mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

海渡雄一編『反原発へのいやがらせ全記録』

2014-07-29 22:50:48 | anti facism
高木仁三郎氏ら1980年代から原発の危険性を訴え続けた人たちがいる。チェルノブイリ原発の大事故で彼らの訴えの正当性が最悪の形で立証されることとなり、日本の反原発運動は一時盛り上がった。だが、時が経つにつれて私も含む一般人はなんとなく原発のことを忘れていた。気候変動問題が持ち上がると原発はむしろ逆に推奨されるようになった。

そこへ福島第一原発の事故が起きて取り返しのつかないことになった。日本は国土の何十分の一かを事実上失った。日本産の農水産品が放射能に汚染されている疑いありとして一時は40か国以上から締め出しを食った。
そして改めて原発の危険を訴え続けた勇気ある人たちのことを思い出す。
本書を見ると彼らがものすごい苦難に耐えて原発反対運動を続けてきたことがわかる。無言電話、新左翼党派とのかかわりを匂わせるような偽装工作、汚物の送り付け、さまざまな形での脅迫など、運動関係者が保存しておいただけでも4000通のいやがらせの手紙が送られてきていた。この執拗さはもちろん原発推進の考えを持つ個人がやったことではありえない。3・11の2年後ぐらいだったか、某カルト集団が「原発推進」のデモをやっているのを見たことがあるが、彼らの宗教的情熱をもってしてもこれほど執拗ないやがらせを続けることはできないだろう。「原子力ムラ」の住人のなかにこうした謀略活動、人権侵害活動、ハラスメント活動によって給料をもらっている人たちがいるに違いないのだ。
謀略活動の活動資金は独占利益を享受している電力会社の周辺から出ていると推測されるが、謀略の遂行者たちは民間会社には考えられないような情報力を持っているらしいので、本書では公安警察の関与を疑っている。
では彼らはいったいなぜこんなに執拗に反原発を攻撃するのだろうか?
反原発は現体制を転覆させるような危険性がある運動とは思えない。エネルギーの選択をめぐる運動にすぎないものに、なぜ体制に対する脅威に対処すべき機関が執拗に圧力を加えるのか?
それはどうやら日本が原発や核燃料サイクルを推進する理由が単なるエネルギー問題ではないからであるらしい。本書によれば日本のプルトニウム政策を外国から見るとあたかも核兵器を準備しているように見えるらしい。もちろん現在もしくは過去に核兵器を作っているわけではないだろうが、「割と短期間で核兵器が作れる状態」を保っておくことが日本が原子力を放棄しない隠された理由ではないだろうか。だからこそ反原発運動に対してまるで体制転覆運動に対するような執拗な嫌がらせを行い、運動の広がりを抑え、運動家たちのやる気をくじこうとしているのだろう。

カルト化する日本

2014-07-29 00:00:03 | 日常
科学界では小保方さんがSTAP細胞を本当に作れると思っている人はほぼ皆無だと思う。理研が空しい再現実験を続け、小保方さんに対する処分をいっこうに下さないことに対して多くの科学者が抗議の声を上げている。なかでも大阪大学の近藤滋先生のコメントが面白い。インチキを行った証拠がいくらでもある機関・人物にさらにチャンスを与えることなど無駄である、という至極まっとうな意見を述べている。
ところが科学界の外では小保方さんが不正をした証拠を示されても、おそらくその意味さえ解らぬままそれを否定し、「STAP細胞はあります」という空しい主張をなぜか信じている不思議な人たちがいる。「幸福の科学」の大川隆法総裁は小保方さんの守護霊と対話してSTAP細胞が存在することがわかったそうな。下村博文文科相も大川総裁と同様の霊能力を持っているのか、同じ信念を持っているらしい。STAP細胞を小保方さんが作ったと信じている人たちが「南京大虐殺はなかった」と言っている人たちと同一であることは偶然ではないだろう。自分の信じたいことを否定する証拠がいっぱいあっても、それを冷静、客観的に受け止めることができない人たちなのだ。
オウム真理教の事件を通じて、カルト的信念を持ってしまった人たちがいかに危険か、また彼らを洗脳状態から脱却させることがいかに大変かを我々は思い知った。
しかし、オウムが小さくなっても、別のカルトがはびこり、カルト信者みたいな人物がいま教育科学行政を牛耳っている。
約75年前に日本が破滅的な戦争に向かったのも大衆とエリートが一種のカルトに取り憑かれたことが大きな要因である。

中国産を追放すれば食の安全はさらに脅かされる

2014-07-26 13:01:26 | 日常
上海福喜食品という食品工場で期限切れの鶏肉をチキンナゲットなどに使用したことが中国のテレビ局の潜入取材によって発覚した。
日本でもマクドナルドやファミリーマートなどで同社からチキンナゲットなどを仕入れていた。
マクドナルドでは中国産チキンを全面的にタイ産に切り替えると発表した。

想像していた通り、事件は中国産食品一般の問題に拡大解釈され、中国産と書かれたものを追放してとりあえず日本の消費者は一安心という展開になりそうだ。
だが、そうした誤った対処は、日本の食の安全を危うくし、食中毒になる人を増やす効果を持つだろう。
消費期限切れの材料を使う行動は別に上海福喜食品の専売特許ではなく、日本でも不二家、雪印、赤福など有名企業もやったことである。このうち雪印は消滅したが、不二家と赤福はいつの間にかみそぎが済んだような顔をしている。上海福喜食品の問題は従業員に対する監督不行き届きで起きたものだが、赤福の問題はまさに社長が指揮してやらせていたことだから、きわめて悪質であり、私自身はもう二度と赤福のものは口にしないことにしている。

床に落ちた食品を知らぬ顔してラインに戻すという行動も、日本の大手パンメーカーで日常的に行われていると、学生時代にバイト仲間から聞いたことがある。
雪印が期限切れの牛乳を再利用していたからと言って日本産の乳製品をすべて追放することや、赤福が問題を起こしたからと言って和菓子をすべて追放することがリスクに対する間違った対処法であることは誰でもわかる。だが、中国で製造されたものとなるとそういう常識的な判断ができなくなり、「中国産」と書かれたものを全部追放するという行動に出る。その機に乗じて国内の食品メーカーは「安心の国産」を強調し、不二家、雪印、赤福の問題やアクリフーズの農薬混入事件などなかったような顔をする。
上海福喜食品で起きた問題はどこでも起きうるものだと考え、それを防止する方策を考えるのではなく、「国産は安心」という誤った信念を抱くならば、国内の食品関係者のモラルハザードをもたらし、食中毒事件の多発をもたらすだろう。

Jorge Benjor ライブat Bluenote Tokyo, July 21, 2014

2014-07-21 23:59:10 | Jorge Ben
ジョルジ・ベン改めベンジョールが7年ぶりぐらいに来日し、ブルーノート東京で3日間ライブを行う。
前回は代々木公園のブラジル・フェスティバルでの出演のため来日し、私も聞きに行ったが、途中で土砂降りの雨になり、娘にせがまれてやむなく中途で帰らざるをえなかった。
さて、今回は大人の楽園、南青山のブルーノート東京でのライブ。
ジョルジはすでに70歳を超えているはずなので、体力を考えると初日第1回目の公演に行くのがいいだろうと思って、今日(7月21日)の17時からの回に行った。

開始予定時間ピッタリにバンドのメンバーが登場。1970年代にバンドのメンバーだったベースのDadi, パーカッションのNenemもいる。準備が整ったところで、少し猫背気味のジョルジが登場。しかし、精悍な様子、スポーツマンらしい体型には全く衰えが見られない。
それから約70分間、途中まったく休むことなく、ほとんど2曲以上を数珠つなぎにしてエネルギッシュに演奏した。
ジョルジはずっと立ったまま激しくエレキギターをかき鳴らし、叫ぶように歌い、最後は少し声が枯れてきた。
バンドのメンバーも、ジョルジの音楽に心酔しきった様子の若いドラマーから、おそらくジョルジと同じ年代で、いつも満面の笑みをたたえているNenemまでみんな元気よかった。

演奏した曲は以下の通りだった。

Jorge de Capadocia—1975年の超名盤“Salta o Pavão”(孔雀のはばたき)の収録曲
~Domingo 23—1972年のアルバム”Ben”収録曲の歌詞だけ少し

Salve Simpatia—1980年のアルバム”Salve Simpatia”の収録曲
~A Banda de Ze Pretinho—1978年のアルバム”A Banda de Ze Pretinho”の収録曲。2曲を混ぜこぜに

Santa Clara Clareou—1981年の”Bem-Vinda Amizade”の収録曲
~Zazueira
~A Minha Menina この二曲は1973年のアルバム“10 anos depois”に入っているが初出はいつなのかわからない。

Que Maravilha—1971年のアルバム”Negro e Lindo”の収録曲
~Magnolia—1974年のアルバム”A Tabua de Esmeralda”の収録曲
~Ive Brussel—1980年のアルバム”Salve Simpatia”でカエターノ・ヴェローゾと共演した曲

Os Alquimistas estao chegando os alquimistas—1974年のアルバム”A Tabua de Esmeralda”の収録曲。ファンキーなアレンジで。途中でフランス語詞も交えた。
~Alcohol—1993年のアルバム”23”の収録曲
~Miss Simpatia?—Alcoholと同じコード進行でどうやら別の曲も
~バンドのメンバーのソロ
~Eriko?-初めて聞く曲。途中に“さーよなら、ばんざい、どーもありがとう”という歌詞がある。
~Ponta de Lança Africano (Umbarauma)—1977年の超名盤”AfricaBrasil”収録曲
~Filho Maravilha—1972年のアルバム”Ben”収録曲、ただし”Filho Maravilha”とタイトルを変えてからは1983年のアルバム”Dadiva”に入っている。

Por Causa de Voce, Menina—1963年のアルバム”Samba Esquema Novo”収録曲をサルサのタッチで。
~Mas que nada—同じく1963年のアルバム”Samba Esquema Novo”収録曲。トロンボーンとサックスは1963年のアルバムと同じアレンジ。
無線付きエレキギターを弾きながらジョルジ退場。

公演に来た人たちも多くは私と同じようにこの日を待ち望んできたのだろう。大いに盛り上がり、ジョルジが両腕を広げると、司祭に導かれる教徒たちのように高揚感が高まっていった。アンコールを求める拍手が長く続いたが、予定の曲目ですべて燃え尽きたという感じでアンコールはなかった。ひたすらジョルジ・ベンジョールの音楽だけを無駄なく詰め込んだ70分間だった。

研究不正を助長する早稲田大学と下村文部科学大臣

2014-07-21 13:20:38 | 日常
小保方晴子氏の博士論文の問題について早稲田大学が調査結果を発表し、博士号取り消しには当たらないと結論した。
これはまったくもって驚きの結論である。
私の知る限り、博士論文に多数のコピペが見つかれば博士号取り消しとなるのが最近の日本の学界での通り相場となっている。小保方氏の論文は報道では冒頭20ページがコピペだというのだからそれだけでふつうの大学であればアウトだろう。
しかも、早稲田の報告書では「合格に値せず、小保方氏は博士学位を授与されるべき人物に値しない」とまで書いているのだから、それでなぜ取り消しにならないのか誠に不思議である。博士号を取り消したらその人の社会生活が破壊されてしまうからだというのが理由だそうだが、不正によって獲得した職を失っても文句は言えないのではないだろうか。
この結論でもっとも被害を受けるのは早稲田大学で博士号をとった人たちや早稲田の他の教員たちであろう。何しろ「早稲田の博士論文はコピペでも審査の時にバレなければOK」「後で不正がバレても、もう就職していれば博士号は取り消されない」と認めてしまったようなものだから、他の早稲田大学博士たちは苦労して取得した博士号の価値を地に落とされるし、早稲田で院生を指導する教員たちは院生たちに示しがつかないことになる。

早稲田大学が不思議な結論を出した背景として、どうやら理研が小保方氏をいっこうに処分しないことがあるようだ。改革委員会が厳重な処分を求めたにも関わらず、理研は小保方氏にSTAP細胞が本当に存在するのか再現実験をするのだとしていっこうに処分を下さない。不決断の背景には下村博文文部科学大臣が「理研は小保方さんの活用を考えながら、一日も早くSTAP細胞を証明する努力をする必要がある」と述べたことが影響しているようだ。本来、科学者の判断で行うべき処分自体に政治家が介入する不当さもさることながら、検証実験させれば土壇場で一発逆転してSTAP細胞の存在を証明してくれると信じている愚かさにあきれてしまう。
何がそんなに気に入ったのかは不明だが、ともあれ文部科学省のトップのお気に入りになれば、盗用や捏造、博士号の不正取得など一連の研究不正もすべて免罪になってしまうというとても悪しき先例を打ち立てつつある。早稲田大学と下村博文は日本の科学の信頼を地に落とす大功労者といえよう。

在特会に鉄槌下る

2014-07-09 15:21:43 | anti facism
京都の朝鮮学校の周辺で悪質な授業妨害と嫌がらせを行っていた在特会に対して学校の半径200メートル以内の街頭宣伝の禁止と1226万円の賠償を命じる京都地裁の判決が二審の大阪高裁でも支持され、在特会の控訴は棄却された。
在日韓国・朝鮮・中国人に対する差別は戦後日本の重い問題だが、指紋押捺拒否などの運動、韓国の民主化と日韓関係の改善などによって、次第に在日韓国・朝鮮・中国人が日本社会の仲間として認知されてきたと思う。学術やスポーツ、芸能などの世界で在日韓国・朝鮮・中国人が実名で活躍する姿をみる機会が増えた。そうした前向きの動きに水を差しているのが在特会。在特会による公然と人間の尊厳を脅かす言動が野放しになっている状況は日本人として残念に思っていたが、今度の判決は日本に健全な統治があることを示すことができた。

さらにヘイト・スピーチを規制する立法も進めるべきだ。もちろん陰湿な差別はこれまでもあったのだけれど、すぐ近くに住む特定の集団を「殺せ」というプラカードを掲げる人間を処罰する法律がないというのは驚きである。
「殺せ、といったってどうせそんな度胸もない連中だし、一種のコスプレみたいなもの」と軽く見られているようだが、「売国奴」「国賊」といった言葉もつい20年には「太平洋戦争前にはそういう言葉があったが、今では愛国党ぐらいしか使わない死語」と見なされており、冗談でしか使わない言葉だったのが、今では大新聞や大臣が平気で口にするようになっている。この動きを放置しておいたら取り返しのつかないことになる。ヘイト・スピーチに法の鉄槌を下そう。