mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

某団体の役員をめぐる女たちの争い

2014-09-11 22:55:12 | anti facism
某団体の理事にTさんという女性が就任しました。
そうしたら1週間後に、Tさんがある変わった考え方を持った人と一緒に撮った写真が新聞に暴露されてしまいました。その人はTさんにシンパシーを持っているから一緒に写真をとったのですが、この団体と友好関係にある諸団体ではそういう考え方は毛嫌いされています。そういう考え方の持ち主と仲良くしている人を理事にしていると、友好団体との関係がうまくいきません。Tさんは「そんな変な人だとは知らず、頼まれて一緒に写真を撮っただけです」と弁解しました。たぶんその通りなのでしょう。

それにしてもその写真はインターネット上にしばらく前から載っていたらしいです。誰がその写真の存在を新聞にチクったのでしょうか。
私には思い当たることがあります。実はTさんが理事になる数週間前、理事候補だとささやかれていたHさんの恥ずかしい写真が雑誌に載り、そのためにHさんは理事の座をふいにしたのです。それはHさんが部下の若い男性にキスを強要している写真でした。Tさんの写真は不注意だったで済ませられるかもしれませんが、Hさんのキス写真はちょっと弁解のしようがありません。

しかし、この写真もしばらく前に撮られたものなので、このタイミングで雑誌にチクられたというのはやはり誰かがHさんの理事就任を阻止するために工作したと思われます。その団体の理事には女性枠というのがあって、TさんとHさんが同時に理事になることは難しいです。となると誰がチクったかは推測がつくのではないでしょうか。
わかりやすく言えばTさんとHさん、あるいは両者の取り巻きたちが新聞雑誌を使って足の引っ張り合いをしているのではないでしょうか。

朝日新聞社社長が引責辞任するらしい

2014-09-11 22:13:20 | 日常
今日、朝日新聞社の社長が記者会見して、福島第一原発の事故に関する吉田調書に関する報道で誤りがあったと言って詫び、改革の道筋をつけたら自らの進退について決断する、と述べた。たしかに重大な誤報かもしれないが、誤報は朝日の専売特許ではなく、某日K新聞もよく一面で誤報すると評判である。誤報を謝るのはいいが、そのたびに社長が辞めていたら、どの新聞社も大変であろう。
いま世間で朝日新聞の大誤報といって週刊誌が叩いているのはこの吉田調書の問題ではなく、朝鮮半島での従軍慰安婦の強制連行をめぐる誤報である。今日は安倍首相も日本の名誉を傷つけたと批判した。朝日新聞の社長の辞任は、実際には「慰安婦誤報」に対する右翼ジャーナリズムと政権の圧力が原因なのではないだろうか。
しかし、もしここで「慰安婦誤報」に対する責任をとって辞めます、と言ってしまったら、日本の右傾圧力の存在を証明することになり、韓国は言うまでもなく、アメリカも黙っていないだろう。そこでちょうどうまい具合に湧いて出てきた吉田調書誤報問題にかこつけて社長が辞めるということで、政権周辺と朝日新聞の側で手打ちがあったのではないだろうか。しかし、この言い訳で日本の国民はダマせても、果たして外国も納得するだろうか。週刊誌、池上彰、安倍政権が「慰安婦誤報」で朝日新聞を袋叩きにしているなかでの辞任示唆である。朝日関係者への右翼の脅迫行為も起きているらしい。日本はいま国の自尊心を傷つける言動をすると大新聞の社長でさえ辞めさせられる相当ヤバい状態にある。

中村真一郎『夜半楽』

2014-09-10 23:40:06 | 
中村真一郎は1950年代の終わりごろ、妻の新田瑛子を自殺によって亡くし、そのショックから重い精神疾患を患う。
病気の治療のため電気ショックを受け、その過激な治療によって一年間の記憶を丸ごと失い、文体も崩れてしまった、と『愛と美と文学-わが回想』(岩波新書)に書いている。それは彼が40歳の時だというから、1958年ということになろう。
つまり、中村の精神史は1958年あたりを境に、電気ショック前と電気ショック後に分けることができる。
私が高校生ぐらいの時に読んだ『夜半楽』は1954年の作品だとのことなので電気ショック前、『四季』の4巻本は電気ショック後ということになる。
超久しぶりに『夜半楽』を読んで思ったことは、意外に電気ショック後と変わらないということだ。
具体的には、時間の経過を追って物語を語るのではなく、現在と15年前を行きつ戻りつするところとか、心理の微妙な動きも書き留めないと済まないような細かな描写、時々カッコ書きで「予告」が現れてくるところなど。
『夜半楽』のあらすじはこうだ。旧制高校で哲学を講じる江上のもとに、彼を尊敬する学生の久保井が訪ねてくるようになる。同じように、女子大で江上の講義を聞いている絵馬子も訪ねてくる。久保井は絵馬子が好きになるが、うまく告白できない。そうこうするうちに、絵馬子は江上に迫られたと久保井に告げ、二人は深い関係になっていったようだ。逆上した久保井は江上の妻裕子をものにすると決意する。裕子も久保井が好きなようで二人はキスをするようになる。江上は若い絵馬子を愛人にしておくことの良心の呵責から会うたびに別れを切り出すが別れられない。久保井は裕子ともっと関係を深めたいが拒まれるので苛立つ。感情のもつれのせいもあるのか裕子は肺炎のような病気で急逝し、江上も絵馬子とついに別れる。15年後、江上が死に、それを機縁に久保井と絵馬子、そして江上夫妻の一人娘みどりが再会し、みどりから渡された江上の日記を久保井と絵馬子が読んで、江上からみた15年前の愛憎劇の内実を知る。
4人で3カップル、さらに久保井と絵馬子が再会して一瞬くっつきかけ、みどりまで絡んでくるなど、わずか5人の登場人物が磁石のようにくっついたり反発したりする。しかし、結局のところ、どのカップルも分かり合えず、持続的な愛は生まれず、苦々しい思いとともに去る、という虚しさ、悲しさを伴う結末である。
太宰治の場合、必ず小説のどこかに彼自身が顔を出していたが、そうした小説と比べると『夜半楽』の人物たちはやや造形っぽい。特に江上と裕子はなんだか得体が知れない。いちばん中村に近いのはやはり主人公の久保井である。『愛と美と文学』にも年上の女性から性愛の蒙を啓かれたことが書かれ、同じ女性は『四季』にもたびたび登場するが、裕子に惹かれる久保井の心の動きは、たぶん若き日の中村のそれをなぞったものであろう。ただ、裕子と死別したあと銀行の無気力サラリーマンに収まった久保井と、作家としてバリバリ活躍した30代の中村とはあまりに違いすぎ、そこも造形らしく感じてしまうところである。

井伏鱒二の語る関東大震災

2014-09-07 16:29:18 | anti facism
太宰治は井伏鱒二を師と仰いだ。
井伏鱒二の『荻窪風土記』にも学生時代に荻窪に下宿していた太宰の様子が少し出てくる。
それを読もうと、『荻窪風土記』を再読していたら、関東大震災の体験が詳しく書いてあって夜のふけるのを忘れて読みふけった。
関東大震災が起きたとき、井伏はまだ荻窪に引っ越しておらず牛込の下宿屋に住んでいた。震災の数日後に中央線が動くとの情報を得て、井伏はその始発駅の立川まで歩いていくことに決め、中央線の線路伝いに歩いていく。途中、野宿するつもりで中野駅の前の芋畑に寝ていたら、通りかかった男に「朝鮮人か」と聞かれ、そうではないと答えると、茅屋に泊めてくれた。
そうした自身の体験とは別に、消防団に属する四面道の木下というとび職の男の体験も紹介している。甲州街道や青梅街道沿いの消防団は、朝鮮人の暴徒が襲撃してくるという流言に踊らされて日本刀や猟銃で武装して警戒にあたっていた。
井伏は書く。
「雑色村や和田堀村では、猟銃や日本刀で武装した自警団を組織して、甲州街道を逃げてくる避難民を取調べた。至るところで行きすぎの間違いが起きた。未だにそれを問題にする人がいるが、みんな流言に逆上させられていたのだから仕方がない。」

「取調べ」とは何か。山岸秀『関東大震災と朝鮮人虐殺』(早稲田出版、2002年)によれば、それは避難民に「十五円五十銭」と言わせるといった類のことである。語頭の濁音が発音できなければ朝鮮人と見なされる。「行きすぎの間違い」とは何か。虐殺である。山岸著は主に東京から埼玉県の方に避難してきた朝鮮人の虐殺事件を扱っている。朝鮮人が暴動を起こしたとか井戸に毒をいれたといった流言飛語は9月1日の震災後すぐに流れ始めたが、3日は内務省が流言飛語を否定し、朝鮮人を虐待しないように通達を出している。埼玉県では避難してきた朝鮮人たちを群馬県方面に移送しようとした。ところが、熊谷町(いまの熊谷市)に入ったところで地元の自警団に襲撃され、50-60人が虐殺された。よれよれになって歩いている人々をなぶり殺しにしたのである。
 井伏の文章は、今の中野区や杉並区でも同様のことが起きたことを示唆している。許しがたいのは「仕方がない」という総括である。これは木下の考えなのか井伏の考えなのかはわからないが、無辜の人を虐殺したことを「仕方がない」で済ませていいのか。

水木しげる二等兵のみた従軍慰安婦

2014-09-05 22:30:50 | anti facism
水木しげるは二等兵としてニューブリテン島のラバウルの近くのココボに配属された。
そこは日本陸軍の基地で、兵站病院もあって、従軍慰安婦もいた。
『水木しげるのラバウル戦記』ではこう書かれている。

 彼女たちは「ピー」と呼ばれていて、椰子林の中の小さな小屋に一人ずつ住んでおり、日曜と祭日にお相手をするわけだが、沖縄の人は「縄ピー」、朝鮮の人は「朝鮮ピー」と呼ばれていたようだ。彼女たちは徴用されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。

水木二等兵たちが遺書を書かされた翌日、

 ピー屋(従軍慰安婦)に行っていいという命令が出た。早速行ってみると、なんと長い行列ではないか。・・いずれも、50人位並んでいる。やる方も必死だが、こうなるとやられる女の側は下手をすると死ぬのではないかと思った。・・初年兵2,3人で行ったが、あまりの行列にやめようということになり、近くの土人に行った。

 さて、朝日新聞が、かつて同紙が報道した従業慰安婦となるべき女性を朝鮮半島で強制連行したという日本人の男の証言が虚偽だったということを表明して、先日その検証記事を発表した。かなり以前から、右派ジャーナリズムがこの報道は誤報だと主張してきたが、その主張を朝日自身も認めた格好となった。週刊文春と週刊新潮ら右翼週刊誌は大喜びで、まるで鬼の首を取ったように毎週朝日新聞を攻撃し、河野談話を撤回しろと叫んでいる。
 たしかに、池上彰氏が主張するように、誤報を認めるのが遅すぎ、また誤報に対する謝罪も不十分だったかもしれない。
 しかし朝日の検証記事は、従軍慰安婦の問題の本質がどこにあるかをきっちり書いており、虚偽の証言に踊らされた面はあったにしても、慰安婦問題に対する自らの報道を大筋では肯定するものであった。

 慰安婦たちがどのように集められたかはともかく、戦地では日本軍の管理のもとに兵士なみに人身の自由を奪われて性奴隷の状態にあったことは水木しげるの本やそのほか大勢の従軍経験者の記録で明らかではないのか。朝日新聞を攻撃している人たちは、一つの誤報のことを言いたてることによって、従軍慰安婦問題の存在自体を否定しようとしている。そしていわゆる「従軍慰安婦」とは自由意志で売春の道を選んだ人たちだと主張して、日本軍の罪を免罪しようとしている。だが、ニューブリテン島のジャングルに連れてこられた彼女たちが自由に故郷に帰ることができただろうか。ジャングルで一日に50人以上もの相手をすることが自由意志であるはずがあろうか。

 朝日を攻撃している人たちには、水木二等兵のような人間らしい憐憫の情がつゆほどもなく、つらい思いをした人たちをさらに傷つける言動をしている。水木しげるの本やマンガには何かというと初年兵たちを殴る軍曹らが出てくる。彼らは休日には「ピー屋」に上官の特権で真っ先に赴き、戦闘になれば若い兵士たちを前線に駆り立てて自分は逃げ回り、無事日本に帰国したら戦争の自慢話をしたのだろう。戦後は毎年夏に靖国神社に参拝し、戦友たち(戦場で部下を殴った仲間たち)と再会しては「大東亜戦争は聖戦だった」と飲み屋で雄叫びを上げたのだろう。従軍慰安婦のことが持ち上がると、あれは自由意志でやってきた娼婦なのだと開き直る。右翼週刊誌はそうした古参兵たちを喜ばせる論調を展開している。卑劣な精神につける薬はない。
 しかし、慰安婦の問題は国際問題なのである。インドネシアで日本軍が捕まえて慰安婦にしたオランダ人女性たちのことは極東軍事法廷でも取り上げられている。韓国が、朝鮮人も同様の被害にあったと言えば世界はみな信じるだろう。外国の人に向かって、「いや実はね、あれは自由意志の娼婦だったんですよ」などと発言すれば、間違いなく人格を疑われる。週刊文春も週刊新潮も日本語だけだから何でも書けるが、同じことを英語で書いたら世界からどんな目で見られるだろうか。もっとも彼らにそんな勇気があるはずもないが。
 安倍首相は賢明にも河野談話を継承すると発言した。国内では誤報のことをあげつらって自己満足にひたるのも結構だが、国際的には日本政府および日本人は反省と謝罪の姿勢を見せる以外にないのである。

太宰治『斜陽』

2014-09-04 20:22:26 | 
『斜陽』は長らく私の書棚にあったけれど読むのは初めてだろうか。余り記憶にない。
戦後に華族の身分を失い、急速に没落していく母子3人の物語である。主人公のかず子は30歳ぐらいで一度結婚経験がある。家庭が没落していく中で最後は作家の愛人を志願する。弟の直治は麻薬に溺れ、家の財産を持ち出しては売って酒を飲んでいる。
『斜陽』は昭和22年に刊行されてベストセラーになったらしい。華族の命運に人々が同情したとも思えないが、戦後市民階級も財産を切り売りするタケノコ生活を余儀なくされるなかで、『斜陽』の家族に同情する面と、華族の没落を痛快に思う感情との両面があったのだろう。
さて、これまで読んできた小説と違って太宰自身のような人物は出てこないなと思っていたら、実はかず子が愛人を志願する相手である作家の上原が太宰らしい。やっぱりよくモテて、酒を飲んで散在し、破滅的である。

太宰治『人間失格』

2014-09-01 22:44:34 | 
 先日、『ヴィヨンの妻』を読んで、主人公(太宰)は浮気していると書いているけれど、その遊ぶ先のことは全然書いていないなと思っていたら、ほぼ同時期(昭和23年)に書いていた『人間失格』の方に女性関係が書いてあった。ただしこちらの方は太宰治の少年期から27歳ごろのことを題材に、多少フィクションにして書いている。たとえば太宰は小説家だが、『人間失格』の主人公は画家という具合に。しかし、巻末の年譜と比べてみると、ほとんど太宰の実際の経験を書いているようである。
 『人間失格』には数々の女性関係がつづられているが、恋愛小説かというとまったくそんなロマンティックな要素はない。というのも主人公がもてすぎるからである。美男である上に、歯が痛むかのように頬杖をついて憂いのある表情をすると、女性はみな惚れてしまうらしい。そんなわけで意中の異性に何とかアプローチして攻略するという恋愛のプロセスはすっ飛ばされ、まるで総武線から山手線に乗り継ぐように主人公は手近な女性から女性へ乗り換えていく。意中の女性と一緒になれた喜びが語られることもなく、主人公にとって女性は生きるための手段であったり、死ぬための手段であったりする。結局、太宰にとって恋愛は喜びではなく、むしろ苦しみに近い。
 『人間失格』には、主人公に酒とタバコと淫売婦と質屋と左翼思想とを教えた先輩の画学生の堀木という人物が登場する。森敦の『わが青春、わが放浪』によると、小説家としてデビューする頃の太宰を飲みや赤線に連れ歩いていたのは檀一雄なので、堀木のモデルは檀一雄なのではないかと思う。