mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

比屋定篤子 at TOKYO BOSSA NOVA 2006

2006-09-30 17:03:20 | live
恵比寿ガーデンプレイスで開催されるフリーコンサートTOKYO BOSSA NOVAが今年で3回目を迎えました。
正面にはかのタイユバン・ロブションを見ながら、ガラスの屋根のついた空間で、爽やかな音楽を秋風の中で聴く、本当に爽快きわまりないイベントです。とりわけ我が家のように幼児がいる家庭ではなかなかライブとかに行けませんが、ここでは赤ちゃんが泣き出しても大丈夫。

昨年の経験ではブラジル曲のカバーが多い人と、ブラジルの雰囲気を漂わせながらも、もっぱら日本語のオリジナル曲を歌った人とがいます。9月23日に聞いた比屋定篤子(ひやじょう・あつこ)さんは後者です。沖縄出身の彼女は、いまは沖縄で子育てをしながら音楽活動をしているとのこと。ハリのある声で、強風にもめげず、朗らかに爽やかに数々のオリジナル曲を歌いました。
会場で早速最近のCD(写真)を購入。ショーロ・クラブの笹子重治氏との共演によるライブです。比屋定さんにCDにサインしてくれた上に、親子で握手してもらいました。今後の活躍に期待します。

Joyce Bluenote東京公演(2006年9月9日)

2006-09-10 17:53:50 | Joyce
もう10年ぐらい毎年夏の恒例行事になっているジョイスのブルーノート東京での公演が今年も行われた。毎年ゲストも出るが、今年のゲストはボサノヴァの生き証人、ロベルト・メネスカル(略称、ロベカル?)。ボサノヴァの代表曲の作曲数では1位ジョビン、2位メネスカル、3位カルロス・リラといった順であろうかというぐらいの超重要人物。
オープニングはまずジョイスのBanda Malucaのアルバムから2-3曲。
ついでメネスカルが登場し、Balansamba, o Barquinho(小舟)、Rio、Telefoneなどメネスカルの名曲をメネスカルのギター、ジョイスのヴォーカル&ギターで。特にRioとTelofoneが良かった。
ついでジョイスが下がり、メネスカルのインスト曲を数曲。曲名はわかりません。
最後にジョイスが戻る。ここでメネスカルは「ジョイシー!」と呼んだように聞こえた。ブラジルだとどうしても最後のeを[i]と発音するはずである。そして二人でFemininaなどジョイスの代表曲を数曲。
一晩に2ステージ入れ替えなので、曲間のトークなどはなく、いそいそとプログラムをこなすが、やっぱり1時間強という時間はちょっと短すぎる。その割にお値段は・・・。
毎年の来日はうれしいんだけど、たまには別のシチュエーションでの再会もあればなあー。

Ilha Brasil (Joyce第17弾)

2006-09-10 17:36:01 | Joyce
ジョイスの「亡命時代」は日本や米国や欧州でのジョイス人気を確立した充実した時期だったが、その間に出たアルバムはというと、80年代前半にブラジルで出したアルバムの中の曲を再録したものが少なくなかった。
その点、この1996年のIlha Brasilはまさに久しぶりのオリジナル曲満載の新作である。プロデュースはDelirios de Orfeuも担当した吉田和雄。
「アテ・ジャズ」という曲では、警官によるストリート・チルドレンの虐殺や、汚職で辞職に追い込まれたコロール大統領のことを取り上げている。コロール政権が誕生したときは、ブラジル人はすごく期待していて、私が会ったサンパウロ大学の先生なぞは、ブラジルの中小企業のことを話すことを期待された場で、ひたすら「コロール政権になってブラジルは変わります」と言い続けた。なので、その結末に対する国民の失望も大きかったのだろう。
ストリート・チルドレンやエイズや麻薬ギャングなど暗い話題が増えたものもこの頃。音楽面では、ボサノヴァのような優雅な音楽ではなくて、Funk(ファンキ)やReggae(ヘギ)など、北中米の黒人ゲットーの音楽がブラジルでも流行ってきた時期かと思う。
このアルバムはトム(アントニオ・カルロス・ジョビン)とヴィニシウス(ジ・モライス)に捧げられている。ヴィニシウスは何年か前に、トムも94年に亡くなったが、彼らの死去とブラジルの政治腐敗、経済不振、治安悪化、文化衰退とがジョイスの目には重なって見えた。トムをたたえた歌(Antonio)に続いて、ブラジルを覆う悲惨と恐怖を歌ったIlha Brasilでアルバムが締めくくられる。

芥川龍之介『上海遊記・江南遊記』

2006-09-08 00:31:32 | 
1921年、29歳の芥川龍之介は大阪毎日新聞の依頼で上海を皮切りに4ヶ月間中国各地を旅行し、その紀行を新聞に連載した。この本はその紀行を収録している。
1921年といえば、北洋軍閥政権の時代で、中国は軍閥割拠と帝国主義の侵略にあえぐ暗黒時代ととらえられている。しかし、芥川に描かれる中国は意外にまともである。
いま観光客が集まっている上海の豫園、杭州の西湖、蘇州の庭園や寒山寺などは当時から世界中の観光客が集まっていた。日本人が各地に住んでいて旅館を経営したり、医者を開業したり、役人をやっている人までいる。芥川はそうした中国通の日本人たちに案内されて観光地を回っていく。
芥川はだいたいどの観光地もくだらないと書き、風景は良くても、必ず何かで興ざめする。新聞社の担当者はさぞかし困ったのではないか。芥川が繰り返し書くのは
中国の不潔さである。驚いたことに、日本人が不潔さに驚くポイントは、その後60年以上を経た後に私が初めて中国を訪れたときもほとんど変わらない。例えば中国人が手鼻をかむ様子を芥川は描写するが、1985年の私が見たものとそっくりだ。(その後20年を経て、もう余りそういう姿は見なくなった。中国人の栄養状態がよくなって鼻水が余りたまらなくなったのではないか?)
寒山寺の俗悪さが80年を経たいまも変わっていないのも驚きだ。
芥川は長江の色を「代赭色」と表現するが、当時からそういう色だったというのは発見だった。私は中華人民共和国になってからの上流での森林消滅、環境破壊によってあのような色になったのだと思っていたが、どうももともとそういう色だったようだ。
他方、芥川は蘇州の水路での船遊びを楽しんでいるが、最近の蘇州の堀割は真っ黒に汚れて船遊びを楽しむにはほど遠い。日本のODAで水質改善の大事業が進められているところである。
大きく変わったのは市内の交通手段で、芥川の時代は人力車かロバで、まれに自動車も登場する。
芥川は各地で反日スローガンが書かれているのを目にする。日本が21カ条の要求を突きつけて権益を奪い取り、それに抗議した五四運動が起きてまもない頃だから、日本に対する反感は強かった。しかし、実際に旅をする中では、ほとんど直接の反感を向けられることはなかった。そんなところも現在と似ている。

Revendo Amigos (Joyce第16弾)

2006-09-07 21:35:35 | Joyce
ジョイスの「亡命時代」は3年ほどで終わった。
久しぶりにブラジルで制作された本作は、キャリア25周年を記念して、これまでの代表曲をブラジル音楽の代表選手とたちとデュエットで歌うという豪華な企画。
25年間の代表曲といっても半分以上は「フェミニーナ」から、他の曲も80年代前半の数作からで、やはり80ー85年の数年間が彼女にとって最も稔り多い時期だったことがわかる。
本作は単なる懐古の作ではなく、それぞれ個性的な声の持ち主によってジョイスの名曲が新たな光を当てられる楽しい作品だ。中でも聞き惚れてしまうのがガル・コスタとの共演による"Misterios".まさしく神秘に満ちたガルの声!
ジルベルト・ジルとの"Monsieur Binot"は、原作よりいっそう妖しくなった感じ。
1994年の作。

Delirios de Orfeu (Joyce第15弾)

2006-09-07 20:58:35 | Joyce
ジョイスの亡命時代は続く。
前作はアメリカ制作だったが、今作は日本制作である。(ただし録音はリオ)
スピック&スパンの吉田和雄氏のプロデュースによる本作は、オリジナル曲の「中国人と自転車」(o Chines e a bicicleta)に始まり、たぶんジョイスがすごく尊敬しているであろうエドゥ・ロボの代表作の一つ「ウッパ・ネギーニョ」、ハービー・ハンコックの「カンタループ・アイランド」、ジャズ・スタンダードのSpeak Lowと、さらにビートルズのHere There and Everywhereと、幅広い選曲である。ただ、ジョイスのファンにとってはそれほど違和感のない選曲ではないだろうか。私もそうだけど、ジョイスに行き着く人はだいたいこの辺の音楽は一通り耳になじんでいるはず。
冒頭の曲では「中国人と自転車のように、ロミオとジュリエットのように、・・最後にはきっと寄り添える」と歌う。だが、かつて中国の代名詞だった道幅いっぱいの銀輪通勤はもう過去のことになりつつある。今だったら「中国人とケータイ」?
今作が出る直前あたりが、私がジョイスのライブに通い始めた頃だと思う。たしか「今度吹き込んだ新作です」と言って「中国人と自転車」を歌った記憶がある。
1994年の作品。