欧米では腕など普通に見えるところに入れ墨をしている人を大勢見かける。
日本では入れ墨をしている人は暴力団関係者だという認識が広くあることは否めないし、そうした認識は過去においてはだいたい正しかったのではないかと思う。しかし、欧米ではまったく暴力とは無縁なごく普通の若者が入れ墨をしている。
さて、日本ではいつのころからか温泉やプールなどで「入れ墨おことわり」の掲示を目にすることが多くなった。おそらく暴力団対策法が施行されて以後のことだと思う。私が銭湯に通っていた1980年代には銭湯で入れ墨をした人に出会うこともあった。社会から暴力団を排除していきましょうという空気が広まり、我々一般市民も「入れ墨おことわり」という掲示によって暴力団員の肩身が狭くなって、暴力団壊滅につながるからいいんじゃないかと思ってきたように思う。もしかしたら警察がこうした掲示をするように要請してきたのかも知れない。
ところが、欧米でこれほど入れ墨をしている若者が多く、かつ日本への外国人観光客が増えてくると、事はかなり厄介になってくる。温泉は日本観光のハイライトの一つだが、日本に来た欧米人観光客が温泉に入ろうとして、「入れ墨おことわり」のメッセージを目にしたら、また、入口で入れ墨を理由に入場を断られたらどう思うだろうか。欧米人観光客は、日本人がほとんど入れ墨をしていないことにも気づくはずで、そうするとこれは形を変えた「外国人おことわり」のメッセージだと受け取る可能性もある。少なくとも人を外見で差別する理不尽な決め事であり、人間の自由を制約していると受け取られることは間違いない。
観光客だけでなく、日本に定住する外国人もますます増えていく中、こうした差別と受け取られかねない決め事はなくしていったほうがいい。それによって暴力団員が我々の日常生活に入り込んできて怖いという気持ちもわからなくはないが、我々が憎むべきは暴力団の暴力や威嚇行為であって、彼らの外見ではないはずである。日本の暴力団員は、その特有の外見によって一般市民を威嚇してきた面は否定できないが、他方で、すでに暴力団から足を洗った人まで外見によって排除するのでは、彼らの一般社会への復帰を阻害することになる。
日本は外国人差別をする国だという評判が高まらないうちに、「入れ墨おことわり」の掲示はこっそり引っ込めておいた方がいいのではないだろうか。
日本では入れ墨をしている人は暴力団関係者だという認識が広くあることは否めないし、そうした認識は過去においてはだいたい正しかったのではないかと思う。しかし、欧米ではまったく暴力とは無縁なごく普通の若者が入れ墨をしている。
さて、日本ではいつのころからか温泉やプールなどで「入れ墨おことわり」の掲示を目にすることが多くなった。おそらく暴力団対策法が施行されて以後のことだと思う。私が銭湯に通っていた1980年代には銭湯で入れ墨をした人に出会うこともあった。社会から暴力団を排除していきましょうという空気が広まり、我々一般市民も「入れ墨おことわり」という掲示によって暴力団員の肩身が狭くなって、暴力団壊滅につながるからいいんじゃないかと思ってきたように思う。もしかしたら警察がこうした掲示をするように要請してきたのかも知れない。
ところが、欧米でこれほど入れ墨をしている若者が多く、かつ日本への外国人観光客が増えてくると、事はかなり厄介になってくる。温泉は日本観光のハイライトの一つだが、日本に来た欧米人観光客が温泉に入ろうとして、「入れ墨おことわり」のメッセージを目にしたら、また、入口で入れ墨を理由に入場を断られたらどう思うだろうか。欧米人観光客は、日本人がほとんど入れ墨をしていないことにも気づくはずで、そうするとこれは形を変えた「外国人おことわり」のメッセージだと受け取る可能性もある。少なくとも人を外見で差別する理不尽な決め事であり、人間の自由を制約していると受け取られることは間違いない。
観光客だけでなく、日本に定住する外国人もますます増えていく中、こうした差別と受け取られかねない決め事はなくしていったほうがいい。それによって暴力団員が我々の日常生活に入り込んできて怖いという気持ちもわからなくはないが、我々が憎むべきは暴力団の暴力や威嚇行為であって、彼らの外見ではないはずである。日本の暴力団員は、その特有の外見によって一般市民を威嚇してきた面は否定できないが、他方で、すでに暴力団から足を洗った人まで外見によって排除するのでは、彼らの一般社会への復帰を阻害することになる。
日本は外国人差別をする国だという評判が高まらないうちに、「入れ墨おことわり」の掲示はこっそり引っ込めておいた方がいいのではないだろうか。