私の愛読書である森敦『わが青春、わが放浪』の冒頭に、文学青年時代(1930年代初め)に檀一雄と仲良かった話が出てくる。その頃、森、檀、太宰治の3人は「絣三人組」と呼ばれ、文学をやるといって横光利一など当時の大作家からお金をもらっては酒を飲んでいた。太宰治の「走れメロス」は、太宰と檀が湯河原で飲んでいてお金がなくなってしまい、金策に走り回ったことを書いたものだという。そんな背景も知らず、日本じゅうの中学生が国語の時間に「走れメロス」を読んで、友情の大事さといった感想を書かされているのは面白い。
ともあれ、森敦の本でも詳しく紹介される『火宅の人』は昭和29年(1954年)あたりから約10年ぐらいの間の檀一雄の人生を書いた本である。NHK・BSだったか、娘の檀ふみさんが檀一雄がニューヨークで滞在したホテルを訪ねた番組も印象的だった。
『火宅の人』は昭和29年に息子と遊んだ奥秩父で落石にあって肋骨を折り、翌年には次男の次郎が日本脳炎にかかるところから始まるが、その翌年に女優の矢島恵子を青森への旅行に連れ出し、そのまま同棲生活に入ってからの話がメインである。矢島との同棲は10年ぐらい続いたようだが、最後に矢島は去り、その間に愛人関係にあった他の女たちも去り、神楽坂のホテルに独居するところで終わる。途中で、ある財団の招きでアメリカ、ヨーロッパへ約半年の大旅行をする。その時にニューヨークで日本料理店を営む女性のところに居候していた菅野もと子と仲良くなってしまい、菅野との交情はパリでも断続的に続く。この菅野もと子というのはどうやら小森和子のことらしい。日本に帰ると再び矢島との同棲生活を再開するが、次第に疎遠になると、今度は銀座のバーで働く「お葉」を突然九州旅行に連れ出す。この激しい女出入りの間、桂一雄こと檀は朝からビールを飲み、ウィスキーを大量に飲み、料理が趣味で、自分で食材を買い出しに行っては東西のさまざまな料理を作る。最後にゴキブリの走り回る神楽坂のホテルで一人酒を飲んでいる様は哀れである。
桂一雄は、最初の青森旅行から行き当たりばったりで、居所ももともとの石神井の家から、山の上ホテル、浅草、目白、三番町、九州各地、神楽坂と転々とし、行き当たりばったりにいろいろな女と寝て、欲望の赴くまま流浪する人間に描かれている。ほとんどが実体験のようだが、小説にするにあたって、人生のなかの欲望と流浪の面だけを抜き出したのだろうと思う。森敦の描く檀一雄は、太宰治を売り出すためにどこからか大金を引き出してきて雑誌を始めるなど文学だけでなく事業家の才覚もある。『火宅の人』のなかの桂一雄も、本妻と5人の子供および女中たち、母親、矢島恵子などをすべて扶養しており、それは人気作家としてけっこうな収入を得ていたから可能なことであった。アメリカ、ヨーロッパに旅行した間も、また九州を流浪していた間も、酒を飲み、女と遊び、料理をしつつ、原稿も絶えず書いていた。欲望と流浪の生活を支えるカネをしっかり稼いでいたことについて本の中ではときおりしか触れていない。並はずれた体力がこうした生活を可能にしていたが、暴飲がたたったのか檀は63才で亡くなってしまった。
ともあれ、森敦の本でも詳しく紹介される『火宅の人』は昭和29年(1954年)あたりから約10年ぐらいの間の檀一雄の人生を書いた本である。NHK・BSだったか、娘の檀ふみさんが檀一雄がニューヨークで滞在したホテルを訪ねた番組も印象的だった。
『火宅の人』は昭和29年に息子と遊んだ奥秩父で落石にあって肋骨を折り、翌年には次男の次郎が日本脳炎にかかるところから始まるが、その翌年に女優の矢島恵子を青森への旅行に連れ出し、そのまま同棲生活に入ってからの話がメインである。矢島との同棲は10年ぐらい続いたようだが、最後に矢島は去り、その間に愛人関係にあった他の女たちも去り、神楽坂のホテルに独居するところで終わる。途中で、ある財団の招きでアメリカ、ヨーロッパへ約半年の大旅行をする。その時にニューヨークで日本料理店を営む女性のところに居候していた菅野もと子と仲良くなってしまい、菅野との交情はパリでも断続的に続く。この菅野もと子というのはどうやら小森和子のことらしい。日本に帰ると再び矢島との同棲生活を再開するが、次第に疎遠になると、今度は銀座のバーで働く「お葉」を突然九州旅行に連れ出す。この激しい女出入りの間、桂一雄こと檀は朝からビールを飲み、ウィスキーを大量に飲み、料理が趣味で、自分で食材を買い出しに行っては東西のさまざまな料理を作る。最後にゴキブリの走り回る神楽坂のホテルで一人酒を飲んでいる様は哀れである。
桂一雄は、最初の青森旅行から行き当たりばったりで、居所ももともとの石神井の家から、山の上ホテル、浅草、目白、三番町、九州各地、神楽坂と転々とし、行き当たりばったりにいろいろな女と寝て、欲望の赴くまま流浪する人間に描かれている。ほとんどが実体験のようだが、小説にするにあたって、人生のなかの欲望と流浪の面だけを抜き出したのだろうと思う。森敦の描く檀一雄は、太宰治を売り出すためにどこからか大金を引き出してきて雑誌を始めるなど文学だけでなく事業家の才覚もある。『火宅の人』のなかの桂一雄も、本妻と5人の子供および女中たち、母親、矢島恵子などをすべて扶養しており、それは人気作家としてけっこうな収入を得ていたから可能なことであった。アメリカ、ヨーロッパに旅行した間も、また九州を流浪していた間も、酒を飲み、女と遊び、料理をしつつ、原稿も絶えず書いていた。欲望と流浪の生活を支えるカネをしっかり稼いでいたことについて本の中ではときおりしか触れていない。並はずれた体力がこうした生活を可能にしていたが、暴飲がたたったのか檀は63才で亡くなってしまった。