なぜか今アメリカ経済で起こっていることを余り「バブル崩壊」とは呼ばないけれど、資産価格が上昇するなかで過度のレバレッジ(借金)を効かせていた経済が資産価格が下落に転じるとともに破綻したのはまさに日本のバブルの形成と崩壊をなぞったかのごとくである。その影響は世界に及び、今日の日本の株価は26年ぶりの低水準だとか。
アメリカ経済は相当ヤバい状態にあって、アメリカが重病になれば世界中が少なくとも発熱ぐらいはする、ということは誰しも多かれ少なかれわかっていたはずなのに、アメリカのバブル崩壊を予想した人は少なかった。むしろ、ここ2年ほど日本の論壇誌をにぎわしていたのは「中国のバブル崩壊して世界不況」という荒唐無稽なシナリオだった。それがいかに誤った議論であったかは、中国がなお9%で成長して世界経済のなかで数少ない光明になっているものの、他国を救うほどの影響力を持っていないことからも明らかであろう。
アメリカのバブル崩壊は「投資銀行」というビジネスモデルの終焉を示しているという。金融業がリーディングインダストリーだという経済はどこかおかしい。結局、貯蓄超過主体から貯蓄不足主体へ資金を取り次ぐにすぎない金融業は、経済における貯蓄の成長(それはGDPの成長と大差ないだろう)と足並みをそろえて成長するぐらいがちょうど良くて、GDP成長率を上回って成長しているようであれば、そこには何らかの詐術が隠されているのである。債権をブレンドすることで不良債権を隠して他人に押しつけてしまう「サブプライム・ローン」というのも要する一種の詐術だったのではないか・・・。
以上は12年前に書かれた飯田経夫氏の『日本の反省』の調子で、今日の世界経済を論じてみた。この本は、専門的な議論ゼロで、飲み屋でよくしゃべる初老の先輩のご高説を我慢して拝聴しているような感じだが、この御仁の御説は「そうですね、そうですね」と相づちを打ちたくなる。
豊かさを達成した日本では、消費拡大の決め手がなく、低成長は不可避だ。それで自足すればいいのに、アメリカに迫られて「内需拡大」を約束してしまったから、バブルを招いて、バブル崩壊と国力の衰退を招いた、と主張する。本書はアメリカ経済の危うさや、日本の悲観癖なども指摘し、何やら今日の状況を予言しているかのようである。日本の輸出依存度は高いわけではなく、日本経済がそれほど悪化しているわけではないので、アメリカにお付き合いして極端な株安になっているのは要は日本の悲観癖のせいだと思えてならない。
アメリカ経済は相当ヤバい状態にあって、アメリカが重病になれば世界中が少なくとも発熱ぐらいはする、ということは誰しも多かれ少なかれわかっていたはずなのに、アメリカのバブル崩壊を予想した人は少なかった。むしろ、ここ2年ほど日本の論壇誌をにぎわしていたのは「中国のバブル崩壊して世界不況」という荒唐無稽なシナリオだった。それがいかに誤った議論であったかは、中国がなお9%で成長して世界経済のなかで数少ない光明になっているものの、他国を救うほどの影響力を持っていないことからも明らかであろう。
アメリカのバブル崩壊は「投資銀行」というビジネスモデルの終焉を示しているという。金融業がリーディングインダストリーだという経済はどこかおかしい。結局、貯蓄超過主体から貯蓄不足主体へ資金を取り次ぐにすぎない金融業は、経済における貯蓄の成長(それはGDPの成長と大差ないだろう)と足並みをそろえて成長するぐらいがちょうど良くて、GDP成長率を上回って成長しているようであれば、そこには何らかの詐術が隠されているのである。債権をブレンドすることで不良債権を隠して他人に押しつけてしまう「サブプライム・ローン」というのも要する一種の詐術だったのではないか・・・。
以上は12年前に書かれた飯田経夫氏の『日本の反省』の調子で、今日の世界経済を論じてみた。この本は、専門的な議論ゼロで、飲み屋でよくしゃべる初老の先輩のご高説を我慢して拝聴しているような感じだが、この御仁の御説は「そうですね、そうですね」と相づちを打ちたくなる。
豊かさを達成した日本では、消費拡大の決め手がなく、低成長は不可避だ。それで自足すればいいのに、アメリカに迫られて「内需拡大」を約束してしまったから、バブルを招いて、バブル崩壊と国力の衰退を招いた、と主張する。本書はアメリカ経済の危うさや、日本の悲観癖なども指摘し、何やら今日の状況を予言しているかのようである。日本の輸出依存度は高いわけではなく、日本経済がそれほど悪化しているわけではないので、アメリカにお付き合いして極端な株安になっているのは要は日本の悲観癖のせいだと思えてならない。