10/14 作品に塗り込んだ人生
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〔それにしても、原題が『ヴェーヌスベルク』ではね…。
『タンホイザー』とは、えらい違いだわ。〕
「そうではない。 『タンホイザーとヴァルトブルクの
歌合戦』だよ。 二つの伝説から着想を得たから。」
〔はいはい、わかりました。〕
「『歌合戦』のほうには、『ローエングリン』の説話の一つも
含まれている。 ただし今日伝わっている主なものとは、違う
ところが多いのだ。」
〔それがきっかけで興味を持ったのね? ローエングリンに、
あなたは。 “私の名、氏、素性を決して尋ねてはならない”…。
そう念を押されていたのに、エルザは背いてしまった。 白鳥
の騎士との誓約にね…。 私には近寄りがたい存在だわ。
あまりに神がかっていて。]
「高邁な精神を求めて昇りつめた、一人の悩める人間
と解釈することも出来るよ。」
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「それに、こういう卑近な一面もあるのだ。」
ワーグナーはローエングリンの “質問の禁止” について、
「彼は自分を信じてくれる女性を求めた。 一切の説明や
弁明ぬきで、無条件に自分を愛してくれる女性を求めた」、
だから名前や素性にまつわる質問を封じたのだ、と注釈を
加えている。 (*1)
(『知られざるワーグナー』 (三光 長治 著、1997年、法政大学
出版局) (以後、*1 と約す)
[女からすれば “言い訳” よ。 最初から去るつもりの、ね。]
「男は余計な話はしたくない…。 女は詮索好きだからな。」
〔失礼ね、話をすることが愛なのよ、女にとっては。 それに
私、そんなに根掘り葉掘り、訊かなかったわ。〕
「そうだったかな…。」
〔ただ、あなたの継父ガイヤーには興味があったの。
私も女優、同じ俳優としてよ。 私の舞台人生を踏み
にじったこと、まさかあなたは忘れてないでしょうね。〕
「…。」
それに、“実父” カール・フリードリヒのほうも、熱烈な演劇
愛好家であり、素人俳優でもあった。 そのため、リヒアルト
の兄や姉たちも演劇に心ひかれていたのも、当然といえる。
したがって、遺伝という点に関しては、いずれの父親候補者
の間にも、ほとんど選ぶところがない。 ただ、ガイヤーの
祖先をたどってみると、演奏家が何人かいるという…。
ガイヤーは、実技に劣らず理論にも興味をいだく、優れた
性格俳優であり、ドレスデンをはじめとする数多くの地方
都市で、その作品がいくつか上演されたことのある、二流
劇作家でもあった。 彼が亡くなったのはリヒアルトがまだ
6歳のときだったが、彼の影響は、まだ俳優になりたてで
苦闘中のワーグナー一家に、依然として浸透していた。
そしてその家庭における議論が、この聡明な少年のうち
に、演劇改革と劇演出に対する、熱烈な興味を掻きたてた
ことは間違いない。 (*2)
(『ワーグナーの世界』 (オードリー・ウィリアムソン 著、
中矢 一義 訳、1976年、東京創元社) (以後、*2 と約す)
「そのとおりだ。 私は彼に感謝している。それは折
に触れて公言してきた。」
〔そう? 実はね、訊きたいことがあったの、あなた
と一緒に暮らしていたときに。 …といっても、一軒の
家の上と下で、半別居状態だったけど。〕
「…何かね…。」
〔あなたの『ニーベルンゲンの指輪』に登場する、
ミーメのことよ。〕
「……ああ、あの鍛冶屋のミーメかい。」
〔養父としてジークフリートを育てるけど、結局彼に
殺されちゃうでしょ? 父親殺しよね。〕
「…それは、ミーメが先に殺意を抱き、それがバレて
しまったからだ。 悪いのは息子のほうではない。」
〔でもね、なぜわざわざそういう設定にしたの?
私には疑問なのよ。〕
「あれはな、ただユダヤ人を皮肉っているだけだ。」
ミーメが小人族としてその存在を矮小化されているのは、
ひょっとすると、彼らがユダヤ人のカリカチュアであるため
かもしれない。 私がそのように推測する根拠の一つは、
ミーメの語りにある。
ユダヤ嫌いのワーグナーは、『音楽におけるユダヤ性』と
題する論文のなかで、ユダヤ人の話ぶりに言及し、それが
非ユダヤ人にとってはなはだしく耳ざわりであると言って
いる。 ユダヤ人が金切り声で “混乱した駄弁” を弄する
ことに嫌悪感を唆られるというのだが、黄色い声を張り上げ
て、あらぬことを口走るミーメの語り口は、その見本になり
はしないか。 (*1)
〔このミーメはテノールよね。 それも甲高い声だわ。〕
「ユダヤの金融資本を、私が目の敵にしていた (*1)
だけだ。 同じ本にそう書いてあるだろう。」
〔そうね。 でも、こうも書いてあるわよ。〕
母と再婚した養父ガイアーは、もしかするとユダヤ系かも
知れなかった。 14歳まで戸籍上ガイアーを名乗っていた
ワーグナーは、養父が実父かも知れないという疑惑に悩ま
されたが、自身がユダヤ系かも知れないという、もう一つの
疑惑がそれに絡んでいた。 (*1)
「そんなこと、思い出させるな! 混乱してしまうじゃないか…。」
〔水面に映った自分の顔を眺めて、自分は父に “似ていない”
と悩む場面があるわよね。 ジークフリートが。]
「……。」
[どっちでも同じなのよ、似ていてもそうでなくても。 どの
みち、苦しむことになってたんじゃないの? あなたは!〕
「何を言うか! 頭が痛くなってきた…。」
〔…可哀そうに…。 ジークフリートも、ミーメも、
そしてあなたも。 ある種の自己懲罰ね。]
「勝手な解釈をするな!」
[でもそれだけじゃないの。 それは、
“ミーメ” っていう言葉よ。〕
「………。」
〔“Mime” は、英語の “Pantomime” よね? そう、パント
マイム、無言劇のこと。 そして、それを演じる役者の意味
にもなる。 つまり、“俳優” のことよ。〕
「………それは…、偶然の一致だ…。」
[そんなこと、ないでしょ。 あなたは芸術に対しては誠実
な人だから。 解る人には解るように書いたはずよ。]
ガイヤーが俳優としては背が低く、声が細かったことに災
されて、英雄的な役柄につけなかったことも、興味深いこと
である。 というのは、背丈と声量に恵まれなかったことが、
おそらく、リヒアルト・ワーグナーを舞台から遠ざけた大きな
要因だったから。 (*2)
〔あなたは167cm。 劇中のミーメは、地下で
あくせく働く、小人族の出身だったわね。]
「…そうだ。」
[でも、なぜジークフリートに殺されちゃうの?
それにはね、こういう説だってあるほどなのよ。〕
精神分析学では、エディプス・コンプレックスということを
述べる。 これは、息子が母を愛するあまり、無意識的に
父親に対して敵意をいだくことをいう。 ワーグナーの作品
には、義父または養父に対する、一種のエディプス・コンプ
レックスが現われている。 (*3)
(『リヒャルト・ワーグナーの芸術』 新版 (渡辺 護 著、1987年、
音楽之友社) (以後、*3 と約す)
[エルザは、追いつめられて尋ねてしまった。 そして全て
を失い、崩れ落ちて息絶えた。 私もね、本当はもっと訊き
たかったのよ、あなたの身の上話を。 でも、あまり触れら
れたくないように感じたの。]
「ああ…。」
[それも父親のことだけじゃないわ。 お母さんがどんな人
なのか、私には今でもよくわからないのよ。]
ワーグナーの、母親ヨハンナに対する印象も独特であった。
彼は母親自身には、それほど大きな愛情を持っていなかった
らしい。
母親から愛憮されたというような記憶はないと、彼自身言って
いる。 彼は13歳のとき、母親と別れて住むようになったから、
現実の母親について、くわしい記憶のないのも無理はない。 …
思春期に母親から離れていた彼は、母と女性とを結合して憧憬
の対象とすることを知っていた。 ジークフリートも、パルシファル
も、女性の愛を知ったときに、母を呼ばうのである。 (*3)
〔そうね。 私は4歳だけ年上の妻だった。 私なり
に努力はしたわ。 ああ、あのパリの極貧時代…。
こんなことを書いてくれた人もいるのよ…。〕
むずかる赤ん坊のワーグナーを、両腕にかかえてあやす母親
に見立てたスケッチ画 (1841年頃) が残っている。 苦しい世帯の
やりくりの中で、ミンナは、もてなし上手の主婦であったばかりで
なく、わがまま放題の夫に対しては、意外にも包容力のある、
母性としての一面をそなえた、良き伴侶だったのである。 (*1)
[よく聴いてちょうだいね。 あなたがローエングリン伝説に
初めて触れたとき、どんなに驚いたか、自分で覚えてる?
私には想像がつくわ。]
「そんな昔のこと、覚えておらん…。」
[“決して私の名、氏、素性を尋ねてはならぬ”。 この
一方的な宣告を読んだときの衝撃よ。]
「私自身には関係ない。」
[もしあなたが訊かれたとしたら、少なくとも父親に関しては
決して答えたくなかったはずよ。 私にも、ほかの初対面の人
にもね。 もちろん、伝説とは別の意味でよ。]
ローエングリンが、わが身に流れる血は純潔で高貴である
というとき、そこにワーグナー自身の切なる夢を語っているの
ではなかろうか。 (*3)
[エルザは禁を犯し、すべてを失った。 私は出来るだけ尋ね
ないように努め、賢い妻であろうとしたけど、駄目だった。 結果
として、やはり同じ思いをすることになったのよ。]
「ミンナ…。」
[母親の愛憮の記憶が無いんですって? あなたは10人兄妹
の9番目よね。 わずかな残りも、6歳のときに亡くなった継父が
持っていってしまった。 “継父が憎い、甘えさせない母親が憎い、
女性が憎い、特に年上の!”]
「もう止めてくれ…。」
[そうね、あなたはあの強靭なブリュンヒルデからも、すべてを
取り去ってしまった。 神の娘として誉れ高い女性が、行きずり
の男の手にかかる仕打ちを受けるかもしれなかった。 それも、
父ヴォータンの罰でね。 これは私が見ても惨めすぎるわよ。]
「もういい、ミンナ…。」
[まずは、ヴァルキューレとしての神性を剥奪されたんだわ。]
作者は…それだけの強さを身に備えた彼女から、奪えるだけの
ものを奪い、彼女を精神的にも肉体的にも、徹底的に痛めつけて
いる。 サディズムという表現を使いたくなるほど、とことんいじめ
抜いている。
彼女は丸裸の無一物の状態にまで突き落とされた。 神々から
授かった秘宝の知恵まで、ジークフリートに授けた彼女は、愛する
男に向かって、あなたにさしあげるのはもう何もないと嘆いている。
彼女に残されたのはジークフリートへの愛だけだったが、その愛
までむざんに裏切られた。 (*1)
[私、ブリュンヒルデの立場がよくわかるのよ。 私が失ったの
は、舞台生活と、あなたの愛だけでしょうけど。]
「……。」
[あ、私の舞台衣装や結婚指輪もあったわね。 みんなパリの
質屋で流れちゃったの、覚えてる? そういえば、ブリュンヒルデ
も指輪、盗られちゃうのよね、騙されたジークフリートに。 彼が
変装用に使ったのは、“隠れ頭巾” だったわ。]
「無関係だ。 そうではなく…。」
[それとも、私もモデルの一人なのかしら? だったら、どういう
つもりで、あなたはそうしたの?]
コジマは彼の夜ごとの夢も丹念に記録しているが、その大半
は悪夢である。 彼を夜な夜な苦しめた悪夢は、深淵を孕んだ
波乱万丈の生涯の、余震や余波の類だった。 同義的に多くの
罪を重ねたことについての、当人の無意識裡の自覚の現われ
だった。 (*1)
[晩年は悪夢に苦しんだ…? あなたも少しは変わったの?]
「…。」
[もういいわ、お邪魔しました…。 静かに休んでいるところに、
突然、ね。 私はこれで消えますから。]
ミンナとの官能的な体験と、マティルデとの世俗をはなれた
詩の世界の後に、コジマのかたわらでヴァーグナーは、創作
の最後の円熟期につながる理解に満ちたおだやかな家庭を
みいだした。 そして世俗の評価の頂点に達する。 …
しかしそれらすべてにもかかわらず、なおもヴァーグナーは
世俗の情熱から解き放たれなかった。 …
ちょうど『パルジファル』に取りくんでいた。 第二幕の官能的
な雰囲気は遠き日の思い出によるばかりでなく、ユーディット・
ゴーティエとの新たな体験にも負っている。 (*4)
(『音楽家の恋文』 (クルト・バ―レン 著、池内 紀 訳、1996年、
西村書店) より引用。 (以後、*4 と約す)
おお、わが愛しきユーディト! …
聞いてください! 私のために絹地をさがしてみてくれませんか。
地が黄色のサテンで できるかぎり淡い 花々の バラの花
の懸華装飾がついていて、あまり大柄すぎず…。
これもすべて、パルジファルとのよき午前のためなのです……。
1877年 (*4)
数十枚もの便箋が布地や香水の注文でうめられている。
一方、同じ時期に成立した『パルジファル』については、
ごくごくまれにしかふれられていない。 こうした指摘も、
ヴァーグナーという人物のほぼ完全なイメージを描くのに
必要である。 (*4)
ヴァーグナはこの1877年には64歳、ユーディトは28歳でした。
なお、この『パルジファル』の中には、有名な『聖金曜日の
音楽』があります。 そこでは、自作の『タンホイザー』で用い
られた “懺悔のモティーフ” が引用されています。
なんともはや…。 言葉がありません。