mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

檀一雄『火宅の人』

2014-01-25 23:34:33 | 
私の愛読書である森敦『わが青春、わが放浪』の冒頭に、文学青年時代(1930年代初め)に檀一雄と仲良かった話が出てくる。その頃、森、檀、太宰治の3人は「絣三人組」と呼ばれ、文学をやるといって横光利一など当時の大作家からお金をもらっては酒を飲んでいた。太宰治の「走れメロス」は、太宰と檀が湯河原で飲んでいてお金がなくなってしまい、金策に走り回ったことを書いたものだという。そんな背景も知らず、日本じゅうの中学生が国語の時間に「走れメロス」を読んで、友情の大事さといった感想を書かされているのは面白い。
 ともあれ、森敦の本でも詳しく紹介される『火宅の人』は昭和29年(1954年)あたりから約10年ぐらいの間の檀一雄の人生を書いた本である。NHK・BSだったか、娘の檀ふみさんが檀一雄がニューヨークで滞在したホテルを訪ねた番組も印象的だった。
 『火宅の人』は昭和29年に息子と遊んだ奥秩父で落石にあって肋骨を折り、翌年には次男の次郎が日本脳炎にかかるところから始まるが、その翌年に女優の矢島恵子を青森への旅行に連れ出し、そのまま同棲生活に入ってからの話がメインである。矢島との同棲は10年ぐらい続いたようだが、最後に矢島は去り、その間に愛人関係にあった他の女たちも去り、神楽坂のホテルに独居するところで終わる。途中で、ある財団の招きでアメリカ、ヨーロッパへ約半年の大旅行をする。その時にニューヨークで日本料理店を営む女性のところに居候していた菅野もと子と仲良くなってしまい、菅野との交情はパリでも断続的に続く。この菅野もと子というのはどうやら小森和子のことらしい。日本に帰ると再び矢島との同棲生活を再開するが、次第に疎遠になると、今度は銀座のバーで働く「お葉」を突然九州旅行に連れ出す。この激しい女出入りの間、桂一雄こと檀は朝からビールを飲み、ウィスキーを大量に飲み、料理が趣味で、自分で食材を買い出しに行っては東西のさまざまな料理を作る。最後にゴキブリの走り回る神楽坂のホテルで一人酒を飲んでいる様は哀れである。
 桂一雄は、最初の青森旅行から行き当たりばったりで、居所ももともとの石神井の家から、山の上ホテル、浅草、目白、三番町、九州各地、神楽坂と転々とし、行き当たりばったりにいろいろな女と寝て、欲望の赴くまま流浪する人間に描かれている。ほとんどが実体験のようだが、小説にするにあたって、人生のなかの欲望と流浪の面だけを抜き出したのだろうと思う。森敦の描く檀一雄は、太宰治を売り出すためにどこからか大金を引き出してきて雑誌を始めるなど文学だけでなく事業家の才覚もある。『火宅の人』のなかの桂一雄も、本妻と5人の子供および女中たち、母親、矢島恵子などをすべて扶養しており、それは人気作家としてけっこうな収入を得ていたから可能なことであった。アメリカ、ヨーロッパに旅行した間も、また九州を流浪していた間も、酒を飲み、女と遊び、料理をしつつ、原稿も絶えず書いていた。欲望と流浪の生活を支えるカネをしっかり稼いでいたことについて本の中ではときおりしか触れていない。並はずれた体力がこうした生活を可能にしていたが、暴飲がたたったのか檀は63才で亡くなってしまった。

国民が馬鹿になる親バカ報道

2014-01-20 15:10:36 | 日常
都知事選に立候補した田母神氏が、NHKの朝のニュースで本田圭佑選手がACミランで先発デビューして得点したことを冒頭で12分もやっていたとして、「これでは国民が馬鹿になる」と批判したことが話題になったとか。
私は田母神氏が都知事選で惨敗することを強く望むものだが、この件に関してだけ言えば、田母神氏の発言にシンパシーを感じる。表現は舌足らずだが、要するにNHKのニュースが著しくバランス感覚を欠いていることに強い違和感を持っている点では田母神氏と共感する。
テレビにおけるこうした報道姿勢はもう何年も続いている。野球の大リーグでイチロー選手が内野安打を打ったとか、松井選手が三振したとか、限られたテレビのニュースの時間で、多くの日本人がそれほど関心を持つはずのない外国のプロスポーツ試合のなかでも、とりわけ些細なことに異様に長い時間を割いている。もし大リーグの試合のことを取り上げるとしたら、どちらのチームがどういう展開で勝ち、その過程でピッチャーは誰が活躍し、バッターは誰が活躍したかを語るのがバランスのとれた報道であろう。誰かがヒットを打とうが、試合の勝ち負けを左右する重要なヒットでなければ普通は取り上げられはしないはずだ。
そもそもリーグ優勝がかかった大一番でもない限り、一般のニュースに野球やサッカーの試合はなかなか取り上げられないものであろう。ところが、NHKをはじめとする日本のテレビときたら、試合の勝敗はそっちのけ、そもそもその試合の位置づけもないままに、個別の日本人選手の動向だけを報道する。友人が小学校の運動会のビデオを撮って編集したというから見に行ったら、彼の子供の映像だけを集めた特別編集版を見せられるようなものだ。野球・サッカーに関心のない日本人、野球・サッカーに関心はあるけれど日本人選手に関心のない人々が、日本のテレビのニュースを見ている可能性などまるで考えていない。親が自分の子供に大きな愛情を注いでその一挙手一投足をビデオに撮るのは別に構わないが、自分の愛息に他人も関心を持つだろうと思ってビデオを見せたら、世間的には「親バカ」と呼ばれる。日本のテレビでは、日本人選手を溺愛した「親バカ報道」が大手を振ってまかり通っており、それに異を唱えようものなら、「愛しい日本人選手たちに対してなんて言いぐさなの、謝りなさい!」と非難されかねない感じだ。
田母神氏も攻撃されたそうだが、そのことは「日本国民の親バカ化」が相当進行している証拠と言えそうだ。

2020年東京オリンピックに「運動会」方式を導入しよう

2014-01-06 14:59:06 | 日常
オリンピックはナショナリズムの祭典だ。
滝川クリステルさんが「お・も・て・な・し」と微笑んでも、後ろではナショナリズムが牙をむいているのがオリンピックだ。
国際政治に大きく影響された1980年モスクワ、1984年ロサンゼルスもそう遠い昔ではない。日本と中国、韓国、北朝鮮の関係が下降線をたどっていったら、果たして2020年に彼らが東京に来てくれるかも少しは心配しなくてはいけないかもしれない。
オリンピックは結局国を単位とするメダルの獲得競争だ。オリンピック期間中に海外に行っていたことが何度かあるが、インドネシアに旅行していた時、テレビではインドネシア選手が活躍するバトミントンの中継ばかりだったし、アメリカではアメリカ選手の活躍する水泳ばかり放送されていた。中国でももちろん中国選手の活躍する種目(飛び込み、卓球、バトミントンなど)の中継が多いが、意外にも中国選手以外の試合の中継もけっこうあり、シドニー五輪での日本サッカーの予選突破、高橋尚子選手の金メダル獲得、ロンドン五輪でのなでしこジャパンの活躍などは中国で見た。
インドネシアとアメリカで見たときのオリンピックは実に退屈だった。やっぱり自国選手の出る競技以外では、ウサイン・ボルトの走る100メートル競走、男女のマラソン、サッカーぐらいしか興味がわかない。
そう考えると、世界の人々の大多数にとって実はオリンピックは退屈なイベントにすぎないのではないかと思えてくる。
ロンドン五輪には204カ国・地域が参加したが、金メダルを獲得した国は54カ国にすぎない。人口11億人のインドはわずかに銀2個と銅4個、人口2.3億人のインドネシアはわずかに銀と銅が1個ずつである。「世界が注目」なんてウソに違いない。実際のところ、オリンピックに国民が注目しているのはせいぜい中国、アメリカ、ロシア、日本、韓国、ドイツ、オーストラリアなど20カ国ぐらいで、残る180カ国・地域の人々はしらけているのが実態ではないのか!?
東京オリンピックを機に、世界の大多数の国・地域にとって退屈な祭典を面白くする試みをしてみたらどうだろう。
日本の学校の運動会は普通クラス対抗ではなく、生徒をクラス横断的に紅白にわけて大いに盛り上がっている。4人で競争して上位に入ればそれなりにポイントを積み重ねて自軍の勝利に貢献できる。この仕組みを東京オリンピックでも導入するのである。各国チームをいきなり紅白に分けてしまうと、紅白対抗が無視されてしまう恐れもあるので、国によって赤か白かどちらかのチームに分けた方がよいかもしれない。金銀銅でなくても、20位以内にはポイントをつけるとかして、なるべく多くの選手が貢献できるようにする。「国の名誉」のために戦うのではなく、参加した選手みんながゲームとして楽しめるようにする。テレビ観戦する人たちがそれで面白いかどうかはわからないけれど、国別対抗の枠を超えることができれば、世界の人々がオリンピックに新たな楽しみを見いだすことができるように思う。