興味津々丸

日々の暮らしをそのまんま日記を書くように綴ります。

兼続を取り巻く人々~その12~伊達政宗

2008-11-08 10:24:12 | 歴史
伊達政宗は仙台に住む人にとって最も身近な戦国武将でありますが、小生、恥ずかしながらあまり詳しく知りません。これを機会に少し調べてみました。

1567年米沢城主伊達輝宗の嫡男として米沢城で生まれたんですね。
母は最上義守の娘義姫だそうです。

幼名を梵天丸といい、字(あざな)は藤次郎と言われたそうです。

幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明しました。

戦国屈指の教養人として、豪華絢爛を好むことで知られていました。

1600年上杉征伐へと兵を進めた徳川勢の動きを見て、上杉領の白石城を攻略。

関が原の合戦では家康方の東軍に属し、上杉軍の最上氏攻めに援軍を送り、長谷堂城の戦で上杉軍と交戦。

上杉景勝とともに大坂冬の陣の先鋒を命じられる。

1601年には仙台城、城下町・仙台の建設をはじめ、居城を移す。

家臣の支倉常長らの慶長遣欧使節団をヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)からエスパーニャ、ローマにまで派遣して海外貿易を試みているが、いずれも成果は実りませんでした。

3代徳川家光の頃まで仕え、1636年5月江戸で死亡。享年70。
死因は癌性腹膜炎あるいは食道癌(食道噴門癌)と推定されています。

兼続との逸話
政宗は当時珍しかった慶長大判を取り出して見せたとき、兼続は扇で受け取り、跳ね返しながら見たので、政宗が手にとってよく見るよう言いました。

兼続は、「不肖兼続の右手は戦場にあっては、謙信殿の代よりの采配を預かるもの、左様に不浄なものに触れるわけには参りません」と言い、政宗のもとに投げ返したそうです。

政宗は一言も返すことができなかったといいます。

大河ドラマ「天地人」では、どなたが演じられるのか不明です。

…さらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにつづくかな?