前回のつづきです。
まだ時間があったので、フクギ並木のエリアに行ってみました。
畑の脇のフクギ並木
農作物や家屋を災害から守るフクギは、多良間村の村木だそう。
650mほどの参道の両脇がフクギ並木になっていて、
その奥には、塩川御嶽(うたき:神を祀った聖地)がありました
ここは古くから信仰の対象として島の方々に大切にされてきたところです。
塩川御嶽の植物群落並びにフクギ並木は、県指定天然記念物
再びドライブしていたらこんなのどかな風景に出会いました
多良間村民族学習資料館にも行きました
入口脇にあった日正丸という船は、
東日本大震災で宮城県南三陸町から流され、約4年後の平成27年1月末に多良間島に漂着したのだとか
そういえばこのニュース、どこかで目にした気がします。これが実物の船なんですね。
館内資料で一番興味深かったのが、多良間独特の言葉の発音と特殊音の表記
この独特の発音は、やはり地元の方にお願いするのが一番
ということで、職員の方に教えていただきました
それから、琉球王国時代、女性の手に施した入れ墨「針突(はじち)」
明治末期頃まで行われていた沖縄特有の風習で、地域によって文様、名称も違うようです。
多良間島では「パリツキィ」(リ、キ、ィの上にも半濁点の◯がつきます)あるいは「パイツキィ」(イ、キ、ィも半濁点)。
起源伝承も2つの系統があり、奄美・沖縄地方は北部系統、宮古・八重山地方は南部系統。
北部系統は護身のため、南部系統は報恩のために行われていたそうです。
こちらは「多良間しゅんかに」の展示
「しゅんかに」って何だろう?と思ったら、「しょんがね節」(※)のことでした。なるほど
※しょんがね節:島の叙情歌。沖縄本島の「遊びしょんがねー」、八重山の「与那国しょんかねー」などがあります。
展示によると「しょんがね節」の起源は江戸中期頃に全国的に流行した「はやり歌」だそうで、
東北地方から九州・沖縄地域まで幅広い分布が見られる、とのことでした。
さて、飛行機の時間も近づいてきたので、多良間空港へ
この日は大相撲一月場所千秋楽。のんびりと空港のロビーで相撲を見ている…場合ではありませんでした
既に出発時刻を過ぎていましたが、宮古島からの飛行機が来ないので、当然こちらの飛行機も遅延
しかも、宮古島からの飛行機は「条件付き運航」となっていました
この時の多良間島は、強雨そして、強風という、まさかの悪天候。
あの青空はどこへやら…本当に驚きの天気になっておりました。
(つづく)
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