MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

音楽の贈物 ②

2009-03-24 00:00:29 | 私のオケ仲間たち

03/24  私の音楽仲間 (37) ~



  私のオーケストラ仲間たち (14) 音楽の贈物 ②






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 与えられたオーケストラ曲。 それだけで手一杯なのに、
その上に室内楽をやらねばならないなんて、言語道断
ですね。 余裕の無いところへ持ってきて、時間的にも
労力的にも、余計な事を押し付けられるように聞こえる
かもしれませんから。



 でも私は、無理してまで "うまい" オーケストラを作る
べきだなどとは、まったく考えていません。

 どのような方法にせよ。 強制されてやるぐらいなら、
やらない方がマシです。

 ただ願わくは、自発性のある、心の通い合った、
"いい" オーケストラで常にあってほしいと思います。
さらに言えば、自発性とは自分たちを大事にする
ことではないかと思います。




 私は今回の (7) で、"すれ違う際の礼儀正しい挨拶"、
"仲間同士の意思疎通の確認"、"はっきりした大きな声
での返事" などが根付いた、"いいオーケストラ" への
道を歩んでいる団体
について触れてきました。

 それらがいつもあることが、一番大事だと思います。
諸々の技術などをまず求めるより、はるかに重要です
から。

 それは、聴きにきてくださる方々にも伝わるのでは
ないでしょうか




 "仲間同士"、"集団" などと、これまで色々書いてきました。
オーケストラは、もちろん集団の活動です。

 しかし、オーケストラを構成する個人個人が、もし "辛い"
状態にある場合、それぞれの心に力を与えてくれるのは、
やはり音楽自身の素晴らしさ、魅力なのではないでしょうか。




 話は突然変わりますが、あのイチロー選手が次のよう
に述べている様子が、野球好きの私には、どうしても頭に
浮かんでくるのです。

 「チーム・プレーは、自らが犠牲になるのではなく、自分の
ためにやるものです。 自分が野球の喜びを味わうために、
自分がやるのです。 (大意)




 室内楽などのアンサンブルは、全員に期待すべきもの
だとは思いません。 ただこれらに、より多く接した者が、
オケとは別の素晴らしさを味わい、また、無言のうちに
それを仲間に伝えることが出来れば、結果も必ずこれに
着いてくるはずです。

 そして、合奏経験が豊富であってもなくても、様々な者
たちが一緒にオケを楽しんでいくうちに、技術、余裕、
はたまた、他者への愛情さえ "副産物" として与えられる
ように、私には思われます。

 もちろん「愛がまず根底にある」のが、理想でしょうが、
「愛される素晴らしさを知る」ことによって、他を愛せる
ようになるのも、また真実です。 合奏の世界でも。

 "アマチュア" は特にそうあってほしいと願っています。



 誤解を避けるために付け加えれば、自分が楽しくないのに、
仲間に楽しみを伝えることは出来ないのではないでしょうか。
言葉でなく、音楽で

 そう私は感じるのです。




 (1) 深夜の儀式では、ハイドンの『皇帝』、その第Ⅲ楽章を
一緒に楽しんだことをお伝えしました。



 実はその後で第Ⅱ楽章、あの例の変奏曲も、みなで
代わる代わる演奏したのです。

 いや、むしろこちらの方に時間を割いたぐらいです。
あの、心を打つ傑作に。



 音源は以前と同じものです。




   [Kodaly Quartet]     [


   [Quator Mosaiques]   [




 実は私は、この前日に『皇帝』全曲を弾いたばかりでした。

 しかし学生さんたちは、楽譜の準備が直前になったので、
事前に音を出す余裕はほとんど無かったと思われます。



 私を入れた11人。 色々な組み合わせで、代わる代わる
演奏してみました。

 Violin は、一人一人がⅠ、Ⅱの両方のパートを弾くように
しました。 Viola は二人だけだったので、交代しても、ほぼ
出ずっぱり。 また Contrabass には気の毒ながら、チェロの
パートを一人だけで弾いてもらいました。



 私は先生ぶった指摘など、何もしませんでした。 ただ、
一緒にこの楽章を楽しませてもらっただけです。

 音を出すときは、あちこちのパートに首を突っ込みました。
ときにはチェロの席にまで割り込んで。



 またあるときは聴衆として。 彼らの熱中ぶりを眺めながら。
むしろそのことに、私自身は秘かに大きな喜びを感じていた
のです。

 ああ、この素晴らしい作品に誰でも近づき、接することが
許されているなんて…!



 終わったのは、午前二時。 それでも一部の者たちは、
なかなか止めようとしませんでした。




 演奏会に備えての重要な合宿。 プログラムに上った三曲
の最終的完成度は、そのスタートが大きく左右するでしょう。

 しかし、合宿でなければ出来ないことも幾つかあります。
その中には、一見すると、演奏会の出来に直接は結び
付かないと思えるようなことも。

 これが "深夜の儀式" になってしまったのは、忙しい合宿の
スケジュールの中で、ここしか時間がとれなかったからです。




 余談ですが、この団体では先輩たちが合宿中の練習枠 (コマ)
を割いてまで確保していた、自発的なアンサンブルが無くなって、
もう 10年は経ったでしょうか。 どうしてそうなったのか、私には
解りませんが。

 それはそれとして、自分たちの素朴な楽しみを、今後も
大切にしていただければ、これ以上のことはありません。




 最後に、当夜参加してくれた、

Violin君、君、さん、君、

Violaさん、さん、

チェロ君、さん、

Contrabassさん、さん、

ありがとうございました!



 楽しんでいただけたなら、まことに幸いです。



 20数年前の深夜の到着とともに、この深夜の儀式も、
私の心の中にきっと長く残ることでしょう。




 (続く)