おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

時代が進んだとはいっても「腕時計携帯」はナンダカナア

2014年09月11日 07時26分51秒 | 社会


アップルの大仰な記者会見の模様を見た。

腕時計携帯の発表だった。

これを待ち望んでいる日本の若者にもインタビューしていたが、そんな大喜びするような品物=電子機器だろうか?

調べたらすでにお隣のサムスンが先んじて販売しているらしい。

韓国はコンピューターの進化スピードが速い。

こんなものそんなに血みどろになって競うようなものではないと思うのだが・・・

流石に今回の「腕時計携帯」に対しては若者の反応も先の万歳型とは違って、疑問符を投げかけている部分もあるのだとかー

携帯でもスマホでも歩きながら、自転車を運転しながら、授業を聞きながら、果ては入学試験を受けながらという事件もあった。それでぶつかってケガを負わすことも。

腕時計だと電話が掛かってきた時にポケットから、バッグから取り出さなくても腕を目の前に持ってくればいいのだから簡単便利。

この「簡単便利」が文明の陥穽なのだ。

昨日、古文書講座に行った。生涯学習の典型的なプログラムだろう。みんなまじめに授業を受ける

私はテキストである古文書(今回村に寄贈された村内神社の膨大な近世史料)、さらに筆記用具、重い辞書、参考書2冊を2種類のバックに入れて通う。

もちろん予習も復讐もしっかりする。

講座の途中、だれか携帯のベルがケタタマシク鳴り出した。席の後ろの方らしい。さり気無く振り返ると「ババサマ」であった。どうするのかと思ったらそのまま先生が喋っているのに席に座ったまま喋りだしたではないかー

テレビでもやっていた。非常識を若者に向ける前に年寄りの行動をよく反省しろ!と。

言い訳ができない。道徳は年長者が後輩に指導していく立場にあると思うのだが、これでは何にも文句を言えない。

そしてこういう破廉恥(恥を知らないこと)な行為をだれも注意しなくなったこと。先生が注意する立場だろうが、無視して話し続けた。相手が老女だからきずつけてはならないという配慮というか遠慮が優先するのだろうか。

私も怒り心頭だったけれど無視してしまった。

携帯は人間性を鈍磨させると思う。

ところで携帯の請求書を昨日届いた。明けてみると3980円。高いなあと思ったらよく見ると7月、8月合算した金額だった。私の携帯使用は月2千円程度だ。どんどん昨日を切り捨てたら、これ位で済む。

EメールもCメールに切り替えたらいいのだ。そして文を簡潔に。