mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

横浜中華街の「旅館オリエンタル」

2013-04-29 01:42:08 | 日常
横浜中華街を歩いていたら、とても古びたホテルを見つけた。
色調や形が1950年代の日本映画の世界からそのまま飛び出してきたようだ。
麻薬に溺れる犯人が住んでいて刑事が捜査に来るとか、いろいろと想像力をかき立てられる。
さびた窓枠や扉の取っ手など、いまの日本ではなかなか見られない。

大リーグのチームの日本語呼称

2013-04-24 23:46:18 | 日常
日経新聞のコラムでどなたかがアメリカのRoosevelt大統領を日本では「ルーズベルト」と表記するのはヘンだ、ローズベルトにすべきだ、と書いていらっしゃった。
それに類するヘンなカタカナ語訳が日本では数多く流通している。
「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳で、文豪Goetheに関するいろんな表記があったことが揶揄されているが、現代の日本人、とりわけマスコミ関係者は明治時代の日本人を笑えない。
「ギョエテ」はなんとかドイツ語のGoetheに近いカタカナを当てようとする涙ぐましい努力の結果であるの対して、現代の日本では英語を習った人なら明らかに誤っているとわかる発音がマスコミ(新聞とテレビ)では正しいものとして流通しているからである。
いつも気になるのが、大リーグのチーム名の表記である。
以下では左側が日本のマスコミ的に正しいとされている表記、右側がより英語に近い表記である。
アメリカン・リーグでは
ヤンキース:ヤンキーズ
タイガース:タイガーズ
インディアンス:インディアンズ
エンゼルス:エンゼルズ

ナショナル・リーグでは
ブレーブス:ブレーブズ
カージナルス:カージナルズ
カブス:カブズ
ドジャース:ドジャーズ
パドレス:パドレズ

もっとも語尾以外の部分でも、例えば「エンゼルズ」は「エインジェルズ」のほうがいいと思うが、「森永エンゼルパイ」もあることだから「エンゼルズ」でもいいかもしれない。しかし、語尾をなぜわざわざ清音にするのだろう?
また外務省系の団体では「カージナルズ」じゃだめだ、「カーディナルズ」でなければ、と訂正されるかもしれないが、私としては「ディ」や「ヴィ」は「ジ」や「ビ」でいいと思う。だって前者は日本語にもともとない音なのだから。
大リーグのチームの語尾はみんな濁らないという規則があるのかというと、例えば「マリナーズ」のように「ズ」とするのが正しいとされる場合もある。
どうして上記9チームに関しては[z]が「ス」になるのか、日本語の音韻論として興味深いテーマではある。
しかし、多くの人が「白」とわかっていることを、周りを見回して「黒」と書いてしまう危険な傾向の一つの現れではないかという気もする。

井上久男『メイドインジャパン 驕りの代償』(NHK出版、2013年)

2013-04-23 18:57:30 | 
パナソニック(旧松下電器産業)が巨額の赤字を記録してヨレヨレである。
シャープも赤字で台湾の鴻海に出資を仰いで救済を求めたが、この期に及んでも決断が鈍くて煮え切らず、見放されてしまった。
サムスン、LG、鴻海といった、かつて見下していた韓国・台湾の同業者には周回遅れどころか、もう何周も差をつけられたかもしれない。
なぜ日本の電機産業はこんな体たらくになってしまったのか。
本書の答えは明快である。要するに経営者が悪い。
パナソニックの場合、2000年から2006年にかけて社長を務めた中村邦夫氏が諸悪の根源で、後に続く社長たちはその後始末に成功していないという点でやはり有能とはいえない。シャープの場合は2007年から2012年にかけて社長を務めた片山幹雄氏の誤った経営判断のツケが大きい上に、片山氏は社長退任後にも経営にチャチャを入れている。
社長一人の責任だという議論は単純にすぎるだろうとは思うが、他の要因については他の論者や新聞が指摘しているのに対して、中村と片山が悪いとズバリ言えるのは、朝日新聞の記者時代に中村氏に1時間半にわたって社長室で怒鳴られ続けた著者ならではである。また、ジャーナリストらしく、いろいろな関係者の生の声を伝えているのも本書のいいところである。
他方で、中村氏、片山氏が悪いのだとして、彼らのどの経営判断が悪かったのか、という問題の立て方もできるであろう。
中村邦夫氏の事績として松下電器の伝統だった事業部制を解体し、14のドメイン会社に再編したことがある。昔の事業部制のほうが良かったという声も紹介されているが、どうだろうか? 事業部制は傍目にみても弊害が目立っていたように思う。
中村氏、片山氏に共通する決断として2000年代後半に日本国内に巨額の費用を投じて新工場を建設したことが挙げられる。パナソニックは6600億円を投じて2010年に尼崎にプラズマパネル、姫路に液晶パネルの工場を建てた。シャープは4300億円を投じて2009年に堺に液晶パネルと太陽電池の工場を建てた。いずれも基幹部品の垂直統合路線で差をつけようとし、奇しくも両者とも大阪周辺に工場を建てている。この過剰投資が大きく響いているのである。
「空洞化」批判への対応や雇用維持などさまざまな思惑もあったのだろうが、日本国内、それも大都市圏に工場を建てることが時代錯誤だったのではないだろうか。
「6重苦」を嘆いてもしょうがない。海外での工場立地もできたのにそうしなかったのだから。「日本に立地するリスク」を真剣に考えるべきではないか。


佐藤亜有子『ボディ・レンタル』

2013-04-23 12:39:23 | 
この本は出版された当時本屋さんで少し立ち読みした。
その時は最初の数ページを読んで、「東大」が鼻についたので買わなかった。
それっきりこの本のことも作者のことも忘れていたが、何ヶ月か前にふとこの小説のことを思い出し、あの作者は(その時は名前も満足に思い出せなかった)その後どうしたのだろう、とインターネットで調べてみた。すると作者のその後の痛ましい人生の様子が目に入ってきた。
それっきりまた忘れていたら、今月(4月)の初め頃、作者の佐藤亜有子さんの訃報が伝えられた。なんでも今年1月に睡眠薬とアルコールの併用による中毒により43歳で亡くなったのだという。私がふと佐藤さんのことをネットで調べたのは虫の知らせを感じたからなのか。なんとなく縁を感じた。
そこで佐藤さんのデビュー作『ボディ・レンタル』を読んでみた。
これが面白かった。暗い作品を想像していたがそうではなく、全編にユーモアがちりばめてある。
主人公のマヤは東大生だが、授業にはほとんど出ず、銀座のクラブで週3回ホステスとして働きながら、めぼしい客に「ボディ・レンタル」と書かれた名刺を渡して売春をしている。東大をこんなに描写する必要もないのに、と立ち読みしたときは思ったが、東大生であることがマヤのホステスあるいは売春婦としての価値を高めているのだから、実際には大学にはほとんど行ってなくてもふれておく必要があったのだろう。
マヤは自分は心と体がバラバラなのだとか、体を貸しているだけなのだとか、いろいろと自分のしていることの理屈付けを試みている。客のデータベースを作ったり、『ボディ・レンタル』という小説を構想したり、ボディレンタル業に対するプロ意識を持って、強がっているようにも見える。作者とマヤは性的な冒険を楽しみ、客であるバブリーな紳士たちの性癖を面白がり、マヤの正体など眼中にないかのような個性的な友人たちとのつきあいを楽しんでいる。某国大統領の愛人だと自称する女との京都旅行の顛末など、夢ともうつつともつかない幻覚のような効果を出している。
だが、マヤを愛してしまった弁護士の「リブラ氏」が書いた、やっぱりマヤも「状況の犠牲者」なのではないか、という最初の方に出てくる手紙が、その後の作者自身を考えると心に突き刺さってくる。このリブラ氏、実はマヤ(あるいは作者)の超自我を人格化したもののようにも思える。

フィンランド発のジャズサンバ Dalindeo "Open Scenes"(2006)

2013-04-21 21:06:58 | Jazz
ある編集版でPoseidonという曲が耳にとまった。
面白いベースラインに刑事コロンボのバックで流れているようなメロディー。フルートのソロもかっこよかった。
さてCDを買ってみると、これがフィンランドのジャズ・コンボであった。ギターのValtteri Poyhonenという人が全曲を作曲し、フィンランドの名門音楽院であるシベリウス・アカデミーの卒業生や在学生がメンバーなのだという。日本語の解説のなかで「ジャズ・サンバ調のサウンド」という表現が使われているが、なるほど何曲かはブラジル的リズムで、デオダート、ジョイス、ドリ・カイーミを思い出させるようなアレンジやコード進行が聞こえる。ジャズ・サンバそのものというより、ジャズとの距離の取り方がジャズ・サンバと同じとも言えるかもしれない。どの曲もテーマを重視し、ソロはそれほど長くない。テーマはそこそこに、メンバーが順に延々とソロを展開する普通のジャズとは違っており、そこがやはりテーマ重視で一曲が長くないジャズ・サンバと似ている。
また3曲ではフィンランドに留学中のmichikoさんという日本人のボーカリストが歌っている。
やっぱり最初に聞いたPoseidon(最初のシングルでもある)が一番好きだが、Go Ahead, Floatも楽しくていい。やっぱり刑事コロンボのバックに流れていそうな曲だ。

Novoの横倉裕さん

2013-04-15 01:50:19 | Yutaka/横倉裕
1973年の日本に存在した幻のブラジリアン・テイストのバンドNovoのことを2009年2月に書きました。
そのNovoが結局当時はアルバムも残さずに解散してしまったのはリーダーだった横倉裕さんがアメリカに渡ってしまったからのようです。
その横倉さんがアメリカでYutakaという名義で音楽活動していることは2003年に発売されたNovoのアルバムの解説にも書いてありました。
さてどんな音楽をやっているのか、知らないままに過ごしておりましたが、最近はYou Tubeという便利なものがあるので、これで探してみたらけっこういっぱい出てきます。英語のコメントが数多く付されていて、長く愛されている様子がわかります。
しかし驚いたのは彼が琴演奏を一番の売り物にしていることでした。Novoの時はキーボードとボーカルだけで琴奏者の片鱗も見せていませんが、日本人がアメリカでブラジル音楽やっても受け入れられないから琴だったのか、なんとなく苦労がしのばれるような気もしました。しかし、できあがった音楽は琴の音色と、ブラジリアンなリズム&ハーモニーと、アメリカ西海岸の軽い空気感がミックスして実に快適です。さっそくCDを買ってみることにしました。