昨夕の五岳とコスモスと雲海。
やっと中上健次の小説『軽蔑』を読み終えた。
好きな現代作家の一人で、彼の行き方、思想(評論)にも興味を持って読んできた。
残念ながら’92年に病没してしまった。
「路地」の出身を隠さず、そこを足ががりとしてしかし決していきがらず、居直らず、思い通りの生き方を続けた健次には男としての共感を覚える。
さて『軽蔑』。
随分時間がかかってしまった。『軽蔑』の間に6,7冊は時代小説を読んでしまった。
図書館から借りた5冊の本を早く読まないといけない2週間貸し出し期限の強迫観念がつい『軽蔑』を脇に押しやった。
読後感、一言「良かった」。久しぶりの健次節に触れて感動。
最終章20ページ位を歯医者の待合時間に読んだのだが、周りの目を気にしながらも涙が止め処なく流れ落ちた。これは自然現象だ、しょうがない。
話は単純。ヤンチャな若い男とトップレスバーの人気踊り子とのコイバナ(恋愛話)。
全体の基調になるフレーズがある、「真知子とカズさんの仲は相思相愛。男と女と、五の分と五分の仲」
現代の風俗を描いているし、恋愛のリアルな姿を描写するのだが決していやらしくない。セックスは実に軽くさり気無く描く。
前から気付いている。中上の素敵なところは繊細さ。
小説の随所に季節、場所柄で花や植物が表現されている。ガードレールの植え込みのツツジ、高台の斜面に群生している藪椿、カトレア(これはスナックの店名だがー)、部屋の中の鉢植えのベンジャミン、栴檀の花、マンションの紫陽花、植え込みの泰山木の白い花、掘割の土手の赤いカンナ、コスモス、小菊、曼珠沙華、雛罌粟(ひなげし)。
中上はあの70年代、高校卒業して土木作業をしていた。図体が大きく豪胆な気質に思えるのだが実に細やかなのだ。このアンビバレンツが何ともいえない魅力。
久ぶりにいい話=小説を読むことができた。
やっと中上健次の小説『軽蔑』を読み終えた。
好きな現代作家の一人で、彼の行き方、思想(評論)にも興味を持って読んできた。
残念ながら’92年に病没してしまった。
「路地」の出身を隠さず、そこを足ががりとしてしかし決していきがらず、居直らず、思い通りの生き方を続けた健次には男としての共感を覚える。
さて『軽蔑』。
随分時間がかかってしまった。『軽蔑』の間に6,7冊は時代小説を読んでしまった。
図書館から借りた5冊の本を早く読まないといけない2週間貸し出し期限の強迫観念がつい『軽蔑』を脇に押しやった。
読後感、一言「良かった」。久しぶりの健次節に触れて感動。
最終章20ページ位を歯医者の待合時間に読んだのだが、周りの目を気にしながらも涙が止め処なく流れ落ちた。これは自然現象だ、しょうがない。
話は単純。ヤンチャな若い男とトップレスバーの人気踊り子とのコイバナ(恋愛話)。
全体の基調になるフレーズがある、「真知子とカズさんの仲は相思相愛。男と女と、五の分と五分の仲」
現代の風俗を描いているし、恋愛のリアルな姿を描写するのだが決していやらしくない。セックスは実に軽くさり気無く描く。
前から気付いている。中上の素敵なところは繊細さ。
小説の随所に季節、場所柄で花や植物が表現されている。ガードレールの植え込みのツツジ、高台の斜面に群生している藪椿、カトレア(これはスナックの店名だがー)、部屋の中の鉢植えのベンジャミン、栴檀の花、マンションの紫陽花、植え込みの泰山木の白い花、掘割の土手の赤いカンナ、コスモス、小菊、曼珠沙華、雛罌粟(ひなげし)。
中上はあの70年代、高校卒業して土木作業をしていた。図体が大きく豪胆な気質に思えるのだが実に細やかなのだ。このアンビバレンツが何ともいえない魅力。
久ぶりにいい話=小説を読むことができた。