mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』中公新書、2007年

2007-08-28 10:24:55 | 
本書は、タイトルが与える印象と中身とがややずれていて、中身を反映するとすればむしろ「アジア女性基金の顛末」といった方が正確であろう。日本軍の従軍慰安婦にされた人たちに対する補償と謝罪をするために著者自身も深く関わって設立されたアジア女性基金がどのような活動をしてきたのか、とくにその活動が、元「慰安婦」に対する補償と謝罪が必要であるという点で一致できるはずのNGOやメディアらにいかに誤解されてきたかを書いている。
「慰安婦」問題については、その存在自体を否定する右翼の言論が果てしなく続いているが、著者は学術的検討に値しないとして、はなから相手にしない。むしろ、「慰安婦」問題に積極的に取り組んできたNGO,フェミニズムの論客たちが、アジア女性基金は政府の責任を曖昧にするごまかしだ、と批判してきたことに対して、政府による補償が実現する見込みが小さい中でそうした批判を繰り返すことはかえって被害者たちを苦しめるばかりである、ということを本書の中で繰り返し繰り返し述べている。
率直に言って、私もそうした批判に影響されていたかもしれない。慰安婦問題については、大昔に「沖縄のハルモニ」というドキュメンタリー映画を見て以来、常に意識してきたのだが、補償や謝罪については、前の職場の近くに基金の事務局ができたな、というあたりまでは若干は意識していたものの、結局、基金に募金した記憶もないし、いつの間にか意識から薄らいでいたら、基金は2007年に解散したという。何とも忸怩たるものがある。
それに対して著者は、指紋押捺問題から慰安婦問題まで先頭に立って取り組んできている。本書を読んで何か勉強になったというよりも、著者のそうした生き方に圧倒された。
最近藪から棒にアメリカ下院で慰安婦問題について日本を非難する決議が採択された。著者は「不正確な認識に基づく」とこれまた一蹴するのだが、どの辺が不正確なのか、慰安婦問題の真実についての著者の認識も知りたいと思った。

興梠一郎『中国激流 13億のゆくえ』岩波新書、2005年

2007-08-25 19:26:30 | 
本書は現代中国の暗黒面の総ざらいという感じの本である。
まず、地上げによって市民や農民が立ち退かされる話が出てくる。もっとも、「地上げ」といってももともとその土地を所有していた人から土地を買うのではなく、もともと国有地だったり村有地だったりしたものから立ち退かされるという話なので、その点日本の地上げと同列には論じられない。立ち退きはいずれにせよ不可避であり、問題は適切な補償があるかないかということだ。
立ち退かされる人たちはだいたいが都市の中心部に住んでいたりする人たちだが、彼らのなかにも実は自宅の軒先を外地の商人に貸し出して家賃収入を得るなどの特権を享受していた人もいる。本書は単に「家を奪われる可哀想な人たち」と捉えているが、やや一面的なとらえ方である。
ついで汚職や腐敗の話が続く。省長や省党書記クラスの重大な汚職事件について詳しく紹介している。そうしたなか私有企業はおっかなびっくり経営され、国有企業は経営者によってしゃぶり尽くされる。政府が深く関与した市場経済のなか、権力者が肥え太り、二極化が進む。しかし、民主化への胎動が見られるところに著者は未来への展望を見出す。
この議論の流れはどこかで見たことがある、と思ったら、まさにこれは1989年の天安門事件前に語られていた構図そのものではないか。腐敗はひどい、民主化すべきだ、というのはまったく同感だが、ことはそう単純ではないことを、この20年間の歴史は示しているのではないだろうか。
ともあれ、本書はかなり念入りな新聞記事のスクラップブックである。ほぼ全編中国の報道によって話題が組み立てられている。著者自身が現場で取材した形跡がまったく見られない。
そのため、引用している中国の新聞雑誌のレベルの低さに引きずられている面が多い。たとえば「自動車産業がフランスとドイツに独占されている」などという認識はおよそ見当外れである。世界でいちばん激しい競争が展開されているのが中国の乗用車市場ではないだろうか。国内市場が開放されれば長安、奇瑞、吉利、華晨が外国勢の挑戦にさらされる、なんていうのも見当外れである。むしろ逆に外資系の牙城にこれら後発の国産メーカーが挑戦しているのだ。
経済の話題が多いが、著者は経済について余りわかっていない。「財政赤字は増加した。そのつけは末端の農村部に回されており、県や郷鎮の財政は危機的状況にある」なんて一文は変である。「中央政府の財政赤字のつけを末端に回す」ということは末端では逆に黒字財政にするということを意味するはずだが、そういうことを言っているようではない。県や郷鎮の財政事情が厳しいことは事実だが、それを緩和するためには(他の与件が変わらないとすれば)政府全体としてもっと赤字財政を組まなければならない。

高城剛『「ひきこもり国家」日本』宝島社新書、2007年

2007-08-24 22:46:47 | 
タイトルをみて「そうだなー」と思って買った。
実際読んでみると、日本がひきこもっているという論拠は、たとえばiPhoneが販売されないとか、MotorolaのRazrが世界よりだいぶ遅れて日本で発売されたとか、私が研究している携帯電話産業の問題が多く取り上げられており、それ以外の論拠が少ないので拍子抜けした。あとは日本のテレビのくだらなさに毒づいたり。
ただ、日本の産業のなかでも携帯電話ほど、ひきこもりで唯我独尊な分野も少ないだろう。テレビが内向きになるのはほとんど致し方ないように思うが、それでも「おしん」や「白い巨塔」のようにたまに海外でヒットすることもあるので、まあ悲観しすぎることもないのではないか。
それにしても著者の高城さんという方は、だいぶ前からお名前はよく拝見するが、何を職業としている人かがずっとわからない。本書の紹介を見ても、また本書を通読してもわからない。なんだかわからないが世界中をよく旅行していて、上海でDJもやっているらしい。

清水美和『中国農民の反乱 隠された反日の温床』講談社+α文庫、2005年

2007-08-24 22:32:00 | 
中国の農村で起きている不穏な動きについて詳しく書いている。
独自の深い取材と、中国のさまざまな公刊物を広範に読み込んで、今まで知られていなかった事実を数多く明らかにしている。毎月のように死者が出る危ない炭鉱を経営し、法外な所得を得る山西省の「土皇帝」、同じ山西省で、村全体を城壁で囲み、平然と2号さんを囲うなど好き放題をしている党書記。さもありなんとは思いつつも、そうした現場の記録は新鮮だ。北京に出稼ぎに来た地方出身者が、自分たちの子供に小学校教育を与えるために作った「民工学校」にもきちんと足を運んで取材している。
中国で外国人記者の取材にはさまざまな制約があるが、清水記者は中国の刊行物や日本の研究者の論文も読み込んで、取材しにくいことも掘り下げて探っている。
さて、よく言われる「農民の暴動が頻発しており、いつか中国はそれで倒れる」という説に関して、筆者はどう考えているのだろうか。本書はそういう大雑把な話は避けているが、何となく全体として中国は危ないんじゃないかと示唆するような構成になっている。

いまこそ中国産鰻蒲焼きの買い時だ!

2007-08-20 21:29:04 | anti facism
中国産食品に対するバッシングが連日テレビや週刊誌をにぎわしている。
なぜ急に中国産食品が攻撃されるようになったのかまるで不明である。中国産食品に対して世界中で不信感が強まったきっかけは、中米で中国産原料を使った風邪薬によって多数の死者が出たことと、アメリカで中国産原料を使ったペットフードを食べてペットが死んだりしたことだった。どちらも人間が食べる食品の問題ではないにも関わらず、これにより中国産食品は怖いというイメージが広まった。
 ただ、風邪薬の問題について言えば、もともと薬の原料として作られたものではない化学原料を中米の業者が勝手に風邪薬に使ったものだし、ペットフードも製造したのはカナダの業者で、その業者が中国に責任転嫁した可能性がある。
 確かに中国国内では食品の安全をめぐる数々の事件が起きている。だが、日本に輸出されてくる野菜や加工食品は、日本の消費者の嗜好や日本の安全基準を満たすように輸入商社や現地の農民が作っているため、中国国内で起きている問題と無関係だし、まして中米の風邪薬と結びつけるのはこじつけでしかない。
 今夏の騒動は、中国から輸入された食品自体に問題が起きたわけではないので、食品輸入に携わる業者や現地の農民たちにしてみれば、何ともやるせない思いであろう。
私がいつも利用している生協でも、つい一ヶ月ほど前は棚いっぱいに並んでいた中国産鰻の蒲焼きが一昨日はわずかに1パックだけで、しかも下には「中国産鰻の安全性について」という張り紙までしてあるほどの気の使いようであった。
 中国産鰻に対するバッシングがいかに理不尽であるかは下記のブログが力説している。
http://unagi-kiken.seesaa.net/ いま起きている中国産食品バッシングは、あたかも新潟柏崎原発で火災が起きたから日本の水産品はすべて危ないというのと同じレベルの「風評被害」としか言いようがない。結局、日本の消費者は幻影に脅えているにすぎない。だが、消費者自身が幻影を作り出している側面もあり、消費者が身銭を切って、安価な中国製品から高価な日本製品に乗り換えることでいわば幻の「安心」を買っているのだと考えれば、それが客観的にはどれほど不合理で、供給者にとって理不尽な試練を強いようとも、それが日本の市場経済だとあきらめざるをえないのである。
 いずれにせよ、バッシングが猛威をふるっている今こそ、中国の養殖業者や日本の輸入商社は規制に引っかからないように頑張っているはずなので、今こそ中国産鰻の買い時である。

加藤徹『貝と羊の中国人』新潮新書、2006年

2007-08-17 13:47:21 | 
同じ著者による『西太后』(中公新書)が面白かったので、もっと売れている本書を読んでみた。『西太后』に比べると字が少なく、大胆でかなり危うい論が続くので、「まあそういう見方もあるかも知れないが、関連の文献をあたって確かめなければ」と思うことばかりである。
貝(実利)の文化の殷と、羊(義)の文化の周とが出会って中国が生まれたというう大胆な説を導入に、中国の人口変動や、中国人の流浪に対する考え等々、数々の面白いエピソードを連ねてある。たぶん著者は酒席でこういう話を続けて2-3時間周りを飽きさせない人なのだろう。ただ、そういう人の話は話半分に聞いておいたほうが良さそうだ。アメリカ西部開拓に動員された人のなかで中国人が一番健康を維持できた、という話など本当なのだろうか?

徳大寺有恒『決定版 徳大寺有恒のクルマ運転術』草思社 2005年

2007-08-16 16:52:59 | 中年若葉日記
これはいい本を読んだ。教習で「正しい」運転はわかったとして、道路で安心して運転できる方法は少し違う。教習の通りに、幹線道で左側車線を走ろうとすると、路上駐車をよけるために、頻繁に車線変更を強いられる。本書では「自分は真ん中を走るようにしている」という本音ベースの話が書かれ、やっぱりそうだったのね、と得心がいった。また、怖い理由がスピード遅すぎにあったことにも思い至った。後続車との車間距離の重要性がわかった。これを読んだ後、初めてクラクションを鳴らされない運転ができた。
AT車でのギアの使い方など、教習本に書かれていない実践的な技術や心得が多数あった。

小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』講談社現代新書 2007年

2007-08-16 16:43:01 | 
小林先生がすごい勢いで本を書いている。
この本は、日本の短期間で戦勝を目指す殲滅戦略をとったのに対して、中国は長期的な消耗戦略をとり、ハードパワーが強い日本が、ソフトパワーを活用した中国に敗れた、という観点で、日中戦争をズバッと切った。
特に汪兆銘政権がどのように誕生し、どのような役割を果たしたかについて詳しく展開され、よく理解できた。反面、分量の制約だろうか、太平洋戦争が始まってから日本の敗戦に至るまでの日中間の戦いについては簡単に済ませてある。
これまでの研究蓄積を生かして、アイディアを元に一気呵成に書き上げた勢いがあるが、同時に吉林省の档案館から『検閲月報』を掘り出してきて、人々の手紙から戦争の実態を描く、という歴史学者をうならせる一章もある。読後に、南京大虐殺も、従軍慰安婦もやはり日本軍は「クロ」だと確信させられる。
小林先生が自動車産業にもたいへん造詣が深いことは、本書の表紙を眺めているだけではわからないが、なかを読むと、日本の対中戦争戦略に、現代日本の産業と国家戦略とを重ね合わせ、日本は実は変わっていない、という洞察が示される。
ただ、ハードパワーの日本、ソフトパワーの中国という構図を打ち出すのに性急な余り、通貨どうしの競争で日本側が勝ったのをハードパワーの勝利の方に入れてしまうのはちょっと強引だと思った。通貨競争はいかにもソフトパワーのように思えるのだが。(もっともジョセフ・ナイがどちらに分類しているのかは知らないが)

中年からの自動車運転(13)~中杉通りと青梅街道

2007-08-12 18:21:59 | 中年若葉日記
初心運転者経験約1週間になるが、どうもなかなか運転に自信が持てない。
見通しの悪い幹線道(一応制限時速30㎞だが、実際には40㎞超でとばす車もある)に入るところでまず緊張する。60㎞までOKの青梅街道はなおさら緊張である。左折して中杉通りに入る。路上駐車が多いので、中央より1車線を40㎞で走ればいいのだけど、路上駐車の車の道路側に人が立っていたりして、神経を使う。
早稲田通りに入る。バスが赤信号からしばらく手前に停止していて、前方の車はグッとその前に出た。私もつられてバスの前に出ようとしたら、バスが出発してしまった。私は赤信号の少し手前で反対車線に取り残されることになった!
青になってバスの後ろに入って事なきを得たが、周りから失笑を買ったに違いない。

早稲田通りから右折して環七に入る。ここは脇道から本線に合流するので、高速道路への合流の練習のようなつもりで、脇道でグンと加速して本線に合流したが、後続車がなかったので、いまいち自信がつきはしなかった。
環七で一、二度車線変更して、青梅街道に入る。まあまあスムーズに入った。青梅街道はみんな60㎞前後でとばしている。青信号の連続で快調に南阿佐ヶ谷にさしかかったところで、前方の横断歩道へなんと人が一歩踏み出してきた。急ブレーキではないにしても思わずブレーキを踏む。歩行者の横にいた人がグッと引っ張って歩行者は戻った。ブレーキが後続車には不評だったようでクラクションを鳴らされる。その後後続車はかなりのスピードで拙車を外側から追い抜いていった。スローな拙車は第1通行帯を行くのが無難だということか。

ディス・イズ・ボサノヴァCoisa Mais Linda

2007-08-12 16:21:49 | Bossa Nova
パウロ・チアゴ監督による、ボサノヴァの誕生秘話映画。
カルロス・リラとロベルト・メネスカルを中心に、二人が1950年代に他のボサノヴァの立て役者たちとどのように出会い、どうやって名曲の数々を作ったかを、実演を交えながら語っていく。
この映画のすばらしいところは、コパカバーナとイパネマの海岸とそれに面する高級アパート群というボサノヴァ誕生の舞台の様子、その空気感を濃密に伝えていることだ。1950年代と変わっていないアパートを外から指さし、さらに部屋の中に入り、どのように例えばメネスカルが作詞家のロナルド・ボスコリと出会ったかが語られる。ボサノヴァのミューズ(女神)ことナラ・レオンのアパートはコパカバーナを正面に見る位置にある。メネスカル曰く「この場所で海を見ながら奏でる音楽が他にあるでしょうか!」アパートのなかはシンプルで機能的な作りで、リオの海と緑と建築とがボサノヴァの背景だったということを改めて感じる。
メネスカルの代表曲の一つ「o Barquinho小舟」は、船で沖に出てエンストしたときのエンジン音を元にできたとか、Ai Se Que O Podesseはナラ・レオンに捧げられた曲だったとか、面白いエピソードがいっぱい出てくる。ナラ・レオンは1989年に若くして病死しただけに、メネスカルが往事を懐かしむように歌うと涙がこみ上げてくる。
ボサノヴァの立て役者たちは、当時のブラジルでもスターというわけではなかったせいか、昔の映像はほとんど残っていないようで、昔の様子はほとんど写真と語りで伝えられる。数少ない貴重な映像はシルヴィア・テリスの歌う「Discussao」で、白黒ながら語りかけるように歌う姿はすばらしい。リラとメネスカルの他には、ジョニー・アルフ、ワンダ・サー、ジョアン・ドナーとが割によく登場して何曲か披露してくれる。
ところで本映画の原題は、
Coisa Mais Linda--A Historia e o Casos de Bossa Nova(もっと美しいもの--ボサノヴァの歴史と出来事)であるが、なぜ邦題になるとカタカナ英語になるのか、不思議である。原題通りの直訳でもまったく構わないように思うのだが。