mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

中年からの自動車運転⑧~取得時講習

2007-07-27 23:43:50 | 中年若葉日記
本免の実技試験に合格したら、次は「取得時講習」だ。これは警視庁の指定する公認自動車学校で受ける。
まずは高速道路の走り方について講義を受ける。運転の講義を受けるのは初めてで新鮮だ。続いて「実車走行」。自動車学校の近所の道を3人で交代しながら運転する。10日ぶりぐらいでやや緊張したが、特に問題なく走行を終える。いつもO自動車学校で使っていた車に比べて、公認自動車学校の車はなんだかきれいだ。
続いていまの走行を踏まえて先生を含めて4人で安全運転のディスカッション。他の二人の受講生はいずれもむかし免許を持っていて取消にあった人たちで、二人とも事故経験があるのには驚いた。
午後はまず機器を使った高速道路走行実習だ。運転経験のない私からゲームセンターの機械のようなものに座ってバーチャルな運転を始める。かなり似せているつもりなのだろうけど、実際の運転とは随分違い、料金所の前で止まるのさえ難しい。
高速道路にはいると、速度感がないものだからアクセルを踏み続けて120㎞になっていたり緩めたら70㎞になったりとめちゃめちゃだ。途中2度ほど事故を起こしてようやくバーチャルな高速道路走行が終わった。他の経験者二人はさすが事故無しで運転を終えた。
最後は「救護実習」。運転して事故を起こしたとき、まずやるべきことは事故に遭った人間をケアすることだ。人工呼吸と心臓マッサージをして心肺を蘇生させるか、止血をどうするかを学ぶ。
3日後、府中の運転試験場でついに免許交付を受けた。こうして中年ドライバーが野に放たれた。

出井伸之『迷いと決断--ソニーと格闘した10年の記録』新潮新書、2006年

2007-07-27 23:23:40 | 
私の電化生活はソニーとともにあった。
幼時、我が家にあったソニーのテープレコーダーを愛用した。新聞配達で金を貯めて最初に自分で買った家電製品はソニーの短波ラジオICF5900だった。当時、余り裕福でない短波放送愛好者の間でICF5900は絶大なる人気を持っていた。27000円というお値段ながら、5kHz刻みで周波数を見ることができる、というのがこの短波ラジオの最大の特徴で、これを実現するためにすごい工夫が行われている。一般の短波ラジオのダイアルでは大雑把にしか周波数を読みとることができないので、入門書には「ダイアルを手探りで回してまず周波数が周知であっていつでも受信できる放送局(それをパイロット局という)を見つけ、そこからの相対位置で目標とする周波数のあたりにダイアルを回していきなさい」などと、まるで金鉱脈を探るような作業を指導していた。ICF5900はデジタル技術などは使わずに目標とする周波数にずばりとダイアルを当てることができる。少年たちが海外の短波放送に簡単に親しめるようにしようと言う情熱の作品だった。
ほどなくして松下電器が同じ機能を持つ短波ラジオを発売したが値段は32000円だった。5000円の差は大きいし、真似っぽくていやだった。
高校生になってやはりバイト代で買ったカセットデッキもソニーの中古だった。
さらに大人になって買ったVTRカメラもソニーで、これはまだ現役で時々活動している。2台のデジカメもソニー。
最初に買ったパソコンはNECの98ノートで、次に買ったノートの東芝DYNABOOKは故障が多くて懲り、3番目に買ったソニーのVAIO505は大好きだった。サイズの割に画面が大きく、マグネシウムのボディに熱を逃がす構造もすばらしい。飛行機の中でよく使った。
だが、出井氏が君臨した10年間に、ソニーに対して「あれ?」と思うことが多くなった。VAIO505は良かったがまる5年間使ってさすがに道徳的、物理的摩滅は隠せず、買い換えようと思った。ソニーが同じものの後継機を出しているに違いないと思って真っ先にチェックしたが、なんと同じ型番のものは画面が小さく横長になっている。
パソコンを文章を書き、表計算する道具として使うものにとって、画面のタテの長さは重要である。結局、厚さ、画面の大きさを考慮したとき、ソニーVAIOのラインアップのなかに買いたい製品がなかった。なぜヒット商品の素直な後継機を出さないのだろう。
元ソニー愛好者として最も残念に思ったのが、携帯型音楽プレーヤーでアップルのiPodに完膚無きまでに負かされたことだ。ウォークマンを出し、MDを出してきたソニーこそ、iPodに相当する製品を大ヒットさせる最右翼の候補だったのに、なぜ新参者に過ぎないアップルに負けたのか。まさにそのような製品をヒットさせるために、レコード会社や映画会社まで傘下に納めてきたはずなのに。
iPodは買わないのでなぜiPodがソニーや他の日本メーカーが出すフラッシュメモリやハードディスクを使った同様の携帯型音楽プレーヤーに買ったのかはよくわからない。デザインの良さだけなのか、iTunesという優れた音楽配信サイトの貢献なのだろうか。
出井氏は本書のなかでなぜiPodに負けたのか少しだけ触れている。グループ内のソニー・ミュージックに配慮して、携帯型プレーヤーを余り熱心に推進できなかったからだというのだ。つまり、結局シナジーを期待して音楽・映像コンテンツに手を出したのに、かえって足の引っ張り合いになってしまったのだ。残念ながら出井氏はiPodへの敗北をそれほど大きな事件とは思っていないらしく、企業の事業ポートフォリオがシナジーではなく、かえって負の相互作用をもたらしてしまっていると言う認識がない。
一つの業界で成功して金も貯まったあと、ユーザーとの連続的なつきあいを重視してあくまでその業界や関連する産業での展開を続けるのか、それともGEのように利を追求して新事業への展開と旧事業のスクラップを果断に行っていくのか、ソニーはその間で迷い続けて結局中途半端な状態にとどまっている。

Caetano Veloso "Muitos Carnavais"(1977)

2007-07-15 15:33:50 | Caetano
今でこそブラジル音楽の代表選手と言っていいほど有名なカエターノ・ヴェローゾだが、1980年代初め頃の日本ではそうでもなかった。同世代の盟友ジルベルト・ジルやジョルジ・ベンは日本版のレコードが次々と発売されていたのに、カエターノのものは一枚も発売されなかった。
なぜカエターノは日本では余り人気がなかったのか。その理由は「フォークっぽい」からだったかもしれない。当時日本では「フォーク」、「ニューミュージック」が猖獗を極めていた。私が属していた高校の放送局でもさだまさしが好きなフォーク派、洋楽派、無関心派に三分され、フォークとブラジル音楽は相容れない存在だった。私がアントニオ・カルロス・ジョビンのアルバムをオンエアしたら、「フォーク派」に「チョビン」とからかわれた。
当時、日本でブラジル音楽に興味を持つ人は「ブラック・ミュージック」と言う角度からブラジル音楽にアプローチする人が多かったので、フォークっぽいブラジル音楽は受け入れられなかったのかもしれない。
ただ、本や雑誌ではカエターノはジルとともにトロピカリスモ運動を起こしたブラジル音楽の重要人物として紹介されていた。偏愛していたジョアン・ジルベルトの1973年のアルバムにもカエターノの曲"Avarandado"が取り上げられており、カエターノ自身の音楽も是非聴いてみたいなと思っていた。
だが、日本版が出ないとFMでも取り上げられない。札幌でもブラジルからの輸入盤は手に入るのだが、輸入盤はビニールで覆われていて試聴ができない。どんな音楽が出てくるの知らないで買うのは勇気がいる。当時ブラジル輸入盤は2800円ぐらいと高く、高校生にはリスクの大きい買い物だった。
高一の冬休みに年賀状配達のアルバイトをやって収入があり、私はカエターノのアルバムを買う決意をした。レコード屋の輸入盤コーナーには1977年の"Muitos Carnavais"と78年の"Terra"の2枚があった。どちらを買うかジャケットしか判断材料がないので、単に変態っぽいからという理由で"Muitos Carnavais"を選んだ。
これが「大失敗」で、余りのショックに私は高熱を発し、翌日から高熱を押して郵便配達する羽目に陥った。
このアルバムはその名が示すようにカエターノのカーニバル曲集である。ブラジルのカーニバル曲というと一般にはサンバだと思われているが、カエターノの故郷バイーアではフレーボ(ブラジル風のマーチ。「マルシャ」と同様で、私にはフレーボとマルシャの区別がつかない)のリズムの曲が多いようだ。このアルバムもボサノヴァ風の2曲を除くとあとは全編きわめて脳天気なフレーボの曲が続く。
何となく内省的で静かな音楽を予想していた私にはまったく予想外の内容でショックは大きかった。
でも重ねて聞くうちに、どの曲も妙に耳に残るようになり、今はかなり気に入っている。のちに"Terra"も買い、こちらはまさにカエターノらしい内省的で静かな音楽だが、"Muitos Carnavais"の方も決して余技ではなく、カエターノの一面なのである。

中年からの自動車運転⑦~本免試験に合格

2007-07-14 00:00:07 | 中年若葉日記
本免技能試験の後半は「自主走行」といって、地図を渡されて目標地点まで最短経路で行く、というもの。与えられた課題は、地図好きである私にとっては簡単なもので、しかも路上練習で一度来た場所でもあるので、難なくクリアした。
自分の番が終わると、後は後続の3人が課題をこなしている間、後部座席でずっと高見の見物だ。
2番目は20代の女性で、大過なく進んだが、幹線道路に左から進入しようという車(おじいさん)が、直進する試験車の前にぐっと入ってきそうになり、ちょっと慌ててブレーキという場面があった。
第3の受験者は30前後の女性。かなり緊張した面持ちで、自主走行の途中で迷ってしまって停車して地図を確認した。
第4の受験者は20代の男性。この人もかなり緊張している様子で、試験中のトイレは禁止という事前の説明だったが、彼は幼稚園で急遽トイレを借りた。彼も自主走行の途中で迷い、停車して地図を確認した。

試験場に戻ると今度は「方向転換」のテストである。方向転換とは、狭いところに入って脇に後退して入り、逆向きに出てくるというもので、駐車場に車を入れるときに役立つ技術だ。
拙者は方向転換そのものは難なくクリアしたのだけど、狭い道から右折して出てくるところで、何と逆方向の車線に入ってしまった。クランクの練習の時も時々このミスをやらかし、「日本は左側通行だよ」と先生に冷やかされた。2番目の女性と4番目の男性も無事方向転換をパスしたが3番目の女性は出てくるところで、右の後輪が外にはみ出てしまった。

さて、待合所に戻って結果発表だ。何人合格するのだろう。まず3番目の女性が呼ばれる。減点超過で不合格とのお告げだ。彼女は5回目の受験とのこと。「他の3人もたいして上手くない。あなたもあと一歩だ。」と聞こえる。ということは他3人はみな合格?
次に私が呼ばれ、合格を告げられた。仮免は苦労したけど、本免技能試験は一発合格であっけなかった。教習の開始から足かけ4ヵ月強。仕事しながらとはいえ、予想外に時間がかかった。

中年からの自動車運転⑥~路上教習と本免技能試験

2007-07-13 16:58:34 | 中年若葉日記
仮免をもらうと、本当の道路に出て練習だ。
教習コースよりも、実際の道路に出る方がやはり楽しい。「曲がるときにはバックミラーで後ろを見て、曲がる方向のサイドミラーを見て、さらに目視で確認」ということは、身につけていないと仮免は合格しないが、何も写っていないミラーを見るふりを続けるのも白々しい。ところが道路では必ずそこに何か写っているのだ。

順調に与えられたコースをこなし、いよいよ本免の技能試験となった。
今度は、府中の運転試験場から試験車に受験者4人乗り込み、まずは試験官が東八道路を走ってスタート地点まで運転する。
そこで運転者を受験者と交代する。トップバッターは拙者だ。
試験官に言われるがまま走る。路上にはもちろん車が停車しているし、自転車は走っているし、横断歩道をこちらを普通の車だと思って渡っていく人もいるので、それらに法規に従って対処しつつ、制限速度を上回らないスピードで行かなくてはいけない。
途中、最大の試練は、大きな交差点で右折するところであった。右折レーンに入って拙車の前には大型トレーラーを含む4台ほどが並び、右矢印信号が出ると右折していった。
さて、拙車も右折と行きかけたところで緑の矢印から突然赤になった。急いでブレーキを踏んだが、拙車は停止線を大きく越え、横断歩道にかかってしまった。これで万事休すか!?




東一眞『中国の不思議な資本主義』中公新書ラクレ、2007年6月

2007-07-10 13:41:45 | 
読売新聞の北京特派員として3年8ヶ月中国に滞在した記者による中国論。この本に出てくる中国のいろいろなトラブル、例えばむちゃくちゃな交通、汽車のキップが表口からでは買えず、何らかの裏口からでなければ買えない等々は、在住経験のある人であれば誰しも経験したことであろう。もっとも、私の住んでいた14年前に比べれば何でも供給が増えて、例えば汽車のキップなんかも格段に買いやすくなった。住み始めて最初のうちは腹立たしいことも多いが、在住経験が長くなるにつれて、不愉快なことを避けて気持ちよく過ごす術を心得る。だが本書の著者は最初の数ヶ月の腹ただしい気分のまま帰ってきて本まで書いてしまったようだ。
需要者が殺到して供給が不足すると、供給者が小権力者になって権力を楽しむようになる。ケンタッキーフライドチキンも売り子までもが権力を楽しみ出す・・・。これを読んで中国は相変わらずだなあと思う。さらに、空港のチェックインのところでさえ、賄賂と引き替えにスピードチェックインをさせてもらう、なんてことがあるというのは驚きであった。
こういった身近なエピソードは楽しいが、これを元に中国資本主義論をぶちあげようと言うのは「飲み屋のヨタ話」にすぎない。一応著者なりの理論構築はあるのだが、論理に無理がありすぎるし、それを客観的に検証しようという気もないようだ。例えば、中国は「殺到する経済」で過剰投資が著しい、というが、2004年以来の鉄鋼業への投資がどれぐらい過剰であったか、多くの異論がある。ある時点で過剰であっても数年後には需要が伸びて動態的に解消されてしまうこともある。日本が中国とFTAを結んで関税を撤廃すれば模倣品、劣悪品が大量流入するというが、そんなことはあり得ない。いったい現在日本は「劣悪品」にどれだけ関税をかけているというのか。低い関税を撤廃したって大した影響はない。
著者によると日本型資本主義とは「集団によるものづくりが得意で、愛社精神を持った工場労働者」(225ページ)で構成される資本主義で、中国型はその正反対らしい。さて、日本で第2次産業(製造業、建築業、鉱業、電気ガス水道)に従事しているのは1600万人、中国はその10倍以上の1億8000万人。
いくら日本人がものづくりが得意だと言い張ったところで、ものづくりをしている人数は(建物作りも含めて)人口の2割に満たない。中国人は投機的だ、商売好きだと言ったってものづくりしている人は日本の10倍以上。こういうごく簡単なツッコミにも著者の「中国資本主義論」は耐えられそうにない。
さらに議論のエビデンスとして示されるのが、上記に書いたような著者の個人的体験以外は、中国のメディアに報道され、既に多くの人が知っていることか、あるいは「噂」(ただし、本書に書かれている噂は割と確度が高いと私も思う)ばかりというのも残念だ。飲み屋でヨタ話をしていないで、もっと新たな事実を発掘することが記者に期待されていることではないだろうか。例えば中国で蔓延する売春がなぜ本書で一言も触れられないのか、不思議でならなかった。

Os Sambas que Joao Gilberto Ama(ジョアン・ジルベルトの愛したサンバ)

2007-07-07 00:27:40 | joao gilberto
ジョアン・ジルベルトのレパートリーのうち、半分はジョビン、メネスカル、カルロス・リラら、ボサ・ノヴァの作曲家たちの作品だが、残る半分ないしそれ以上は、1930-50年代のサンバである。
本アルバムは、ジョアンが好んでレパートリーにしているそうしたサンバの曲のオリジナルを集めている。これを聞くと、ジョアンがその徹底的に個性的なスタイルで、しかも原曲に忠実に演奏していることがわかる。
さらに、本アルバムにはジョアンがソロでデビューする前に男性コーラス「ガロータス・ダ・ルア」のメンバーだった時代に吹き込んだ歌や、「エリゼッチ・カルドーソの歌うChega de Saudadeのバックでギターを弾いてそれが評判になった」という公式のデビュー・ストーリーの前の1956年に吹き込んだ幻のデビュー盤まで収録している。
これを聞くと本当にびっくりである。美声で朗々と歌っているのだ。まるで抽象画を始める前のピカソの絵のようで、「本当はこんな綺麗にかけるんだ」と思ってしまう。でも「綺麗」なままでは、ジョアンもピカソの偉大な創造ができず、僕が引きつけられることもなかっただろう。
とにかくまるで「博士論文」のような研究熱心なアルバムである。解説もすごく詳しく、まさしく音楽版の「マルクス主義の源流」を読んでいるようだ。

読売新聞中国取材団『膨張中国』中公新書

2007-07-07 00:01:25 | 
読売新聞の連載を本にしたもので、面白く読んだが余り頭に残っていない。貧富の格差が拡大している。富裕な人の代表として登場するのはやけに生意気な若い女性。商売は「口利き」らしい。「格差拡大」のエビデンスとして、あまりにありがちな素材だ。
むかし北京に住んでいたとき、日本の大新聞各社の北京特派員の皆さんと研究会をやっていた縁で、各紙の中国報道には一定の関心を持っているが、率直に言ってこの業界も「横並び志向」が強いように思う。数少ない例外が東京新聞の清水美和記者で、日中関係に関する掘り下げた著書を発表された。他社の記者たちも清水記者のように何か得意分野を掘り下げてくれれば、概して皆さんまじめなので、もっといろいろと面白い本を出してくれるのではないかと期待しています。


小野善康『不況のメカニズム』中公新書

2007-07-05 23:51:37 | 
1990年代初頭に始まる長い不況のなか、日本は赤字財政、構造改革、量的緩和、ゼロ金利と、万策尽きた感がある。
と思っていたら、いつの間にか「戦後最長の景気拡大」だそうな。思い起こせばバブル初期の1986~87年頃もその時点では深刻な円高不況と思われていたけれど、あとから見れば好況の入り口だった。日本の平均的な成長率が10年おきぐらいにガクッ、ガクッと下がるので、その時点では過去との比較で調子悪いように見えて、後世から考えるとまだけっこうよかったということかと思う。
しかし、その戦後最長の景気拡大のなかで、著者の小野氏が『不況のメカニズム』を公刊したことは、彼の認識では日本はまだ長い不況の中にあるということなのだろう。
日本が不況にもがくなか、我々は様々な「マクロ理論」を耳にしてきた。どれだけ赤字になろうとも財政出動で頑張れと言う声がアメリカのL.Summers財務長官や、かの植草一秀先生から聞かれた。しかしそうした声は、膨大な借金を国が抱えて大丈夫なのだろうかという不安をかえってかき立て、それが小泉政権の構造改革路線への支持につながったと思う。
インフレ目標を掲げよ、とにかくお札を刷れ、という声もP.Krugmanや、日本の数々の著名な経済学者から聞かれた。
しかし、財政出動も、お金の増刷も、実際に政府と日銀がガンガンやったのだが、日本経済はようやく弱々しい回復を見せ、いつのまにか「戦後最長の景気拡大」だそうだが、株価にせよ雇用にせよやはり不況感は否めないところだ。

実は私が不況の元凶である。私の年収は20年前の就職時の5倍程度になった。一方消費水準は5倍にはなっていない。収入が少なかった時代に身に付いた生活習慣を、収入が増えても変えられず、何となく貯蓄性向が高まっている。小野氏によれば私のような人間こそ不況をもたらしている。人々が貨幣の蓄蔵に励んで消費しないから不況になるのである。小野氏は本書のなかで繰り返し、労働力が余っている状態こそ最大の浪費であると指摘する。その浪費状況を改善するための政策は何であれ効率改善的である。人々が貨幣蓄蔵から消費へ意識が転換するのを待っていたら一世代かかるので、財政出動はそのサイクルを早める上で効果的なのだ。
本書は、「ケインズ『一般理論』から新たな『不況動学』へ」という副題の通り、ケインズ「一般理論」に出てくる様々な説の正否を検討しながら、最後に自分の理論を打ち出すという構成になっている。古典を評価したり批判したりしながら、自説を打ち出すというのは、宇野弘蔵などマルクス経済学の流儀である。一般に、近代経済学者は古典を簡単なモデル(たとえばケインズ経済学はIS-LMモデル)にまとめてそれで事たれりとする。ケインズに寄り添って読んでいこうとする小野氏の態度は近代経済学者らしくないが、それが本書の読み所である。
松原隆一郎氏(『「消費不況」の謎を解く』)の消費不況説は、消費したいものがなくなったから不況になった、というものだが、小野説も消費需要の減退が不況の根底因だとし、高度成長期の家電製品のような誰でも買う物がなくなったことを指摘している。ただ、小野説はインフレ目標政策も、流動性選好を緩和して消費を促進する役に立つ限りにおいては評価するという点で松原説とは違うようだ。
本書を通じて繰り返しが多いので、もう少しデータを使った自説の実証にもページを割いていただけたらよかったと思う。いずれにせよ、数式をほとんど使わずに文章だけでマクロ経済学を表現するために並々ならぬ工夫と努力があったものと思う。
本書で痛快なのは新古典派のみならず、「メニュー・コスト」理論の類のニュー・ケインジアンも一蹴し、乗数効果はナンセンスと喝破し、IS-LMにも疑問を呈すなど、いままでマクロ経済学に対して何となく感じていた違和感をすっきりと言い放ってくれていることである。
ただ、それで小野説に全面的に帰依したかというとそうでもない。結局、私なりに得た結論は「マクロ経済学に『正解』などありはしない」ということであった。

中年からの自動車運転⑤~ついに仮免合格

2007-07-01 16:42:42 | 中年若葉日記
3回落ちてもめげてはいけない。受験票を見ると何回受けたかわかるが、若い人でも10回ぐらい挑戦している人もいる。安倍首相も再チャレンジと言っているではないか!
4回目の挑戦ではいいところまで行った。試験官の講評は、「赤信号の点滅で一時停止さえしていれば合格だった!」とのこと。ならば翌日やればできると思って受けたら、前の晩興奮しすぎて一睡もできず、かなりぼろぼろで不合格。
6回目の挑戦はそこから3週間先になってしまったので、教習をもう1回受けた。これで正規の11回の教習の他に7回も補習をやっている。18万円で免許とれると思ったらプラス6万円強かかった。

前に公認自動車学校と非公認自動車学校の違いについて書いた。
拙者はすべて合格したあと、「取得時講習」というものを公認自動車学校である某自動車学校に受けに行った。
拙者がゲームセンターにある運転ゲームのようなもので高速道路での運転の練習をしている間、某校の先生が非公認校の悪口を言い始めた。
「運転試験場で仮免技能試験を受けると、平均で12回受けてようやく合格するほど難しいし、本免技能試験も平均4回受けて合格と言われている。非公認校の方が表面上は安そうに見えるけど、うちに来た学生のなかには、最初非公認校に行ったけど何回も不合格になって何回も補習を受けて、結局公認校の学費の2倍も費やした挙げ句、うちに来た子もいる」
まあ公認校の利益を代表している彼の言葉を額面通り受け取ってはいけない。ただ、自動車の教習に行く前にこの噂を聞いていたらまず非公認校には行かなかっただろう。
他方、非公認校である我が母校のO自動車学校の先生によれば、「僕の生徒達はだいたい1-2回で仮免技能試験に受かっているよー」とのこと。これも額面通り受け取ってはいけない。試験場で他の受験者の受験票をのぞき見た結果から言えば、平均1-2回で受かっているとはとうてい思えない。

いずれにせよ拙者は6回目の挑戦で仮免技能試験に合格した。試験前に次の順番の若い女性と話し込んで、「頑張ってください!」と励まされたのが効いたのか、試験官が4回目の受験の時に「赤点滅さえ気をつけていれば!」と言ってくれた人だったからなのかはわからない。
ちなみに次の順番の女性も合格した。彼女は以前免許を持っていて、更新をしなかったので効力がなくなったらしい。試験場に来る人は、私のようなまったくの初心者ばかりではないようだ。