mardinho na Web

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安田浩一『ヘイト・スピーチ 「愛国者」たちの憎悪と権力』文春新書、2015年

2015-05-30 01:09:35 | 
現代日本の病理ともいうべきヘイト・スピーチ。
インターネットという匿名の空間のなかでの単なる憂さ晴らしが現実社会に噴出してきたとたん、在日の人々、日本に住む外国人、被差別の人々を言葉の暴力で傷つける刃となっている。
安田浩一氏はヘイト・スピーチの現場を歩き、それを語っている当事者たちに果敢に対話を挑んでいる。感心したのは、ネット上で匿名で在日韓国・朝鮮人への罵詈雑言を書きたてていた人物を、安田氏たちがその発言内容から居住地を推測し、近隣への聞き込みを行ってついに探し当てたことだ。東北の田舎町に住む、無職同然の50代後半の男がその正体だった。
本書では彼らの吐く恐るべき言葉が、これでもかこれでもかと引用される。この先に待っているのは同級生同士、同僚同士が殺し合ったルワンダのツチ族とフツ族の争いか。少なくともヘイト・スピーチで語られている内容を額面通り受け取ればそういうことになる。

やっぱりこんな脅迫が野放しにされていいとは思えない。言葉の暴力が本当の暴力になってからそれを止めるのは簡単ではない。報復の連鎖を生むかもしれない。
厄介なことにいま政権与党のなかにヘイト・スピーチのシンパみたいな人たちがいる。
やや不思議なのは本書が文藝春秋社から出たことだ。同社の週刊誌には毎号のように近隣国民や日本国内のマイノリティを傷つける記事が満載されていて、見たくなくても電車の吊り広告で目に入ってくる。

中島義道『東大助手物語』新潮社、2014年

2015-05-29 00:02:23 | 
『うるさい日本の私』など辛口の本で有名な中島義道氏の新作は東大教養学部助手時代に味わった辛酸の告発でした。
著者以外の主な登場人物は仮名ですが、著者をいじめる糟谷幸次郎教授とは谷嶋喬四郎教授のことであることは、書いてある彼の仕事内容から明らかであり、「谷」の前にわざわざ「カス」とつけていることからもいまだに憤懣やるかたないというところなのでしょう。
ウィーン大学に留学していた中島氏は糟谷教授の引きにより教養学部助手となるのですが、助手の任期は通常3年なので、糟谷教授は何とか中島助手をどこかの大学の助教授に就職させようと画策します。ところが、そんな教授の気持ちを知らず中島氏は引き合わされた先生たちに失礼な態度をとっているというので糟谷教授は中島助手を繰り返し叱責するようになります。それに加えて、中島氏が「功利主義者」と呼ぶ妻との冷淡な関係、自分が苦しい人生を送る原因を作ったと恨む父母との関係や、嫁姑の不仲まで描かれます。
ここまでが前半ですが、これだけ読むと中島氏に余り同情できない気がします。谷嶋教授は計算ずくで中島助手の就職に骨折っているのだと中島氏は書いていますが、仮にそうであってもやっぱり感謝すべきではないだろうかとか、妻も小学校教師として家庭を支えながら中島氏の世話もずいぶんしています。一番哀れなのは父母で、30代後半でようやく助手になるまでなかなか職が得られなかった中島氏にずっと脛をかじられた挙句に逆恨みされているのです。
しかし、後半になるとがぜん糟谷教授夫妻が牙をむきます。うまく中島助手に新設大学の職をあてがうことができたとたん、自宅の芝刈りや、夏休みに家を空ける間のハウスキープまでさせようとします。しかも教授は夫妻で居丈高に中島助手夫妻に奉仕を命じるのです。芝刈り奉仕に耐えかねた中島夫人は糟谷教授への贈賄によりなんとか苦役から逃れようと提案します。中島氏も贈賄工作に手を染めかけたとき、良心がとがめて、学科長の尾高教授(法哲学専門ということだから長尾龍一教授のことだろう)に糟谷教授とのことをぶちまけてしまいます。
尾高教授がただちに糟谷教授に事情をきいたため、贈賄は未遂に終わり、幸いにしてすでに助教授に内定していた中島氏は無事糟谷教授から離れられたようです。ただ、もっと周到に証拠保全をしておけば糟谷教授を刑事告発、少なくとも懲戒処分にすることはできたでしょう。
本書は大学にありがちなパワハラの事例として関係者は他山の石としなければなりませんが、贈収賄も未遂に終わっているし、叱責についても、双方の夫人まで巻き込んでいるのはいただけないが、内容的には「やや度を越した指導」という程度のように思え、谷嶋教授のスキャンダル暴露という衝撃度は余りありません。というのも幸か不幸か谷嶋教授が研究者として活発でなかったため知名度がないからです。
ただ、本書を他人事だと思えなかったのは、読んでいくとどうやら私が在学していた頃の話だったからです。
谷嶋先生の「社会思想史」も選択しようと思えば受講できる科目で、どうやら「楽勝科目」らしいと聞いていました。
中島氏が無事谷嶋先生のパワハラから逃れた後、東大駒場で中沢新一氏の採用をめぐる大騒動が起きますが、谷嶋教授はまさにその当事者となります。ただ、そのことに本書は触れていません。
本書のなかで一つ中島氏らしくないなと思ったのは、糟谷教授の評判を助教授たちに聞いて回って彼が「みんなの笑い者」であることを書いていることです。他人にどう思われようと気にしないのが中島氏の良さですが、助手当時はまだ身分も不安定で、やっぱり周りの人たちのモラルサポートを必要としていたということでしょう。