mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

イスラム国の要求に日本政府はどう答えたのか?

2015-01-29 12:39:40 | 日常
以下の脚本を読んで問いに答えなさい。
イスラム国「2億ドル払え。払わないと2人の人質の命はないと思え」
日本国政府「 A  」
イスラム国「一人殺した。もう一人も殺されたくなければヨルダンで捕まっている仲間を釈放させろ」
日本国政府「 B  」
イスラム国「ヨルダンのパイロットも一緒に釈放してやるからとにかく仲間を釈放しろ」

問1 Aに入れるセリフとしてもっともふさわしいと思われるのは次のどれか。
(ア)我が国は人命最優先だからとにかく2人を殺さないでくれ。お金のことは考えさせてもらう。
(イ)そんな金は払えない。
(ウ)・・・・(無言)

問2 Bに入れるセリフとしてもっともふさわしいと思われるのは次のどれか。
(ア)我が国は人命最優先だからとにかく後藤さんを殺さないでくれ。君たちの仲間を釈放できるかどうかヨルダン政府と相談してみる。
(イ)ヨルダンはそんなことに同意するはずもないから、そんな要求をするつもりはない。
(ウ)・・・・(無言)

Aに入るのが(ア)であるはずがないのは、イスラム国の次のセリフから明らかであり、正解は(イ)か(ウ)のどちらかだろう。
またBもイスラム国が続くセリフでヨルダンに交渉しやすくするように配慮していることからみて(ア)であるはずがなく、やはり(イ)か(ウ)である。日本のマスコミはこの問題に触れようともしないが、なんとなく日本政府が(ア)の対応をとっているかのように臭わせている。
イスラム国が理性的に思考できる人たちであるならば(この前提は必ずしも成り立たないようにも思えるが)、日本の人質を殺してしまったら何のメリットもないことを理解できるはずである。イスラム国を空爆しているアメリカやイギリスの人質であれば単に報復のために殺すとか、相手側の戦意を喪失させる効果を狙って殺すということはあるかもしれない。しかし、日本は攻撃に参加しておらず、人道支援しかしていないという日本政府の主張を信じるならば、日本人人質の利用価値は日本からカネや関係国への働きかけを引き出すことぐらいしかない。湯川さんが殺害されたことはイスラム国がそうした合理的計算をしていない可能性も示唆するが、最初の脅迫の映像が合成であったことから考えて、最初から湯川さんは殺害されていたのかもしれない。イスラム国にとって何がメリットかを考えると、日本は交渉のテーブルにつく姿勢を見せつつ、交渉を引き伸ばして要求を下げさせる戦術をとることが可能なように思える。
一方、安倍政権側の得失を考えると、人質を殺された場合にはその無能無策ぶりが責められる可能性があるが、1人殺された段階でもそういう言論を封殺することに成功している。仮に後藤さんが殺害された場合に世論が安倍政権に矛先を向けてくる可能性はより大きいと言えようが、それをうまくかわして世論をイスラム国憎しの方向に誘導できれば、むしろ集団的自衛権の発動の方向に進めるという安倍政権にとって大きなメリットがある。そう考えると、A,Bの回答は(ウ)でさえなくて、どちらも(イ)だったのかもしれない。

イスラム国日本人人質事件と安倍政権の謀略

2015-01-25 14:03:24 | anti facism
「イスラム国」が日本人2名を人質としている画像をインターネット上に公開し、72時間以内に2億ドル払わなければ二人を殺すと脅してすでに3日が過ぎた。
1月25日深夜にそのうちの一名を殺害したとみられる画像が公開された。
この非道な所業と国家建設という大義とがどう結び付きうるのか理解に苦しむ。
一方で、深夜急に飛び込んできたニュースにもかかわらず、菅官房長官が「言語道断」といかにも周到に用意された強硬なメッセージを発表したことからみて、官邸はこうなることを予期していたに違いない。普通に考えれば、安倍首相が「人命尊重の観点から万全を期す」と約束したのだから、殺した相手への怒りとともに、この事態を招いた自らの無能無策を残念に思う、あるいは詫びる言葉があってもよさそうなものではないか。
中山康秀外務副大臣がヨルダンなどで会談して回ったと報じられたが、もとよりイスラム国との接点のない人たちといくら話し合っても、相手からは同情の言葉以上のものは引き出せなかったであろう。いかにも忙しげに会談に駆け回ったのは、要するに中東情勢に疎い日本国民向けのパフォーマンスにすぎない。
加えてこの事件に関するテレビの報道も不思議だった。人質は二人にもかかわらず、最初に捕えられた湯川氏については「民間軍事会社」という以上には何の情報も出さず、あとから行った後藤氏について紛争地の子供たちへの思いやりの深い人物であると美化している。後藤氏の無事を祈って涙ぐむ女子中学生の映像を繰り返し流すなど、きわめて露骨な世論操作ではないだろうか。
湯川氏については、彼のブログなどをみると、どうも戦争ごっこがしたかったという人物像しか浮かび上がってこない。なまじそんな人物を紹介したら誰も同情しないだろうから、敢えて触れないようにしていることもこれまたミエミエである。
湯川氏の人物像や彼が捕まった経緯について詳しくふれると、そんなろくでもない人物のためになぜ人格高潔(とテレビ局が描いている)な後藤氏がイスラム国の「首都」へ向かったのかという謎の一番の核心にふれざるをえなくなる。実は「御用メディア」として知られるあるテレビ局が彼をイスラム国占領地に派遣したという説がある。たしかにフリージャーナリストである後藤氏がこうした危険な仕事を引き受けるのはスポンサーがあるからだ、というのは至極普通の解釈であろう。
となると、この人質事件には「良心的な日本人が不幸にも非道なテロリストに人質に捕えられた」という安倍政権と御用テレビ局が描こうとしている絵柄とは全く異なる姿が見えてくる。
それは、日本(人)を「イスラム国の被害者」の側に巻き込むことによって、日本国民のあいだで中東での戦争に参加する意志と覚悟を高めようとする政権・御用メディア一体となった謀略という側面である。
その先には集団的自衛権行使の口火を切る最初の行動として自衛隊をイスラム国攻撃に派遣するというシナリオがある。
北朝鮮の挑発や、中国公船の尖閣へのアプローチなどの脅威はすべて個別的自衛権の問題である。
集団的自衛権を使うとすれば当面は中東での戦争への参画以外に考えられない。安倍政権にとって人質事件はまさに降って湧いた(というより自ら仕掛けた)好機なのである。

勝ち組と負け組

2015-01-04 12:04:02 | 日常
1月3日にNHK-BSで放映されたドキュメンタリー番組「遠い祖国-ブラジル日系人抗争の真実」は永久保存したいぐらいのいい番組だった。
ブラジルへの日本人の移民は20世紀初めぐらいから始まっているが、多くの移民はコーヒー農園の労働者として赴き、お金を貯めて日本に帰るつもりだった。
ところが、コーヒー農園の仕事はつらく、低賃金のため帰国する運賃さえもいっこうに貯まらない。日本人移民たちは出稼ぎのつもりなので、ポルトガル語を学ばず、子供たちにも日本人としての教育を施す。移民たちは、1930年代からの日本の対外拡張のことをもっぱら日本側の情報によって日本語の新聞を通じて知ったので、日本が赫々たる戦果を挙げているという情報を信じていた。
ところが、ブラジル政府は連合国側につき、日本、ドイツ、イタリアと断交。日本の大使や領事たちも引き上げてしまう。帰国できる日を待ち望んでいた日本人移民たちは祖国から見捨てられたという思いを募らせた。ブラジル政府は日本人やドイツ人の移民を敵視し、日本語新聞の発行を禁じた。
ポルトガル語など他の言葉ができれば、客観的な情勢について知ることができたのだろうが、日本語新聞という唯一の読めるメディアが閉ざされたなか、日本の敗戦の噂が伝わってくる。
それまで日本が勝っているとばかり思っていた日本人移民たちはこの情報を信じることができず、逆に日本が奇襲によって勝利を収めたというデマがまことしやかに流された。
勝利した日本が移民たちを迎えに来るというデマまで流れ、サントス港には迎えの船を待つ日本人たちが押し寄せた。
一方、ブラジルで事業をしていた日本人たちは敗戦の事実を認め、ブラジル社会のなかで生きていくことを主張し、勝利したと主張する「勝ち組」と対立する。敗戦を認められない「勝ち組」は、敗戦を認める運動を展開し始めた「負け組」を敵視し、ついにはその指導者たちを暗殺し始める。「負け組」からの報復もあったが主に「勝ち組」が「負け組」を殺し、首謀者たちはブラジルの司法当局によって殺人罪で投獄される。「勝ち組」の一人はいつか日本から迎えが来ると信じ、最後は頭がおかしくなって「UFOに乗って宇宙人が迎えに来る」と言いながら、結局帰国を果たせずに亡くなった。何ともかわいそうなことである。

1945年のブラジルにおける日本人に比べて、いまの日本では情報があふれているから、「勝ち組」のような奇妙な集団はどこか遠くの世界のことだと思われるかもしれない。
だが、私の見るところ、いまの日本では着実に「勝ち組」が増えつつある。長谷川慶太郎氏の近著のタイトルは『破綻する中国、繁栄する日本』。本屋さんに行けば、この手の「中国や韓国が破綻して崩壊し、日本の繁栄は永久不滅だ」みたいな本が目白押しである。余りに現実から乖離しているから、何かの謀略ではないだろうかと思うのだが、普通に考えれば、要するにこういう本が売れているということなのだろう。
長谷川慶太郎氏の予測は1986年の『さよならアジア』以来当たったことがないと思うのだが、中国のGDPが日本の2倍以上になっても、長谷川氏はいっこうに自分の間違いに気づく様子がない。日本が世界のGDPの2割近くを占めていた状況から7%ほどに縮小した今でも「日本が勝った」「日本は勝つ」と言い続けている。その不合理性を指摘しても彼は聞く耳を持たないだろう。なぜならば彼の言論は日本の「勝ち組」の心理を代弁するものなので、現実妥当性がない言論ではあっても、彼個人にとっては経済合理性がある行為なのだ。
そんな「勝ち組」の耳にも不都合な情報が入ってくる。ブラジルの「勝ち組」が奇襲による日本の勝利に賭けたように、現代日本の「勝ち組」も一発逆転を待ち望んでいる。アベノミクスは現代日本の「勝ち組」にとっての奇襲なのであろう。
ブラジルの「勝ち組」がたどった道を考えると、日本の「勝ち組」も次は、客観的に事実を見つめて指摘する者(「負け組」)を敵視し、抹殺しようとし始めるのかもしれない。「勝ち組」増加の先には何とも暗い世の中が待っている。