mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

小野リサ"Look to the Rainbow--Jazz Standards from L.A."(2009)

2012-05-07 22:51:04 | Bossa Nova
私の体調が悪かった2009年の春先からしばらくの間、このアルバムの冒頭の曲"I'm Beginning to see the light"がJ-WAVEのサウージ・サウダージのなかで、なんかのCM曲として繰り返し流れ、頭に染みついていた。
その後、体調も回復し、サウージ・サウダージも滝川クリステルさんにDJが代わって模様替えし、この曲のことを忘れていたが、先日ラジオでTake6というコーラス・グループの曲を耳にして、これは聞き覚えがある、なんだろう?と思って、このアルバムを見つけた。
もっとも"I'm Beginning to see the light"にTake6がコーラスで参加しているというのは私の誤解で、このアルバムのなかの別の2曲に参加しているだけである。ただ、他の曲にも似たようなコーラスがつけられていて、それがこのアルバムの大きな特徴となっている。
前置きが長くなったが、このアルバムはとてもいい。1930年代からのアメリカのジャズ・スタンダード曲がボサ・ノヴァのハーモニーの大きな源流であることは、数々のブラジルのアーティストが認めているところであり、両者の親和性はもともと高い。My Funny Valentineからノラ・ジョーンズのDon't Know Whyまで選曲のセンスも素晴らしいと思う。

GWの渋滞体験

2012-05-06 20:09:48 | 日常
今年は5月3日に東京から車で南伊豆に向かい、5月5日に帰ってきた。
みすみす渋滞にはまりに行くような日程とコースで、そういうのは私の趣味ではないが致し方ない。
東京から南伊豆に向かうにはいくつものルートがある。
①東名高速で沼津ICまで行き、そこから伊豆半島を南下し、西伊豆経由もしくは伊豆を縦断して下田の方から行く。
②東名高速で厚木ICまで行き、そこから小田原厚木道路に入って箱根新道に入り、箱根を越えて、三島に行き、そこから伊豆半島を①同様に南下する。
③第三京浜を南下、横浜新道に入り、終点まで行って国道1号線を経て、新湘南バイパス、西湘バイパスを通り、真鶴道路、熱海ビーチラインを経由して東伊豆を南下、下田を経由して南伊豆到着。
この他、②と③の小田原から先を逆に組み合わせるなどの方法も考えられる。
5月3日の渋滞予想では東名高速の下りで30㎞以上の渋滞という予想だった。そこで③で行くことにした。
また環八を荻窪から第三京浜の入口まで行くのはたいてい渋滞するので、環七を経由することにした。
大雨のなか出発し、青梅街道を都心方面へ向かう。環七に入り南下。まったく渋滞はない。玉川通りへ右折。環八と交差する瀬田が近づくと渋滞になった。結局環八を素直に南下したのとどっちが速かったのだろう。まあ多少は速かったのではないだろうか。
瀬田から先の環八はそれほど渋滞がなく、第三京浜に入る。渋滞なくスイスイと横浜新道へ入る。ところが出口近くで渋滞した。
さらに国道1号線に入ると、これが先の見えない渋滞。新湘南バイパスに入ると嘘のようにスイスイと行く。ところが国道134号に入るところで再び渋滞。相模川を渡る湘南大橋を渡ったところにあったデニーズ平塚海岸店で昼食休憩。10時20分頃の出発からここまですでに2時間半を経過していた。
13:30頃、店を出るが、国道134号は激しく渋滞した。西湘バイパスに入るとスイスイ流れたが、出口付近でまた渋滞。西湘バイパスの出口付近で2台の接触事故があって、部分的に1車線になっていた。いつも思うのだが、渋滞を引き起こす事故を起こした車たちは、大勢の時間を奪うのだから罰金を科してもいいのではないだろうか。
ただ、事故の先も渋滞になっていたので今回は事故が渋滞の唯一の原因ではなかったようだ。
その先の真鶴道路、熱海と渋滞が続いた。
16時頃、熱海市南端にある国道135号沿いのマクドナルド伊豆下多賀店に入る。平塚からここまで2時間半。最も予想外に時間がかかった場所だ。
国道135号は伊東市のあたりで2車線になり、そこはスイスイ流れたが、1車線に戻ると再び渋滞。ふとみた地図に伊豆急川奈駅のあたりから迂回路があるのを見つけ、そこへ入るとまったく渋滞がなく、どんどん行ける。ただ狭い道なのに煽ってくる車があってやや閉口した。しかし、国道135号に合流すると再び渋滞。
熱川を過ぎたあたりでようやく渋滞が終わるが、もう日が暮れた。下田を過ぎて弓ヶ浜のペンションに到着したときには19時10分頃だった。途中の休み込みで9時間近くもかかった!

帰りも東名の渋滞が予想されていた。しかし湘南ルートには懲りた。11時30分ごろ下賀茂を出発し、国道136号を通って西伊豆を北上。上り下りとカーブが激しいが渋滞はまったくない。伊浜港を見おろす夕日ケ丘というところで昼食。そこにネパール料理屋があって、雰囲気も味もよく、天気もよく、くつろいだ。13時すぎにそこを出て、土肥で伊豆の中の方へ向かい、スイスイ進んだが、国道414号に合流するとさっそく渋滞した。修善寺道路などはスイスイ行ったが、三島市に入ると渋滞。国道1号線に右折してもさらに渋滞したが、箱根に向かって登りになると流れがよくなった。この登りの道路はいつもなんだか車同士の意地の張り合いみたいな感じで、制限速度を大幅に上回って追い抜いていく車がある。拙車が先頭になって登っていた時、坂を登ったところにパトカーが出動態勢で待機していた。幸い制限速度内で走っていたのでスピード違反に問われずに済んだ。
箱根新道も順調に下ったが、出口近くになると渋滞した。小田原厚木道路に入ると順調に流れたが、東名に合流するとさっそく渋滞。しかし、それもしばらくすると順調に流れ出した。3車線の真ん中を走っていたが、なぜか後にピタリとくっつく車が現れた。最も近いときはフロントグリルが隠れるほどだったので、1メートルぐらいしか離れていなかったのではないか。高速道路を走るとき、もっとも困る手合いがこの手の車である。右か左かどちらかの車線に待避したいが、うまいスペースが見つからず、お馬鹿な車を背中に背負いながら何㎞か前進。左の車線に待避してようやく事なきを得た。帰りも環八を避けて池尻で高速を降り、山手通、井の頭通りを通って杉並区へ。18時半頃の到着だった。帰りは南伊豆から5時間半ほどのまあまあ順調な旅だった。

立松和平『遠雷』(1980年)

2012-05-01 21:27:13 | 
立松和平は盗作事件とか起こしたりして印象はよくなかったが、『遠雷』の映画が面白く、さっそく原作も読んでみた。そしたら映画はほとんど原作に忠実に作られていることがわかった。
舞台は宇都宮市の郊外、主人公の満夫は住宅団地のすぐ前でトマトのハウス栽培を始めて2年目の23歳の青年である。時代は特に記されていないが、おそらくこの作品が書かれた頃、すなわち1979年ぐらいである。都市と農村の接点にあたる中途半端な場所に住み、政治の季節でも経済の季節でもない中途半端な時代に、トマト栽培で収益が出るのかどうかも怪しい中途半端な主人公が登場する。小説や映画になりそうにないこの中途半端さがこの小説の特徴である。
そんな中途半端な稼業でなぜ生活が成り立っているのか、映画では十分に説明されていなかったようだが、小説ではその点が詳しく説明されている。要するに住宅団地と工業団地の建設によってこの辺りの農民達には土地の売却益がゴソッと入ったのである。その売却益で農民達は広大な家を新築し、満夫の父親はその金をバーの女につぎ込んでしまう。棚ぼた式の大金が入って満夫の一家は父親を筆頭として全員多かれ少なかれ自堕落である。それでも満夫は一生懸命にトマト栽培に取り組み、母親は土方に出るなど、農業だけで生活していた時代の勤勉な癖も残っている。満夫の近所の友人広次や婚約者のあや子の家もみな土地成金である。
団地ができたおかげで農民達は金持ちになったが、そのせいで堕落した。広次は堕落のあげく悲劇を引き起こしてしまう。「団地ができなければよかった」という嘆きの声を聞こえる。でも成金になったことでいろいろな贅沢も味わえた。もう後戻りはできない。それでも伝統的な生活が哀惜の念を持って描かれている。近所の小川で魚やザリガニを釣って、それが食卓に出る生活、映画では呆けた老婆でしかなかった満夫の祖母も小説の方では昔の農民の生活を語る重要な役柄である。
満夫のトマト栽培の様子や近所での魚釣りに関する密度の濃い描写は、実体験と丹念な取材のたまものであろう。こういう作品はそんなに何本も書けるものではない。