晩遅くなるのはいたしかたなしです。
5日目。
ダメ押し的に、世界遺産めぐり総仕上げ。まずは、聖アントニオ教会。
教会は、世界中どこに行ってもオープンなので、堂々と入れて良いものです。
カモンエス広場という世界遺産に行くと、もはやただの公園でした。
世界遺産の登録には、ヨーロッパの力や政治の力、いろいろ必要です。
またしても世界遺産である、聖プロテスタント墓地。
超魔界村ワールドが広がっていて、あの名曲が聞こえてきそうでした。
カーサ庭園に行ったら、誰もいませんでした。世界遺産なのに。
中にあった建物がこわいぐらいに冷房が効いていて最高でした。
ロバート・ホー・トン図書館に着くころ、またしてもゲリラ豪雨。
聖オーガスティン教会、聖オーガスティン広場も寄って、雨にも負けずに連続写真撮影。
世界遺産シリーズはまだまだ続き、ドン・ペドロ5世劇場。
むかしのカジノで楽しみにしていたのに、まさかの改装中。
ありがちなおみやげ屋さん街で、おいしい杏仁餅やらを買いました。
エッグタルトもある程度は日持ちすると言うので、即購入。
マカオパタカ、中国人民元を日本円に換えようと銀行をめぐり歩きました。
どこも千円札がなくて、あきらめてマカオの空港にある両替所で換金しました。
空港に行く前に、バス待ちの時間にまたカジノの大小にはまってしまったり。
まったく無駄なく時間もおかねも使えて、味わいきりました。
帰りもビバマカオ航空で帰国。成田でおなかいっぱい豚キムチ丼。
スカイライナーですべりこむように帰ってきました。ビバ、マカオ。
1日目。
上野からスカイライナーに乗って成田まで。
おかねを払って快適な席に座る価値を感じる歳になりました。
成田でごはんを食べる時間があったのでガーリックペッパーライスを注文。
ものすごいガーリック量で、口の中がしあわせになりました。
ビバマカオ航空という初耳な会社の飛行機で、めずらしいマカオ直航。
いっさい機内サービスがない充実ぶりで、合理性の追求を実感しました。
マカオに着陸する際の外のネオンのバブリー感と、上陸した瞬間の湿気に仰天です。
人間の欲がひしめいている雰囲気が気持ちを盛り上げてくれます。
タイパ島にあるホテルに泊まったのですが、なんと空港から車で5分。
きれいなホテルなのに、冷蔵庫に厳重に鍵がかけられていて有料でした。
2日目。
いたしかたなく食べたホテルの朝ごはんは、若干期待外れ。
しかし、アジアのホテル朝食で焼きそばがおいしくなかったことはないです。
外と建物の中の寒暖の差が激しくて皮膚もびっくりでした。
日本に戻って、外がなんと涼しく、エアコンの効きがなんと甘いことかと思ったほどです。
聖ポール天主堂跡から見下ろす石段は、まるでスペイン階段のようでした。
旧ポルトガル領だけあり、民族衣装を着た人たちがポルトガルの踊りをしていました。
聖ドミニコ教会の中は想像以上にきれいで、一瞬だけ暑さを忘れさせてくれます。
最近まったく礼拝に行っていないのでなつかしくも感じました。
セナド広場は異常に西欧風で、地面もとても鮮やか。
世界遺産だらけのマカオ、その数は30ほど。
民政総署という名の、役所まで世界遺産なのだからおどろきます。
日本であれば批判されそうな凝ったつくりで、国民性はほんとに様々です。
堂々とマクドナルドで買いものもせずにトイレだけ行きました。
店内の騒々しさが日本をはるかに上回っており、非常に感動的でした。
ナーチャ廟、仁慈堂はちら見にとどめました。
その横にあった単なる壁まで古い城壁として世界遺産となっていて、再び興奮。
お昼に、リオホテルのレストランに入り、杏仁豆腐だけおいしかったです。
振り返ってみると、ここまで食に関しては全然ツキなし。
媽閣廟では、屋台で売っていたメロンアイスクリームを購入。
ミクロサイズでしたが、クリーミーで意外なおいしさを放っていました。
マカオタワーのてっぺんからの景色は豪華でした。
いろいろな意味でチャレンジングなタワーで、マカオのバブリー感が一望できます。
ホテルに戻り、伯父と合流。
上海で会ったときもそうでしたが、遠く離れた地での再会は感慨深いです。
コロアン島の南、黒沙海岸にあるフェルナンドというポルトガル料理のお店へ。
エアコンなしですが、あさり、鱈、アフリカンチキンがあります。
赤ワインと炭酸水とオレンジジュースによるサングリアというここの名物も最高。
タイパ島まで格安のバスで戻り、超豪華なホテル群に突入。
ヴェネチアンマカオ、シティオブドリームスのぜいたくさは地上の楽園です。
ヴェネチアンのカジノで少しだけ軍資金を増やしてからCODに移動。
ルーレットで若干派手に散りましたが、雰囲気も良くてすばらしかったです。
欧米人はルーレット好きですが、マカオで最もメジャーなのはバカラ。
ホテルに帰ったら急にのどがかわいたので、真夜中の街をうろうろしました。
コーラはグローバルスタンダードでした。
3日目。
ベルボーイが呼んでくれたタクシーで、中国との国境に到着。
検温をされたりしながら、歩いて中国の珠海に入りました。
伯父の会社の中国人スタッフと合流し、ローカルなお粥屋さん。
揚げパンとピータン粥がとても良く合う、大満足な朝ごはんになりました。
珠海の拱北から長距離バスに乗り、広東省最大の都市である広州へ。
伯父の友達である広州の人がドライバー連れで迎えに来てくれて、いざスタート。
農村から出てきた科挙受験生の勉強場所、陳氏書院。
そばで売っていたココナッツを買ってストローで暴飲。量がかなり多かったです。
本場の広東料理を食べに、店名がどこに書いてあるのかわからないお店に着きます。
飲茶はいろいろなものを少しずつ食べられますが、日本で見ない料理ばかりです。
辛亥革命の孫文が開いたという軍校がお休みで入れなかったのは残念でした。
トイレを貸してくれと言って、敷地内に入ることには成功しました。
道でさりげなく売っていた紫いものアイスクリームが、じつはおいしかったです。
広州の中心地はかなり発展したビル群があり、経済都市であることを物語っています。
シティプラザや市光大館という巨大なビルの中には、日本企業のオフィスも多いです。
珠海に戻ってくる長距離バスは、異常にスピード違反していました。
しかも、途中で全員が運転手に下車させられ、前に停車していたバスに乗せられました。
バスが故障していて、そこから修理に向かうために乗客を移したとのこと。
夜ごはんは国境付近の中国側で適当なレストランにつれていってもらいました。
中国の人は、頻繁に鳩を食べます。
国境を越え、マカオに入り、タイパ島までバスで帰ろうとしたらトラブル発生。
原因不明の乗車拒否に遭ったので、タクシーでホテルまで戻りました。
4日目。
朝早くから、南部のコロアン島に行こうとしたら、原因不明のタクシー拒否。
こりずにほかのタクシーをつかまえ、なんとか目的地に到着すると、人の気配なし。
教科書で有名な聖フランシスコ・ザビエルの教会を外から見物。
営業の雰囲気がまるで感じられず、見事に中に入ることはできませんでした。
コロアン島をうろつくと、歴史的建造物らしきスポットが3つ4つありました。
裏路地についに現地人を見つけると、そこはジャッキー・チェンの風景のようでした。
エッグタルトで有名なマカオ。別れた夫婦が別々にやっている2つのお店に行きました。
ロードストーズベーカリーとマーガレットカフェ。離れた場所でも両方行って正解。
このおいしさは、かなりのもの。今回の旅行で1番おいしかった食べものでした。
勢いでバスに乗ることに成功。ゆうべのなぞは深まるばかりです。
それにしてもバスの安さと便利さは特筆ものだったのではないかと思います。
マカオの象徴の1つと言えるグランドリスボアホテルのカジノにも行きました。
中はわりとクラシックで、この世のものとは思えない外観と対照的でした。
ゲリラ豪雨が多いのもマカオの特徴かもしれません。
すぐに止むので雨宿りの意味がとても大きいです。
マカオレストランで、名物ポークチョップバーガーも堪能しました。
おばちゃんが勧めてくれた、はちみつレモンソーダもやたらおいしかったです。
再び世界遺産路線に戻り、モンテの砦とギア砲台。超、砲台でした。
グランドリスボアに向かって砲台の写真を撮ると、なにかが起きそうです。
マカオミュージアムにも行ったのですが、想定外に良かったです。
工夫が多くて、博物館であれだけ長時間いて飽きないのはひさしぶりでした。
カテドラルと、大商人の別荘に立てつづけに行きました。やはり世界遺産。
数多くのチャペルを回ったマカオでしたが、ここが1番。
この夜は定期船で再度、中国は珠海へ。灣仔から国境を越えました。
拱北よりもさびれた、小さな国境でした。
海産物のたたき売りで異常なまでに盛り上がっている市場を見物。
生きたまま売っているものが多く、さわがしいのは人間だけではありませんでした。
伯父の工房兼レストランでいろいろ食べすぎて、気持ち悪くなりました。
これでもか炒飯という名の炒飯がとどめでした。どれもおいしかったのは事実ですが。
珠海で入った公衆トイレは、個室すべてに川が流れている感じでした。
上流の個室に入っていたので、特になにも起きず。
帰りは歩いて国境を越えてマカオ入り。
ヴェネチアンのシャトルバスに忍び込んで、無料でタイパ島まで。
ヴェネチアンに着いてしまえば、抵抗する気もなくカジノへ。
カジノがあれば毎晩遅くなるのはいたしかたなしです。
5日目。
ダメ押し的に、世界遺産めぐり総仕上げ。まずは、聖アントニオ教会。
教会は、世界中どこに行ってもオープンなので、堂々と入れて良いものです。
カモンエス広場という世界遺産に行くと、もはやただの公園でした。
世界遺産の登録には、ヨーロッパの力や政治の力、いろいろ必要です。
またしても世界遺産である、聖プロテスタント墓地。
超魔界村ワールドが広がっていて、あの名曲が聞こえてきそうでした。
カーサ庭園に行ったら、誰もいませんでした。世界遺産なのに。
中にあった建物がこわいぐらいに冷房が効いていて最高でした。
ロバート・ホー・トン図書館に着くころ、またしてもゲリラ豪雨。
聖オーガスティン教会、聖オーガスティン広場も寄って、雨にも負けずに連続写真撮影。
世界遺産シリーズはまだまだ続き、ドン・ペドロ5世劇場。
むかしのカジノで楽しみにしていたのに、まさかの改装中。
ありがちなおみやげ屋さん街で、おいしい杏仁餅やらを買いました。
エッグタルトもある程度は日持ちすると言うので、即購入。
マカオパタカ、中国人民元を日本円に換えようと銀行をめぐり歩きました。
どこも千円札がなくて、あきらめてマカオの空港にある両替所で換金しました。
空港に行く前に、バス待ちの時間にまたカジノの大小にはまってしまったり。
まったく無駄なく時間もおかねも使えて、味わいきりました。
帰りもビバマカオ航空で帰国。成田でおなかいっぱい豚キムチ丼。
スカイライナーですべりこむように帰ってきました。ビバ、マカオ。
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