mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

ネッシーはいなかったが、クッシーがいないとは結論できない!?

2014-08-31 15:02:34 | 日常
理化学研究所がSTAP細胞が存在するかどうかを調べる検証実験の中間報告を8月27日に行った。
4か月の間、論文に記載された方法で22回の再現実験を行ったが、おおかたの予想通りSTAP細胞の作製はできなかった。
もう肝心の論文が撤回されたし、どうやっても再現できないのだから、端的に言ってSTAP細胞なるものを作ったという発言がウソだったと断言できる。そうしたウソによって科学界や世間をだました責任を明確にし、関係者を処分することが理研に求められている。
ところが、呆れたことに検証実験をやっている丹羽氏らはさらに方法を変えてSTAP細胞がないかどうか実験を続けるのだという。もはや論文の検証を超えて、少しでも処分を先延ばしにしたい、もし万が一STAP細胞の作製に成功したら不正もすべてチャラにできるのではないか、という意図がかいま見える。
STAP細胞をネッシーにたとえた近藤滋教授の比喩を用いれば、科学者たちの反対にも関わらずネス湖に向かったネッシー再捜索隊は4か月の捜索にもかかわらずネッシーが存在する証拠を一つも持って帰ることができなかった。ネッシーが存在するというウソをついた少女やその先生たちへの処分を求める声が高まろうとするところ、機先を制して再捜索隊の隊長がこういった。
「たしかに少女が書いた地図どおりに調べてもネス湖にはネッシーはいませんでした。でも屈斜路湖にクッシーがいる可能性、船橋の川に着ぐるみでないフナッシーが泳いでいる可能性をこれで否定できるわけではありません。もうあと半年かけてクッシーとフナッシーを探します!」
万が一クッシーやフナッシーを見つけても、ネッシーが存在するというウソをついた罪が免罪されるものではないことは子供でもわかる道理だが、隊長はそう思っていないらしい。なにしろ少女のウソを世間に広めた先生の一人であるから何とか罪を逃れよう、罰を先送りにしようと考えるのは無理もない。
こんな茶番をやめさせるには文部科学大臣が「いいかげんにせい」と言えばいいのだが、何せ文部科学大臣は「日本人の少女がネッシーを見つけた」というストーリーがえらくお気に入りで科学的に正しいかどうかにはまったく関心がないのだからしょうがない。

太宰治の面白さ

2014-08-27 23:35:59 | 
「買い物依存症」という病気におちいる女性がいるようだが、太宰治はさしずめ「浪費依存症」とでもいうべき状態にあったようである。
久しぶりに『ヴィヨンの妻』を読み始めたら、面白くてやめられなくなった。昭和23年に玉川上水で心中を遂げるまでの2年間に太宰が書いた短編を集めたものだが、創作でありながら、なぜ太宰が心中を遂げたかを解説している遺書のようでもある。売れっ子作家だった太宰は結構な収入も得ていたはずだが、原稿料を手にすると、あるいは手にする前から、夕方になると酒場に繰り出してそのまま何日も帰宅せずに遊びほうける。浮気もいっぱいしていたようである。ただ、作家がそうやってフラフラ遊びまわること自体は太宰の若いころの飲み仲間だった檀一雄をはじめ、それほど珍しいこととはいえない。ふつうならばそうやってフラフラと遊びまわったら、その先で経験したことを小説に書くはずだ。檀一雄の『火宅の人』などまさにその典型で、女たちとの交情やら飲み食いをもっぱら書いている。絣三人衆のもう一人である森敦の小説やエッセイももっぱら自分の体験を書いている。
ところが、『ヴィヨンの妻』には、飲みに行った先で何があったかほとんど書いておらず、まして浮気相手との付き合いについては全く触れられていない。むしろ描かれるのは表題先のように遊びに出た太宰が家に残していった妻の心情だとか、残していった妻子への思いである。遺作の「桜桃」は、家には一銭も金を入れず、金が入るとすぐに飲みに行ってしまう主人公が、飲み屋で出たサクランボを、子供に食わせたら喜ぶだろうなと思いつつまずそうに食うという話である。飲んで回って浮気をしているが、それが楽しいからというよりも、妻子に申し訳ないという悔恨で自分を苛むためにやっているようにさえ思える。
そういう異常な心情に感情移入できるかというと、まったくできない。サクランボを子供に食わせたいと思ったら家に持って帰ればいいではないかと思ってしまう。
それでも太宰の作品が面白いと感じるのは、異常な人を見る怖いもの見たさという面があることは否めない(檀一雄の『火宅の人』を楽しんだのもまさに同じ思いだ)が、自虐的なほど自分の弱点をさらけだす太宰の率直さに惹かれるからでもあろう。
冒頭の「親友交歓」は、まだ余裕があったのか、自分を苛むのではなく、郷里の青森で自分を尋ねてきた不思議な旧友の話である。要するに有名人になった旧友にたかりに来たつまらない男なのだが、やたらに虚勢をはり、ウィスキー2本を太宰からくすねてしまう。こういうタイプたしかにいると思ってしまう。言論界で一大勢力といっていいかもしれない。自分のというより、自国・民族の虚勢を張り、社会から印税をくすねている人たち。