1月3日にNHK-BSで放映されたドキュメンタリー番組「遠い祖国-ブラジル日系人抗争の真実」は永久保存したいぐらいのいい番組だった。
ブラジルへの日本人の移民は20世紀初めぐらいから始まっているが、多くの移民はコーヒー農園の労働者として赴き、お金を貯めて日本に帰るつもりだった。
ところが、コーヒー農園の仕事はつらく、低賃金のため帰国する運賃さえもいっこうに貯まらない。日本人移民たちは出稼ぎのつもりなので、ポルトガル語を学ばず、子供たちにも日本人としての教育を施す。移民たちは、1930年代からの日本の対外拡張のことをもっぱら日本側の情報によって日本語の新聞を通じて知ったので、日本が赫々たる戦果を挙げているという情報を信じていた。
ところが、ブラジル政府は連合国側につき、日本、ドイツ、イタリアと断交。日本の大使や領事たちも引き上げてしまう。帰国できる日を待ち望んでいた日本人移民たちは祖国から見捨てられたという思いを募らせた。ブラジル政府は日本人やドイツ人の移民を敵視し、日本語新聞の発行を禁じた。
ポルトガル語など他の言葉ができれば、客観的な情勢について知ることができたのだろうが、日本語新聞という唯一の読めるメディアが閉ざされたなか、日本の敗戦の噂が伝わってくる。
それまで日本が勝っているとばかり思っていた日本人移民たちはこの情報を信じることができず、逆に日本が奇襲によって勝利を収めたというデマがまことしやかに流された。
勝利した日本が移民たちを迎えに来るというデマまで流れ、サントス港には迎えの船を待つ日本人たちが押し寄せた。
一方、ブラジルで事業をしていた日本人たちは敗戦の事実を認め、ブラジル社会のなかで生きていくことを主張し、勝利したと主張する「勝ち組」と対立する。敗戦を認められない「勝ち組」は、敗戦を認める運動を展開し始めた「負け組」を敵視し、ついにはその指導者たちを暗殺し始める。「負け組」からの報復もあったが主に「勝ち組」が「負け組」を殺し、首謀者たちはブラジルの司法当局によって殺人罪で投獄される。「勝ち組」の一人はいつか日本から迎えが来ると信じ、最後は頭がおかしくなって「UFOに乗って宇宙人が迎えに来る」と言いながら、結局帰国を果たせずに亡くなった。何ともかわいそうなことである。
1945年のブラジルにおける日本人に比べて、いまの日本では情報があふれているから、「勝ち組」のような奇妙な集団はどこか遠くの世界のことだと思われるかもしれない。
だが、私の見るところ、いまの日本では着実に「勝ち組」が増えつつある。長谷川慶太郎氏の近著のタイトルは『破綻する中国、繁栄する日本』。本屋さんに行けば、この手の「中国や韓国が破綻して崩壊し、日本の繁栄は永久不滅だ」みたいな本が目白押しである。余りに現実から乖離しているから、何かの謀略ではないだろうかと思うのだが、普通に考えれば、要するにこういう本が売れているということなのだろう。
長谷川慶太郎氏の予測は1986年の『さよならアジア』以来当たったことがないと思うのだが、中国のGDPが日本の2倍以上になっても、長谷川氏はいっこうに自分の間違いに気づく様子がない。日本が世界のGDPの2割近くを占めていた状況から7%ほどに縮小した今でも「日本が勝った」「日本は勝つ」と言い続けている。その不合理性を指摘しても彼は聞く耳を持たないだろう。なぜならば彼の言論は日本の「勝ち組」の心理を代弁するものなので、現実妥当性がない言論ではあっても、彼個人にとっては経済合理性がある行為なのだ。
そんな「勝ち組」の耳にも不都合な情報が入ってくる。ブラジルの「勝ち組」が奇襲による日本の勝利に賭けたように、現代日本の「勝ち組」も一発逆転を待ち望んでいる。アベノミクスは現代日本の「勝ち組」にとっての奇襲なのであろう。
ブラジルの「勝ち組」がたどった道を考えると、日本の「勝ち組」も次は、客観的に事実を見つめて指摘する者(「負け組」)を敵視し、抹殺しようとし始めるのかもしれない。「勝ち組」増加の先には何とも暗い世の中が待っている。
ブラジルへの日本人の移民は20世紀初めぐらいから始まっているが、多くの移民はコーヒー農園の労働者として赴き、お金を貯めて日本に帰るつもりだった。
ところが、コーヒー農園の仕事はつらく、低賃金のため帰国する運賃さえもいっこうに貯まらない。日本人移民たちは出稼ぎのつもりなので、ポルトガル語を学ばず、子供たちにも日本人としての教育を施す。移民たちは、1930年代からの日本の対外拡張のことをもっぱら日本側の情報によって日本語の新聞を通じて知ったので、日本が赫々たる戦果を挙げているという情報を信じていた。
ところが、ブラジル政府は連合国側につき、日本、ドイツ、イタリアと断交。日本の大使や領事たちも引き上げてしまう。帰国できる日を待ち望んでいた日本人移民たちは祖国から見捨てられたという思いを募らせた。ブラジル政府は日本人やドイツ人の移民を敵視し、日本語新聞の発行を禁じた。
ポルトガル語など他の言葉ができれば、客観的な情勢について知ることができたのだろうが、日本語新聞という唯一の読めるメディアが閉ざされたなか、日本の敗戦の噂が伝わってくる。
それまで日本が勝っているとばかり思っていた日本人移民たちはこの情報を信じることができず、逆に日本が奇襲によって勝利を収めたというデマがまことしやかに流された。
勝利した日本が移民たちを迎えに来るというデマまで流れ、サントス港には迎えの船を待つ日本人たちが押し寄せた。
一方、ブラジルで事業をしていた日本人たちは敗戦の事実を認め、ブラジル社会のなかで生きていくことを主張し、勝利したと主張する「勝ち組」と対立する。敗戦を認められない「勝ち組」は、敗戦を認める運動を展開し始めた「負け組」を敵視し、ついにはその指導者たちを暗殺し始める。「負け組」からの報復もあったが主に「勝ち組」が「負け組」を殺し、首謀者たちはブラジルの司法当局によって殺人罪で投獄される。「勝ち組」の一人はいつか日本から迎えが来ると信じ、最後は頭がおかしくなって「UFOに乗って宇宙人が迎えに来る」と言いながら、結局帰国を果たせずに亡くなった。何ともかわいそうなことである。
1945年のブラジルにおける日本人に比べて、いまの日本では情報があふれているから、「勝ち組」のような奇妙な集団はどこか遠くの世界のことだと思われるかもしれない。
だが、私の見るところ、いまの日本では着実に「勝ち組」が増えつつある。長谷川慶太郎氏の近著のタイトルは『破綻する中国、繁栄する日本』。本屋さんに行けば、この手の「中国や韓国が破綻して崩壊し、日本の繁栄は永久不滅だ」みたいな本が目白押しである。余りに現実から乖離しているから、何かの謀略ではないだろうかと思うのだが、普通に考えれば、要するにこういう本が売れているということなのだろう。
長谷川慶太郎氏の予測は1986年の『さよならアジア』以来当たったことがないと思うのだが、中国のGDPが日本の2倍以上になっても、長谷川氏はいっこうに自分の間違いに気づく様子がない。日本が世界のGDPの2割近くを占めていた状況から7%ほどに縮小した今でも「日本が勝った」「日本は勝つ」と言い続けている。その不合理性を指摘しても彼は聞く耳を持たないだろう。なぜならば彼の言論は日本の「勝ち組」の心理を代弁するものなので、現実妥当性がない言論ではあっても、彼個人にとっては経済合理性がある行為なのだ。
そんな「勝ち組」の耳にも不都合な情報が入ってくる。ブラジルの「勝ち組」が奇襲による日本の勝利に賭けたように、現代日本の「勝ち組」も一発逆転を待ち望んでいる。アベノミクスは現代日本の「勝ち組」にとっての奇襲なのであろう。
ブラジルの「勝ち組」がたどった道を考えると、日本の「勝ち組」も次は、客観的に事実を見つめて指摘する者(「負け組」)を敵視し、抹殺しようとし始めるのかもしれない。「勝ち組」増加の先には何とも暗い世の中が待っている。