mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

mue「タイムカプセル」

2010-09-22 17:51:31 | mue/musey
mueの2作目CD「タイムカプセル」が発売された。
museyで3作、mueで2作目になるけれど、今回のものが一番「作り込まれた」感じがする。特に3曲目の「今日もありがとう」はそういう感じを強く受ける。この曲はライブで何度か聴いたが、ライブでは速いテンポで演奏されていた気がするけれど、CD「タイムカプセル」ではスローで重厚なアレンジになっている。そう、カエターノ・ヴェローゾがプロデューサーにアート・リンゼイを迎えた時のようだ。「君は風」は美しいストリングスのアレンジが施されていて、ビートルズのShe's leaving homeを思い出す。「Walking Five」はタイトル通り4分の5拍子のインスト曲で、複雑なメロディーをmueさんの口笛で吹ききっている。「有名なミュージシャンと名の知れぬ歌うたいのうた」は宇宙みたいな雰囲気で始まる、プロデューサーのホッピー神山氏の面目躍如の作品である。
ちなみにジャケットのイラストは、mueさんが吉祥寺で雑貨屋さんにぶらりと入って、そこの様子が気に入ったので、その雑貨屋さんに依頼したとのこと。録音はオープンリールデッキを使っている吉祥寺のスタジオだという。吉祥寺が生んだ名盤と言えよう。

Mue新作CD発売記念ライブ(2010年9月12日)

2010-09-12 23:03:02 | mue/musey
吉祥寺の才媛、Mueが2年前のソロデビュー作「Closet」に続く第2作「タイムカプセル」をリリースし、その記念ライブが吉祥寺のMan-dala2で開かれました。
会場は多数の立ち見がでる盛況でした。新作の曲が中心でしたが、ブラジリアンあり、ロックあり、4分の5拍子の曲ありで、なかなかバラエティに富んだラインナップだったと思います。なんでもMueは新作のために25曲作って、その中からプロデューサーのホッピー神山氏が10曲を厳選したとか。ライブではCDに取り上げられなかった曲も演奏されました。
サポートのメンバーはたぶん前作のライブのときとは総入れ替えではないかと思います。CDをプロデュースしたホッピー神山氏がピアノやシンセサイザーを担当し、「Closet」やそれ以前の曲も新しいアレンジで聴かせてくれました。BeatlesのWe can work it outのボサノヴァ風カバーは不思議な感じでした。いま沖縄で活動を続けているはずの比屋城篤子さんの曲を、オリジナルのCDでアレンジを担当した菅原さんのギターで歌いました。

宮沢和史atブラジル・フェスティバル2010(2010年9月5日)

2010-09-12 22:41:14 | live
毎年9月に代々木公園で2日間開かれるブラジル・フェスティバルは2010年で第5回を迎えた。Valeなどブラジルの名だたる企業が後援し、シュラスコやカイピリーニャなどブラジル料理の屋台が軒を並べる。日本に住むブラジル人のお祭りである。
2日間の間、ステージではライブやトークショー(ポルトガル語)が続くが、2日目のトリは大物アーティストが登場する。今年の2日目、すなわち9月5日のトリはなんとThe Boomの宮沢和史だった。日本のアーティストがトリをつとめるのは初めて? 宮沢和史はブラジリアン・ロックのCDを編集するなどかなりのブラジル好きで知られる。紙を見ながらであったけれど、美しい発音のポルトガル語で曲を紹介した。ブラジルの曲ではTom JobimのSe Todos Fossem Iguais a Voceなどを歌ったが、やっぱり盛り上がったのは「島唄」、「風になりたい」などザ・ブームのヒット曲だった。


就活の早期化が学生、大学、企業をだめにする

2010-09-10 20:37:13 | 日常
月刊公明10月号に人事コンサルタント、辻太一朗氏のインタビュー「就職活動の早期化、長期化で学生、大学、企業をだめにする」が載っていた。辻氏いわく、いまや大学3年になったとたん就職活動が始まるので、企業は採用のために膨大なコストがかかるし、学生は就活に時間と精力をとられて勉強できなくなるし、大学は授業が空洞化する、と三者三様に負のスパイラルに陥っている、という。
現状分析はその通りだと思うが、辻氏の提示する解決策、すなわち企業が大学の成績を選考用件にすることと、大学が企業が参考になるような授業と評価をすること、というのは余り実効性と現実性があるように思えない。
たしかに大学の成績は、私が学生だった25年ほど前は教員によって大甘な人と大辛な人がいると噂されていた。いまは大学からだいたい何%ぐらいはS、A、B、C、Dに振り分けろ、という指導があるので、甘辛のばらつきは小さくなっている可能性がある。しかし、いい加減とみなされた25年前だって、頭の善し悪しと成績の善し悪しは正比例しているとみんな考えていた。もし企業が学生の知的能力を見たいのであれば、昔から大学の成績は有益な指標だったのだ。
一方、社会人として必要な能力は知的能力以外に、リーダーシップ、協調性、体力、ねばり強さ等、いろいろあるが、それは大学の成績ではどう工夫しても測ることはできない。だから大学の成績は一つの参考に留めたというのも一理ある。問題は企業の採用担当者が学生の知的能力に重きをおかない傾向をますます強めつつあるように思えることだ。大学3年から就職活動を開始させるというのは、20歳前後の、知的能力が発達しうる時期に勉強させないということであって、企業が知的能力を軽視している証拠である。なぜ知的能力を軽視するのかといえば、企業の採用担当者自体が知的能力を必要だと思っていないからに違いない。日本の大企業は平均年齢が40代中盤になっており、新入社員は下積み時代がすごく長い。下積み時代に必要なのは協調性と体力とねばり強さであって、知的能力を発揮するような責任ある判断をする立場に立つことはないのである。
知的能力を求めない日本の大企業が、知的能力を形成できない学生を雇って、社内の知的能力が全体として下がり、世界のなかで競争力を下げて没落するのも本人たちの責任なのだから致し方ない。
それを負のスパイラルと呼ぶのであれば、そうしたスパイラルから抜け出す手はただ一つ。就職協定を復活させることである。