mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

小谷野敦『もてない男-恋愛論を超えて』ちくま新書、1999年

2010-02-28 10:37:41 | 
小説というと恋愛が出てくる。新人作家のデビュー作というと、恋愛して望まぬ妊娠をしてしまったというのがお定まりのパターンだったりする。ヒット曲もだいたい恋愛感情を歌っている。テレビドラマもマンガも恋愛が出てくる。こういう環境に囲まれて、自ら恋愛を経験する機会に恵まれない男は不満を募らせていく。どうして自分には恋愛が訪れないのか?自分のような人間を描いた文学はないのか?
本書によると、二葉亭四迷とか田山花袋とかは恋愛に恵まれない男の悲哀を描いたらしい。煩悶を克服するには、恋愛は誰にも訪れうるものという幻想から脱し、「もてない男」であることにむしろ開き直るしかない。
本書には、「もてる男」と「もてない男」しか登場しないが、私の見るところ男にはもう一つのカテゴリーがあって、それは「もてても困る男」である。仕事もあるし、妻子もいるしで、恋愛する余裕や条件がない男。大人の男の大部分はこのジャンルに属するのではないか。彼にとっては、フィクションの世界の恋愛は程よい息抜きになる。

iPodの魅力

2010-02-23 23:23:53 | 日常
iPodというものが世の中に登場して久しいけれど、ずっと私は買わずにきた。携帯電話にFMラジオや音楽プレーヤー機能がついているのでそれで間に合うだろうし、そもそも外出中に音楽を聴きたいという強い欲求があるわけでもない。
最近某カードのポイントがある程度貯まり、何か賞品をくれるというのでiPod nanoを選んでみた。数日後に届いたiPod nanoを使ってみると、意外なことに自分がiPodの魅力にどんどんはまり込んでいくのである。
iPodの魅力とは何だろう?
まず機械の構造がとてもシンプルなことである。ドーナツ型のスイッチと、真ん中のスイッチがあるのみで、ドーナツ型のスイッチは四方向に押す以外に、回すようになでる操作ができる。いま使っている東芝製の携帯電話と比べると、東芝製携帯にはiPod同様の四方向スイッチ+真ん中スイッチ以外に、その周りに6つものスイッチが配されている。そのうちいくつかは、私はまだ使い方がわからない。さらに側面に3つのスイッチ、そして通常のキーパッドがある。スイッチが多すぎだ。
次にマニュアルが簡潔だ。iPodには、広げると8センチ×20センチほどの紙が入っているのみである。対する東芝の携帯電話のマニュアルは高校の教科書並みの厚さだ。誰もこんなもの読んでられない。
イヤホンも、なんだか街の音にそのまま音楽が溶け込む感じで気にいった。今まで使っていた携帯電話のイヤホンは耳からポロポロ落ちるので、ジョギングしながら聞けないという欠点があった。
さらにiPodはなんでも遠慮なくコピーするところがすごい。iPodを使うには、パソコンにiTunesというソフトをダウンロードする。iTunesを立ち上げると、iTunesは私がCDをパソコンで聴くためにハードディスクにコピーしていた音楽を探し出して、それをiTunesに読み込むという動作を始める。しばらく放っておくと、iTunesのなかにこれまでため込んでいた音楽がすべてコピーされる。そしてiTunesとiPodをつなぐと、「同期」synchronizeと称して、要はiTunesの中身がそっくりiPodにコピーされる。
それ以降はiTunesにCDなどをコピーすれば、充電のためにiPodをパソコンにつなぐたびに、それがiPodにコピーされる。まったく遠慮のないコピー魔だが、おかげでもっている音源をどんどんiPodに取り込むことができる。
携帯電話も音楽プレーヤー機能を売り物にしている。CDを携帯電話に取り込むこともどうやらできることになっているらしい。だが私はやろうとして結局挫折した。AUの場合、LISMO!というソフトをCD-ROMからパソコンに読み込むのだが、それをやったらパソコンがやたら面倒な状態になって、私は頭にきてLISMO!を削除した。結局、私の携帯電話には通信でダウンロードした数曲が入っているのみであったが、それさえも携帯電話を買い替えた時に次の端末に移し替えられなかった。音楽を買ったのに、携帯電話の交換とともにその所有権が消えてしまうなんて理不尽だ。
それに対してiTunes+iPodのやり方だと、仮にiPodを買い替えても、iTunesに入っている音楽は次のiPodにそのままコピーされるので一曲も失われない。
これを使い始めたら、携帯電話の音楽プレーヤー機能など操作が面倒くさいし、通信料もかかるし、買い替えたら消えてしまうしで、まったくいいところがない。
iPodは技術的にいえば、携帯電話よりはるかに「簡単」だし、ソニーなど日本の電機メーカーも同様の機械を作っている。しかし、日本の電機メーカーがiPodに太刀打ちできないのは、結局のところユーザー・インターフェースの部分でどれぐらいユーザー本位にできているかという点だ。

石川結貴『暴走育児』(ちくま新書、2009年)

2010-02-13 12:00:38 | 
 二人の子供たちに「うると・らまん」という名前をつける親、ご飯の上に焼き肉のたれだけをかけた「タレ丼」と称する弁当を子供にもたせる母親、東京ディズニーランドの大みそかイベントで幼子をコンクリートの地面に寝かせたまま熱狂する母親など、この本にはすごく変わった親たちが登場する。「いまどきの若い親にはこんなひどい人がいるんですよ!」と告発している。
 ただ、ここに出てくる親というのはどれほど一般性があるのでしょう?
 本書はなんとなく若い世代の親たちにヘンな人が多いような印象を与えようとしているようだけれど、果たしてそういえるのだろうか?
 子供たちの縁で、私も一回り以上若い(と思われる)親などいろいろな親たちを見てきたけれど、この本に出てくる人たちほど変な人とは会ったことがない。この本を読んで感じることは、よくもまあこう変な人ばかり見つけてきたもんだ、というものだ。子供を虐待するひどい親のことが時々報道されるから、世の中にヘンな親、困った親がいないわけでもないのだけれど、本書に出てくる親たちのなかには余りに変すぎて、「ちょっと話作っていない?」という疑いすら生じてくる。
「あとがき」に著者は書く。「最近の子育てはなんか変だ、と多くの人が感じているのではないだろうか。」そうかな? いつの時代にも子供をネグレクトする親、逆に過保護な親はいたのではないだろうか? 

Tudo Ben, Various artists (2008)

2010-02-13 10:21:52 | Jorge Ben
ジョルジ・ベン好きのためのカバー集
セルジオ・メンデス&ブラジル66がジョルジ・ベンの「マシュケナーダ」「コンスタントレイン」等をカバーして世界的にヒットさせたように、ジョルジ・ベンの曲は世界中で昔から今日まで何度もカバーされている。コード進行がシンプルでカバーしやすいという事情もあるのだろう。
ただ、セルジオ・メンデス等は「ジョルジ・ベン入門」としてはいいけれど、いったんジョルジ・ベン自身の演奏の魅力にはまると、もう余り聞く気も起きない。
しかし、このジョルジ・ベンのカバー集は、ジョルジ・ベンのファンにとっても十分魅力的である。エルザ・ソアレス、ウィルソン・シモナール、オスマル・ミリート、ドリス・モンテイロなどによる、埋もれた名演を発掘している。なによりもジョルジ・ベン自身がレコーディングしていない曲が数多く収録されているので、ジョルジ・ベンのアルバムはすべて聴き尽くした人(=私)にも新鮮だ。
このアルバムを編集したのはイギリスのMr.Bongoというレーベルで、曲ごとにその由来について詳しい解説をつけている。私もジョルジ・ベンのコレクターのつもりだったが、いやはやまったく比較にならない。